2人の子どもを育てながら、仕事に研究に邁進
人との出会い恵まれて、好きな道を歩いてきた

大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 教授
上別府 圭子
Kiyoko KAMIBEPPU

上別府 圭子

インタビュー一覧 > 上別府 圭子

上別府 圭子

~弟の友達に「博士」と呼ばれていた子ども時代~

 私は東京の生まれですが、6歳の時に鎌倉に引っ越して小学校時代は鎌倉で過ごしました。のんびりした性格の子でしたが、3歳下の弟と弟の友達を引き連れて近くの山や川で遊び、小動物をつかまえて飼ったりしていました。年上だったので物知りに見えたのだと思いますが、弟の友達からは「博士」と呼ばれていました(笑)。勉強は何でも好きで、母に言わせると「ドリルを買って渡すと2日くらいで全部やってしまう子だった」そうです。

~登山と調べ物が好き~

 その後、父の転勤で東京に戻り、東京学芸大学附属中学に進学しました。中学校時代はワンダーフォーゲル同好会に所属して、奥多摩や谷川などの山登りを楽しんでいました。鎌倉の山で遊んでいたので、山歩きは子どものころから好きでした。一生懸命歩いて尾根に出ると、急に視界が広がってきれいな景色が見られたりして、幸せな気分になるのが登山の魅力です。登山のためにラジオを聞いて、天気図を描いていた時期もあります。調べ物も好きで、京都・奈良への修学旅行の前には仏像を調べて、どこのお寺にどんな仏像があるかについて詳しくなっていました。小学校時代に鎌倉五山の歴史を調べたりしていたので、その延長でお寺や仏像に興味があったのだと思います。

~理系が好きになり、東大進学をめざす~

 学芸大附属高校に進学し、このころから理系の科目、とくに物理が好きになりました。先生の教え方の影響もあったのだと思いますが、実験して体感したことと基礎的な法則が結びつくこと、一つの法則が理解できると、それを応用することで理解の幅が広がることに美しさを感じました。英語も好きで、英語クラブに所属していました。中学校時代も楽しく過ごしていたのですが、高校も楽しかったですね。

 東大受験に関しては、クラスの大半の子が東大を受けるという雰囲気だったので、私も自然のなりゆきで受験を決めました。「よい先生がいるだろうし、よい人たちと知り合えて楽しいだろうな」という漠然とした期待感はありましたが、東大のことを詳しく調べていたわけではありません。受験勉強はしました。ちょうど親離れしたい時期だったのだと思いますが、自宅から高校までの通学時間が長かったので、高3の春からは学校に近い原宿の叔母の家に下宿させてもらいました。夏休みは早起きをすることに決め、朝4時に起きて午前中はしっかり勉強するという生活を送って合格しました。

~東大理科二類に進み、医学部保健学科へ~

 大学では理学系または医療系の勉強をしたいと考えていたので、東大の理科二類を選びました。入学した時は男子60人に女子4人のクラスだったので、教室が黒っぽいのに驚きました(笑)。でも、学芸大附属の先輩もいましたし、男子が女子を大切にしてくれるので楽しく過ごすことができました。部活には参加しませんでしたが、YMCAのボランティアリーダーになり、子どもたちをキャンプやスキーに連れて行っていました。子ども相手なので体力は必要ですが、これはとても楽しい活動でした。

 3年の学部選択では、人間の身体についても心についても広範囲に学べそうだと考えて医学部保健学科(現・健康総合科学科)を選びました。座学だけでなく演習・実習が多いのがこの学科の特徴で、生化学の実験や水質などの環境調査、長寿村の健康行動などに関する聞き取り調査や統計演習といったさまざまな演習・実習を通して、研究の基礎を学ぶことができました。また、精神科病棟に泊まりこんでの精神衛生の実習を通して、支援者と患者さんの関わりの大切さを学ぶことができたことは、その後の進路選択に影響しました。

~博士課程を終えて、臨床の現場で活躍~

 精神衛生学を専攻して、そのまま大学院の博士課程まで進みましたが、修了後は第一線で患者さんと会う仕事がしたいと考えていました。研究者になるかどうかは、その後に決めればいいと思っていました。修士論文は「出産による女性の心理的変化」です。この論文を書き上げた直後に結婚しました。相手は駒場の教養学部時代に出会った東大生です。私が「一生仕事をすると思うよ」と言ったことを当たり前と考えてくれたので、結婚への迷いはありませんでした。

 博士課程を終えて、1983年に虎の門病院の心理療法室に就職しました。まだ、臨床心理士の資格ができる前です。いろいろな職種の人と一緒に仕事をしやすい、とても恵まれた環境でした。

~出産、夫の転勤で、初めて女性の大変さを知る~

 1985年、こどもの城のオープンに合わせて、こどもの城小児保健部に転職しました。同じ年に女の子を出産、4年後に2人目の女の子を出産しました。職場の同僚は同年配で同じように出産・子育てをしている境遇でしたので、働きやすい環境でした。ただ、子どもをどこに預けるかは大問題でした。区役所に相談してもうまくいかず、毎朝バギーを押して子どもを預けに行く人の後を追って話しかけ、保育ママさんや評判のいい保育所の情報を教えてもらい、やっと預けるところを見つけました。夫は銀行員で帰りが遅かったので、保育園のお迎えは頼めず、忙しいときは地域の方に二重保育を頼んで乗り切りました。

 次に大変だったのが夫の転勤です。最初の1年ほどは単身赴任してもらったのですが、小さな子どもたちを私ひとりで見るのは緊張しますし、家族が離れているのもよくないと思い、仕事をやめて、夫のいる兵庫県に行きました。私はこれまで仕事の上で男女差を感じたことはなかったのですが、このとき初めて「ああ、こういう時は女性のほうがやめるんだな」と思いました。

 この時初めて所属する場所がなくなったので不安を感じましたが、公募に受かって、兵庫県立女性センター(現・兵庫県立男女共同参画センター)のスターティングメンバーとして働き始めました。ところが、その矢先に夫が東京に転勤になったんです。私はすぐに仕事をやめるわけにはいかないので、夫だけ先に東京に帰りました。また私ひとりでの子育てになり、この時も地域の方々にずいぶん助けてもらいました。

~東京に戻り看護師の資格を取得~

 1993年に博士論文を書き上げ、東京慈恵会医科大学に採用が決まって、同じ年の年末に子どもたちと東京に戻りました。病院で仕事をするうちに、メンタルヘルスを看るうえでも看護師による身体への介入が重要であることを再認識し、健康科学・看護学科(現・健康総合科学科)に学士入学して看護師の資格を取りました。看護学実習では、臨床心理士と看護師の考え方の違いがよくわかり、チーム医療の重要性の理解が深まりました。

 日本橋学館大学の助教授として、臨床心理学を教えた後、2002年、縁があって東京大学の助教授に就任して、現在に至っています。

~人間に必要なサイエンスを多角的に学べる看護学~

 私は保健学科でとてもよい教育を受けたと思っているので、そのすばらしさを学生に伝えていきたいと考えています。また、これまでの臨床経験を活かして、看護学の中に臨床心理学の技能を強化していくことが自分の使命だと思っています。看護学は、人間が健康に生きていくために必要なサイエンスを多角的に学べる学問です。看護学実習では、赤ちゃんから100歳をこえたお年寄りまで幅広い年齢層の人と接することができます。身体と心の関係、社会との関係、福祉や法制度、健康を維持するための方法、病気になったときの対処法、よりよく亡くなるためにはどうすればいいかなど、人間にとって大事なこと、必要なことをいろいろ学ぶことができます。

 健康総合科学科では、異なる種類の研究方法論を学べるばかりでなく、研究領域の広い分野なので、健康や心の問題に関心のある学生が自分の興味のある分野を探りながら、将来の仕事や研究の方向を決めることができます。理系の女子で東大受験を考えている方は、こうしたカリキュラムのすばらしさに注目してほしいと思います。私は大学・大学院を通して、東大ですばらしい指導者に出会いましたし、多くの大切な友人を得ました。こうした出会いは東大の最大の魅力のひとつだと思います。東大受験を迷っているのならば、迷いは捨てて自分のやりたいことに挑戦してほしいですね。

(2012年10月取材)

女子中高生の理系進路選択支援プログラム
※本インタビューは科学技術振興機構(JST)による「女子中高生の理系進路選択支援プログラム」の支援を受け、作成しています。

プロフィール:
上別府圭子(Kiyoko KAMIBEPPU)
東京大学大学院 医学系研究科 健康科学・看護学専攻 家族看護学分野
教授

東京都出身。1978年東京大学医学部保健学科卒業。1983年同大学院医学系研究科保健学専門課程博士課程単位満了退学後、虎の門病院に勤務。こどもの城小児保健クリニック、兵庫県立女性センター、東京慈恵会医科大学附属病院を経て、2001年日本橋学館大学助教授。2002年東京大学大学院医学系研究科助教授、2007年職名変更により准教授、2012年12月1日より現職。保健学博士。

大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻家族看護学分野のページ

©東京大学