子育てと研究を両立させ、毎日を楽しみながら
オンリーワンの研究者として活躍

工学系研究科 電気系工学専攻 准教授
熊田 亜紀子
Akiko KUMADA

熊田 亜紀子

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~本が好きで、考古学者にあこがれ~

 小学生の頃は、考古学者か歴史学者になりたいと思っていました。なぜそう思ったのか、今となってはよく覚えていませんが、本が大好きで小説もノンフィクションも読んでいたので、何かの本を読んで漠然とあこがれたのだと思います。得意科目は算数と社会で、理科はすごく得意というわけではありませんでした。家族も皆文系で、同居していた祖父が唯一、電気系の出身というだけでした。

~物理の授業が楽しくて、理系に~

 私が理系の大学を志すようになったのは、中学・高校時代の物理の授業がとても楽しかったからだと思います。「シンプルな数式ひとつで、いろいろな現象がきれいに説明できるのがおもしろい」と思い、理系に進もうと考えるようになりました。当時も考古学や歴史には興味がありましたが、こちらは自分で研究するのではなくて、誰かが研究した結果を読む方が楽しいだろうと思うようになっていました。

 私が通っていたのは中高一貫の進学校でしたので、東大をめざす人はたくさんいました。物理が好きなので理科一類を進学先に選んだのは自然な流れでした。両親にとって、理系の職業といえば医師、くらいのイメージしかなかったのか「医者でなくていいのか」と聞かれましたが、東大進学には賛成してくれました。「東大を出れば職がないことはないだろう」と考えていたのだと思います。

~社会の役に立つ、工学部へ~

 女子校から東大の理系に来たので、入学当初は男子学生ばかりの環境にとまどいました。クラスメイト40人中女子は4人だけ、3年になって工学部の電気系に入ったら100人中女子は私1人でした。そういう環境も慣れてくるものですが、授業をサボるとすぐに先生にわかってしまうのは困りました(笑)。4年になり研究室に配属されると、先輩に女性がいることもあるし、総勢20人くらいなので、男子の中でたった1人の女子であっても気にならなくなりました。

 進学振分けの時には、社会に役立つものを作りたいという気持ちから、理学部ではなく工学部を、専門については、できるだけ選択肢を減らしたくないという理由で、扱う範囲の広い電気系を選びました。将来、結婚して子どもを持ってもずっと働き続けたいという気持ちは以前からあり、「社会の役に立つものを作り、その分野で代わりはいない」といわれるような存在を目指そうと考えていました。

 当時はもちろん、結婚を具体的に考える相手もいなかったのに、彼女がいなくなったら困るといってもらえるほどの存在になれば、仕事を続けていてお姑さんから嫌味を言われても跳ね返せるに違いないとか、そんなことを考えていたんですよ(笑)。

~研究がおもしろく、修士・博士へと進む~

 電気系には、情報、デバイス、電力など、広範囲な研究分野があります。コンピュータが好きでたまらないという同級生に遭遇し、自分はそこまでコンピュータは得意ではないなとかいろいろ考えて、研究分野を放電現象と高電圧に絞りました。こうした研究はエネルギーの供給に関わるので、研究成果は必ず世界の役に立ち、自己満足だけでは終わらないという確信もありました。

 大学院に進み、1999年3月に博士課程を修了後、東大に助手として勤務した2年目に、2年の限定で電力会社の研究所に勤める機会を得ました。私の研究には、電力機器や電力供給の知識が必要なので、企業で電力供給の現場を見られたことはよい経験になりました。

~結婚、出産を経て、忙しくも充実した日々が始まる~

 結婚したのは会社に勤めていた時です。両親を相次いで亡くし、自分の家族が欲しいと痛烈に思ったのです。相手は、大学院の学生だったときに知り合った人で、彼は、友だちの引越しを手伝うことが多くて手慣れていたのですが、私の引越しも手伝ってくれたのがお付き合いのきっかけです。その時には、2年の約束の後、自分の身分がどうなるのかわからない状態だったので、すぐに子どもを、というわけにはいきませんでした。

 電力会社での2年を終え、2003年4月に工学系研究科電気工学専攻の講師となり、翌年助教授になりました。ずっと研究職でやっていける目処が立ったところで1人目を出産、その2年後に2人目を出産しました。それからは、子育てと研究を両立させる忙しい日々が始まりました。夫は同業者で、お互いに仕事の内容がわかっているのでとても協力的です。二人とも休めない日に子どもが熱を出したりすると、朝早く電話をして夫の母に駆けつけてもらったり、そういった協力のおかげで何とかやってくることができました。 子どもができて研究時間は大幅に減りましたが、これがずっと続くわけではない、人生にはこういう時期もあるんだと割り切っています。

~料理と工学には共通項がある~

 私は仕事帰りに買い物をして、帰宅してから30分で夕食を作ります。前に、「エンジニアよ、厨房に入るべし-勝手にその2-」(東京大学電気系同窓会のページより)という話を書いたことがありますが、夕食の材料やキッチンの設備、自分の作業効率を考えて、頭の中で工程表を作り、その手順に従っていくつかの料理を完成させる作業は、研究の進め方にとても似ています。料理と研究には共通項があるわけです。

 このように、「限られた条件下で問題を解決する方法を見つける」という作業は昔から好きでした。「お風呂に入って、最短時間で効率良く体を洗うにはどうしたらいいか」とか、自分でテーマを決めていろいろ試していました。テーマに対する解答をみつけるのは、パズルを解くみたいで楽しいですから。

理系の卒業生は、自分の特技をアピールしやすい

~理系の卒業生は、自分の特技をアピールしやすい~

 理系の女子高生は、自分のやりたいことのできる大学に進んで、自分の興味のある分野を追求してほしいですね。理系の卒業生のほうが自分のやってきた研究や特技をアピールしやすいですし、それを武器にキャリアを重ねていきやすいと思います。大学、大学院時代に「この技術に関しては誰にも負けない」「これは私にしかできない」というものを持つように努力すれば、ずっと仕事を続ける道が開けてきます。

 まだまだ、女性が子どもを育てながら仕事を続けるのは大変ですが、せっかく経験を重ねたのに子育てのために仕事を辞めてしまうのはもったいないと思います。そんなときに、「自分にしかできないこと」があれば売り込みのポイントになります。ぜひ、そういう技術のある研究者をめざしてください。

女子中高生の理系進路選択支援プログラム
※本インタビューは科学技術振興機構(JST)による「女子中高生の理系進路選択支援プログラム」の支援を受け、作成しています。

プロフィール:
熊田 亜紀子(Akiko KUMADA)
東京大学大学院 工学系研究科 電気系工学専攻
准教授

東京都出身。1994年東京大学工学部電気工学科卒業。1999年同大学院工学系研究科電気工学専攻博士課程修了、博士(工学)。同大学院新領域創成科学研究科先端エネルギー工学専攻助手を務めた後、東京電力株式会社技術開発研究所の絶縁技術グループ研究員として2年間勤務。2003年東京大学大学院工学系研究科電気工学専攻講師を経て、2004年より同助教授、2007年役職名変更により現職。

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