家族でハッピーをめざしながら
世の中の役に立つ研究を継続

東京大学環境安全研究センター 教授
辻 佳子
Yoshiko TSUJI

辻 佳子

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~世の中の役に立ちたいと思っていた子供時代~

 私はよくしゃべる活発な子供でした。6歳からバレエを始め、週3回レッスンに通っていたので、夢はバレリーナになることでした。でも、それとは別に、小学生時代から漠然と「世の中の役に立つ人になりたい」と思っていました。それも、キュリー夫人のように新しい発見をするとか、新商品を発明するとか、目に見える形で役に立ちたいと思っていました。

~数学が好きで、東大の理科二類に進学~

 中学・高校時代は数学が好きでした。「数学の問題を解いているときは、目がきらきら輝いている」と言われたことがあります。問題に取り組むことが好き、解き方を考える過程が好きだったので、自分は理系だと思っていました。バレエは趣味として高校3年まで続けていましたが、進学を考えた時に東大が選択肢に入りました。東大は最初の2年間は進む学部を決めなくていいので、将来何をやりたいのかわかっていなかった18歳の私にはそれが魅力的で、教養学部の理科二類に入学しました。

 当時は数学も好きでしたが、リアルな現象を解析していく化学もおもしろいなと思うようになっていました。それに「世の中の役に立ちたい」という思いは続いていましたので、3年で工学部の合成化学科(現応用化学科)に進学しました。

~卒論を経験して、研究者で生きることを決意~

 卒業間際までは、研究者になろうとは思っていませんでした。「研究者っていいな」と思ったのは、大学4年で卒論のための研究を経験したからです。工学部では4年になると、研究室に配属され卒業論文のための研究テーマが1人に1つ与えられます。専門の講義で興味を持った無機材料の研究を行っている研究室に所属し、まだ世の中で答えがみつかっていないテーマに対して実験装置を自分で組み、誰も答えを知らない現象を実験によって解明していきます。それまでは既存の事実を確認する学生実験しか行ったことがなかったので、「これは楽しい」と思いました。私が選択したテーマは無機材料を用いた自動車排ガス処理に関するものでしたが、私が目指す世の中に役立つテーマであり、また、とても良い結果が出たので、「研究っておもしろい、もう少し続けたい」という気持ちが強くなり、大学院修士課程に進学しました。

~電機メーカーへの就職、結婚、出産~

 世の中で製品になっているものに役立つ材料の研究をしたいと思っていた私は、当時は博士課程を出ると女性は就職先がほとんどない時代でしたので、修士号取得後、株式会社東芝に入社し、総合研究所に配属されました。就職活動が早い時期に始まる化学メーカーからもお誘いを受けましたが、電機メーカーの募集が始まるのをじっと待ち、サークルの先輩を頼って東芝に見学に行きました。女性研究者が多いのと職場の雰囲気が明るかったのが気に入ったので、就職を決めました。東芝では液晶ディスプレイの高性能化・低コスト化に貢献するための材料研究を行っていました。

 就職して2年目の春に大学時代からつきあっていた先輩と結婚し、2年後に息子が産まれました。私がやっていた研究を事業化することになった時に妊娠がわかり、製品化のプロセスすべてには立ち合えませんでした。それは残念でしたが、「新しい液晶パネルが生まれるのが先か、私の子供が生まれるのが先か」と皆が話題にするような暖かい雰囲気の職場でしたし、産休中も製品化プロセスの状況を上司が電話で連絡してくださり、自宅や研究所で可能なサポートを継続したので、自分も事業化に貢献しているという満足感はありました。自分の研究していたことが実際の製品に採用された達成感は格別で、ずっと研究者を続けていこうと決意した瞬間でした。

 産休明けは大変でした。子供を保育園に預けたのですが、すぐに風邪で熱を出し、その風邪が私にうつってなかなか治らず、つらかったですね。その姿を見た上司が、「やめることになっては大変だから、1、2ヶ月でも育児休暇を取るように」と勧めてくれました。その間に対策を考え、結局ベビーシッターと実家の母に育児を頼むことにしました。解決策があるのに無理をすると心にゆとりがなくなり、仕事にも集中できないので、お金はかかるけれどベビーシッターでこの時期を乗り切ったことは良かったと思います。

~アメリカで週3日の楽しい研究生活~

 夫は化学メーカーに勤務していますが、会社の留学制度により1995年10月から2年間渡米することになりました。子供が小さかったので別居は考えられなかったこともありますが、とにかくアメリカに行きたかったので、会社を辞めて同行することに決めました。翌年、2歳になった息子は現地の幼稚園に行くようになり、私は夫が留学していたカリフォルニア工科大学で働きたいと考えて就職活動をしました。そこで、私の液晶ディスプレイの研究実績から、ポスドク扱いでフルタイム勤務の研究員として話をもらったのですが、私は子育てもアメリカ生活も楽しみながら研究を継続したいと思い、週3回だけ働きたいと申し出て技術研究員として勤務することになりました。アメリカの生活はとても楽しくて、夫が留学を1年延長したので、計3年間いました。

~帰国後は大学で働きながら学位を取得~

 1998年10月に帰国し、私はまた専業主婦になりました。家族としてトータルでハッピーなのが一番と思っていましたし、生活が落ち着いたらまた働こうと考えていました。4歳半で帰国した息子が日本の生活に慣れるのを待って、就職活動を始めました。カリフォルニア工科大学で働いていた当時、招待講演で訪れた小宮山宏前総長(当時工学系研究科教授)とたまたま話す機会があり、その縁で小宮山研究室で週3回研究員として働かせてもらうことになりました。先生からは、同時に自分の研究も進めるように言われ、学位を取ることも勧められました。

 その後、小宮山先生が総長になられた際に、同じ専攻内の山口由岐夫教授の研究室に移り、そこで2006年に論文博士として学位を取得し、翌年特任助教になりました。私は当時、学位や肩書きがほしいと思った訳ではなかったのですが、学位論文を書くことで自分の研究を体系的に考え直すことができたので、自分のステップアップにつながりました。

 資源を有効に使った地球に優しい機能性材料の研究と実用化が、私のライフワークです。現在は、全学の研究・教育が安全に遂行されるための管理・教育も業務として行っています。

研究は楽しいので、好きならチャレンジして

~研究は楽しいので、好きならチャレンジして~

 理科系の学部に進学したいと思っている女子高生には、「研究は楽しいから、いらっしゃい」と言いたいですね。研究者として仕事を続けていくためには、ワーク・ライフ・バランスを考えることが大事だと思います。私は、子供のことを大事に考え、仕事のために子供の人生を振り回さないことに決めて研究生活を続けて来ました。現在は子供も大きくなったので、研究と学生の教育に重心を移しています。仕事一筋でいくか、家庭や子供を大事にするか、どんなライフスタイルを選んでもいいと思いますが、自分の生き方を決めるのは自分です。自分がやりたいことを決め、決めたことには責任を持って、「こうありたい」と思う目標にチャレンジしてほしいですね。
(2012年1月取材)

女子中高生の理系進路選択支援プログラム
※本インタビューは科学技術振興機構(JST)による「女子中高生の理系進路選択支援プログラム」の支援を受け、作成しています。

プロフィール:
辻 佳子(Yoshiko TSUJI)
東京大学環境安全研究センター
(大学院工学系研究科化学システム工学専攻・兼担)
教授

1988年東京大学工学部合成化学科卒業。1990年同大学院工学系研究科 工業化学専攻 修士課程修了。同年株式会社東芝入社研究開発センター、1996年カリフォルニア工科大学勤務を経て、1999年より東京大学大学院工学系研究科化学システム工学専攻研究員に。2006年に博士号(工学)を取得。2007年より同専攻助教、2011年より同専攻准教授、2017年より現職。

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