自分で確かめるまで信じない
理系の考え方は全てに役立つ

大学院新領域創成科学研究科 教授
山室 真澄
Masumi YAMAMURO

山室 真澄

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~不器用で暗い少女時代、アメリカ留学で変化が~

 私の少女時代は暗かったですね。母と妹は美人で、料理や手芸が得意で女性的な華やかさを持っていましたが、私は容姿に恵まれず不器用でした。中学では体育の評価が1、家庭科もそれくらいで、「この成績では公立高校には行けない」と中2の時に宣告されました。他の教科の成績は良かったのですが、国語は書道がうまくできなくて困りました。力の加減がわからず、力任せにやって筆の腰を折ってしまうんです。母からは「あなたは不器用だから人の十倍がんばりなさい。職業で身を立てなさい」と言われていました。

 高校は内申書を考慮しない国立高校を受験しました。大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎という、たぶん日本一長い名前の高校です。中高一貫校なので高校からの編入は難しく、私の時は倍率50倍でしたがなんとか合格しました。でも、私は暗いというか社交的でない性格なので、あまり学校になじめませんでした。それもあって留学したいと思い、高2の時にAFSの交換留学制度を利用してマサチューセッツ州ベッドフォード高校3年のクラスに入り、そこで卒業証書をもらって帰ってきました。1年間ホームステイで、日本のように話さないでも察してもらえるという状況ではない。話さないと生きていけなかった1年間のおかげで、物怖じしないで話せるようになりました。

 高校では生物部に所属していました。小さい頃から父と一緒にサツキの盆栽を育て、山野草の採集に行っていたので、高校入試の面接で「趣味は盆栽と園芸です」と答えたら、入学直後に生物の先生に「生物部に入りなさい」とスカウトされたんです。この先生は本当に尊敬できるすてきな先生で、いろいろなことを教えていただきました。

~文科三類から理学部へ、道は自分で切り開く~

 留学から帰って来ると同級生は受験勉強の最中でした。当時アメリカの高校の卒業証書を認める大学はICU、お茶の水女子大、東大くらいしかなかったので、自分の好みと受かりそうなところを考えて、東大の文科三類を受験して合格しました。
 私は1960年生まれで、中学生の頃はビアフラの飢餓に関心があり、なんとか地球上から飢餓をなくせないものかと思っていました。食料問題は資源問題であり、環境問題でもあります。それで大学に入った時には環境問題に興味が移り、国連環境計画に就職しようと考えていました。ところが、行きたかった「国際関係論」に落ちてしまい、どうしようかと迷った末、理系に進学することにしました。もともと生物が好きでしたし、高校留学時代にハーバード大学を見学する機会があり、そこで大学とは文系と理系の両方の知識を身につけるところだと教えられたので、理系に進学することにハードルは感じませんでした。

 その時の選択肢が理学部地理か農学部農業経済だったので、地理を選びました。地理は、いろいろなものを総合的に見る学問なのでおもしろそうだと思ったんです。その時の募集要項に「文系からは理系志願者で定員が満たないときに進学できる」とあったのですが、欠員があるかどうかに自分の運命を任せたくなかったので、当時の教務主任の先生に「私はこんなことをやりたいと考えています。これだけ語学を学んでいます。それを武器に文系でも頑張れます。」と話しに行きました。そしたら、その年の定員が一人増えていて、地理学科に進学できました。

~大学院では宍道湖のシジミと環境の関わりを研究~

 地理学科に進学する以前の教養1年の時に、環境について教えていた西村肇先生の全学ゼミを取り、そのご縁で地理進学後も私は西村研に出入りしていました。当時先生は島根県の宍道湖の環境アセスメントの是非に関する検討を県から依頼されていました。宍道湖は海水と淡水が混じる汽水の湖で、味噌汁にいれるシジミが日本一採れます。この湖を淡水化し隣の湖を干拓して米を増産するというという国の大型公共事業が戦後に始まり、1980年代には反対運動が起こっていました。「淡水にすると宍道湖の環境は良くなるのか悪くなるのか」、私は生物の分布からこの課題に取り組もうと、「汽水の底生動物と環境要因との対応」を卒論のテーマにしました。

 大学4年の時には就職も考えましたが、宍道湖問題が自分の中できちんと片がつくまでやってから就職しても遅くないだろうと思って修士に進み、そのまま博士まで行って、宍道湖の研究、シジミの研究をしました。私が博士課程にいたときに、宍道湖の淡水化は凍結されました。

 博士論文のテーマは、平たく言えば、汽水性のシジミがいることが水質浄化にどのような影響を与えているか、でした。それが明らかになれば、宍道湖を淡水化するとその機能が失われることから、淡水化によって水質がよくなるのか悪くなるのかという、当時真っ二つに割れていた見解に解答が出ると考えたからです。今では当たり前のように「二枚貝がいなくなると水質が悪くなる」と言われますが、二枚貝による水質浄化効果を実環境で定量化したのは、私の論文が世界で初めてでした。

~理系の合理的な考え方は、人生にも役立つ~

 就職は順調でした。学位取得と同時に通商産業省工業技術院地質調査所(現在の産業技術総合研究所)に採用され、サンゴ礁と二酸化炭素の関わりなど、水環境に関わる様々な研究をしました。

 学生の頃に結婚はしていましたが、就職後に32歳で息子、37歳で娘に恵まれました。職住近接である上、職場と保育所までも10分たらずだったので、二人とも母乳で育てられました。宍道湖や石垣島などでのフィールド調査が欠かせなかったので、調査に出る時は途中下車して、大阪の実家に子供を置いて行きました。

 その後37歳で追突されて(交通事故)からは、離婚したり母が急死したりと、結構大変な状態が最近まで続きました。追突後は徐々に心身の機能がおかしくなっていきました。夕方には立っていられないほど疲れ、並行して英語が全くできなくなりました。いくつもの病院に通いましたが原因がわからず、「更年期障害」と診断されたこともありました。私は「絶対に脳に原因がある」と思っていたので、あきらめずに情報を収集していました。ある時、知人から「脳脊髄液減少症」という病気の情報をもらい、それだと思って専門家のいる病院に予約を入れました。1年待ちで診察してもらい、まさにこの病気とわかって、髄液漏れを止める硬膜外自家血注入(ブラッドパッチ)を受けて、最近になってだいぶよくなりました。物事を合理的に考える理系だったから、更年期と言われても「英語ができなくなる更年期などあるもんか」と鵜呑みにせず、体の不調の原因を突き止めることができたと思っています。

~モットーは科学者として誠実であること~

 私は水環境の研究をしていますが、市民運動とは一線を画して、科学者として確実なことだけを言うように心がけています。環境問題に関して、国がいつも間違っている、市民運動のほうがいつも正しいとは限りません。ですから私は、どちらに対しても、つまり市民運動に対してでも、間違っていることは間違っていると指摘していますし、それが科学者として誠実であることだと思います。また科学者は「こうすべきだ」という「意見」を言うべきではないと考えています。科学者の役割は科学的に裏打ちされた事実を伝えること、間違いがあれば指摘することだと、私は思っています。

~女性にこそ、理系的な考え方が必要~

 今の時代は情報が複雑になっているので、文系に行くか理系に行くかに関係なく、理系的な考え方、合理的な考え方が不可欠だと思います。ですから高校生の皆さんには、少なくとも高校までの理系の知識は男女ともに身につけてほしいと思います。とくに女性は子供を育てるので、生きていく上で何が安全なのか、どの情報が正しいのかを見極める力、自分で考える力が必要です。特に母親になると、子供達の10年先、20年先が気になるものです。だから女性が合理的にものを考えると、未来が良くなると思います。もちろん、理系の大学に進もうという女子高生、理系の研究者になろうという女子大生が増えるのは大歓迎です。

 私は、男性研究者としのぎを削って行う研究は女性が不利だと思うこともあり、自分にしかできない研究を心がけています。シジミの研究や1950年代の湖沼生態系激変に関する研究は、私が最初にやったので、私が第一人者です。ですから、女性研究者へのアドバイスとしては、女性でも不利にならない研究分野をみつければいいし、男性と同じである必要はないと思います。私は地理学を学んで研究者になってよかったと思うので、今後も女性の理系研究者がどんどん増えてほしいですね。

(2011年12月取材)

女子中高生の理系進路選択支援プログラム
※本インタビューは科学技術振興機構(JST)による「女子中高生の理系進路選択支援プログラム」の支援を受け、作成しています。

プロフィール:
山室真澄(Masumi YAMAMURO)
東京大学大学院新領域創成科学研究科環境学研究系自然環境学専攻
教授

1984年東京大学理学部地理学教室卒業。1991年同大学院理学系研究科地理学専門課程博士課程修了(理学博士)。同年通商産業省工業技術院地質調査所、2001年(独)産業技術総合研究所海洋資源環境研究部門主任研究員を経て、2007年より現職。

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