選択が正しかったかを悩むより、
選んだ後どう行動するのかを考えよう

大学院教育学研究科 准教授
針生 悦子
Etsuko HARYU

針生 悦子

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針生 悦子

~国語は嫌い、お話を書くのが好きな女の子~

 私は、今はちょっとおしゃべりかもしれませんが、子どもの頃は無口だったんですよ(笑)。小学校の頃、国語の授業はあまり好きではありませんでした。たとえば、「ごんぎつね」の気持ちを一週間、授業のたびに考え続けるのはちょっと疲れました。それでも、読書は好きで、小学校3、4年生の頃は自分で冒険物語を書いていました。好きなことには、はまるタイプですね。

 ピアノは幼稚園の頃から小5までやっていました。母が音大を出ていたというのもありますが、女の子にピアノをやらせたいというのは父の夢だったようです。毎日1時間は真面目に練習していました。ピアノの練習はいつでもとても楽しいというわけにはいきませんでしたが、きちんと基礎練習をしているうちに指が動くようになり、曲が気持ちよく弾けるようになる、というプロセスを繰り返し経験できたことは貴重でした。

~自分のオリジナルな見方はどこから来るのかを考えて~

 中学時代は3年間バスケットボールの部活に明け暮れ、高校時代は自分探しの時代で、自分で考えるとはどういうことか、自分のオリジナルな見方はどこから来るのか、というようなことを考えていました。大学受験は、「卒業後にいろいろな職業の選択肢があるところがいい」と両親に言われて法学部をいくつか受けたのですが、「親に言われたところだけでいいのだろうか」という迷いがあり、お茶の水女子大だけは文教育学部心理学科(当時)を受験しました。“自分のオリジナルな見方”にこだわって本を読んだりするうちに、心理学のものの考え方に少し興味がわいたのと、お茶大は、同級生のお母さんに出身者がいたり、女子大だから女性の将来を親身に考えてくれるだろうという期待があったり、ということで、選択したわけです。

~将来について模索した学部時代~

 お茶大の心理学科に入学を決めたときは「将来どうするつもりなの」と親に心配されました。当時は、カウンセラーの仕事は一般的ではなかったので、家庭裁判所の調査官の道などを示して親を納得させました。

 ところが入学してみたら授業は今ひとつピンと来ず、それでも友達は皆授業に出ているので、友達に会いたくて授業に遅刻して行くという態度の悪い学生でした。1年生のとき毎回遅刻して(それでも出席して)いた授業の先生が、最後の授業のときに「毎回遅刻してくる学生がいますが、これは不真面目なのか熱心なのか私にはわからなかった」とおっしゃって、「あ、私のことだ」と遅ればせながら深く反省しました。それで、2年生になって同じ先生の授業をとったときには、毎回の授業で先生がいらっしゃる前に席についていることを目標に1年を過ごしました。こうしてみて初めて先生が授業をどのような意図でそのような構成にしているのか、今話されていることはその中でどういう位置づけにあるのかがわかるようになってきました。それでも、このときはまだ、心理学の研究を自分でしたいというほどその面白さはわかっていませんでした。3年になってからは、「自分が社会に出たときに、自分が大学で何を学んだのか、それについて自分はどうだったのか、をちゃんと申し開きできるようになろう」と考えて、友達と一緒に読書会をしたりして心理学の勉強をしました。それで、4年の春頃には、大学院に行くというのも選択肢の1つだと思い始めていましたが、たぶん大学院に行くということは研究者になる、ということで、一生そういう仕事をしていくためには、研究にはまれないといけないのだろうけれど、自分はどうなのだろう、ということを考えながら、卒業論文にも取り組んでいました。

~先生の言葉に押されて大学院へ~

 一生働きたいと思っていたので、公務員試験を受けて合格しました。でも、面接などを経験して、女性が一生働く場所としての確信が持てなくなりました。そんな時に、読書会などの様子を見ていてくださった女性教授に「針生さん、大学院を受けるんでしょ?だったら、卒論は学会誌に載るようなレベルのものを書いて、博士3年までに5本論文を書きなさい。そうすれば必ず就職できるから。」と言われたのを思い出したんです。そこで改めて大学院進学を考え始め、12月に卒論を書きあげ研究者としてやってみたいという気持ちも膨らんだところで、東大に願書をもらいにきました。そうしたら、その翌日が申し込みの締め切り日だというのです。結局、滑り込みで願書を提出して東大の大学院に進みました。今思えば、卒論作成の過程で「研究者になりたいのか」を考えることができ、気持ちが固まってから大学院の願書を出せたのは良かったと思います。両親に大学院進学を反対された覚えはありませんが、心の中では就職してほしいと思っていたかもしれませんね。

 東大では修士、博士と進み、博士5年目の9月に書いた論文で博士号を取りました。論文はその前に学会誌に5本書いていたので、まあ、お茶大の先生に刷り込まれた通りになったのです(笑)。

~青山学院大学に就職、その後東大へ~

 博士論文を書き上げた直後に、青山学院大学で発達心理学の教員募集があると聞いて応募し、就職しました。これも本当にラッキーでしたが、面接で「博士論文を書き上げたところです」と言えたのがちょっとうれしかったですね。青山学院に7年いて、2003年4月から東大で教えています。私の専門は認知科学と発達心理学で、私の研究室では言葉を話し始める前後の赤ちゃんの発達について研究しています。赤ちゃんが言葉のように複雑なものをどのように獲得するのか、獲得された言語は思考や行動にどのような影響を及ぼすのかに興味があり、これが今の研究テーマです。

~楽観性と知的好奇心をもった人間になって~

 大学で勉強したい、研究者になりたいと考える人が備えているとよいと思うのは楽観性と知的好奇心です。楽観性というのは,きちんとした根拠に基づいて、それでも物事を楽観的に考えられる資質です。知的好奇心とは、自分で何かを発見したいという我の強さと言ってもいいかもしれません。そして、それを裏付ける体力とねばりも必要です。

 私は「これがどうしてもやりたい」という強い意志があって研究者になったわけではなく、その場その場で一番いいと思う選択をしてここまで来ましたが、こんな選択の仕方でも研究者になれるという例と考えてもらってもいいかもしれません(笑)。選択を間違ったかもしれないと思ったこともありますが、私は自分の選択を悔やむのはよくないと思っていました。少ない知識で一番いいと思うものを選んでも、その後に知識が増えて「あの選択は失敗だった」と思うこともあります。でも、自分で選んだことですから、過去に戻って後悔したりしていないで、(進みかけた道に見切りをつけて別の道に行くという選択肢も含めて)今ここから何ができるかを探って、自分ができる最大限の努力をすると道も拓けるし、物の見方も変わってきます。

 東大はオープンな雰囲気のよい大学だと思います(個人的には、キャンパスに大きな木がたくさんあるところも気に入っています)。蔵書のすばらしさでは群を抜いていますし、有名な先生方とじかに話のできる機会も多く、卒業生同士の横のつながりが強いので人脈に助けられることも多々あります。優秀な学生同士で切磋琢磨できるのも、東大のよいところだと思います。大学進学を考える皆さんには、東大のこうしたすばらしさを知ってほしいですね。興味のある皆さんはオープンキャンパスなどを利用して、東大を見に来てください。

(2012年6月取材)

女子中高生の理系進路選択支援プログラム
※本インタビューは科学技術振興機構(JST)による「女子中高生の理系進路選択支援プログラム」の支援を受け、作成しています。

プロフィール:
針生 悦子 (Etsuko HARYU)
東京大学大学院教育学研究科
准教授

東京都出身。1988年お茶の水女子大学文教育学部卒業、1990年東京大学大学院教育学研究科修士課程修了、1995年同博士課程修了。博士(教育学)。1995年青山学院大学文学部専任講師、助教授を経て、2003年東京大学大学院教育学研究科助教授、2007年より職名変更に伴い現職。

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