「なぜ?」の答えを見つける喜びを原点に
物理学の最新分野「量子情報」を研究

理学系研究科物理学専攻 教授
村尾 美緒
Mio MURAO

村尾 美緒

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~「なぜなぜ美緒ちゃん」と呼ばれて~

 小さい頃は何でも知りたがる子でした。みんなに「なぜ? どうして?」と聞きまくっていたので、近所の人たちにも「なぜなぜ美緒ちゃん」と呼ばれて恐れられていました(笑)。「空はどうして青いの?」というような質問だけでなく、母に「これをしなさい」と言われても「なぜ?」と聞いて、理由を納得しないとやらない子どもでしたから、強情でかわいげがなかったかもしれませんね。母は「やれと言ったらやりなさい」と怒っていましたが、父は「ちゃんと言わなくてはわからないよ」と私の味方をしてくれました。妹が一人いますが、妹は私と違って、なぜなぜっ子ではありませんでしたね。彼女が「なぜ」と聞く前に私が先に答えを教えてしまっていたからかもしれませんが。

~三角形の内角の和が180度になることに感動~

 小学校では理科と算数が好きでした。父が工学系の研究者で、6歳くらいのころに一緒にいろいろな実験をして遊んでくれました。それも理科が好きになった理由の一つだと思います。算数は、考えるのは好きでしたが計算を間違えずにきちんとやるのは苦手でした。今でも細かいことをきちんとやるのはあまり得意ではありません。アルゴリズムがわかっているのと、それを間違えずに実行できる能力は必ずしも同じではないということですね。

 算数では、「どんな三角形でも内角の和は180度になる」ことを知って、とても感動したのを覚えています。こういう普遍的なことを見つけるのを本当に楽しいと思う子どもでした。ところが、父にこの話をしたら「必ず180度になるとは限らないのだよ。周りを探してごらん」と言うのです。それであちこちを探し回り、ふと地球儀を見ていて発見しました。平面ではなくて地球儀の曲面上の三角形の内角の和は180度ではないのです。この発見もすごくおもしろいと思いました。

~費用対効果のよい物理が得意科目に~

 中学は地元の国立大学の附属に進みました。理科の先生がおもしろい先生で、1年に何回か自分の好きなことをやっていい授業がありました。私は液体を混ぜると色が変わるのを見るのが好きだったのですが、透明な液体と透明な液体を混ぜると赤色になって、どうして透明な物から色が生まれるのか不思議でした。磁石も、電池などで外部からエネルギーを供給せずに金属を動かすという仕事ができることが不思議で、そうしたことを「なぜだろう?」と考えるのが好きでした。

 高校は県立の進学校に進みました。ここで初めて物理を「物理」の授業として習ったわけですが、論理立てて考えれば問題が解けてよい点が取れたので、物理が得意科目になりました。他の科目は暗記が必要だけれど、物理は考えれば公式もその場で導くことができて解けるので、かける時間や努力を考えると、私にとっては費用対効果のよい科目だったのです。

~苦手な英語が二次試験にないお茶大物理に進学~

 高校時代は英語の勉強が嫌いで、二次試験で英語が必要ないお茶の水女子大学の物理学科を受験し、進学しました。でも、大学に入ったとたんに物理が大嫌いになりました。なぜなら、微分方程式の解き方を覚えないと先に進めなくなったからです。「考えれば解けるのがおもしろくて物理に進んだのに、結局暗記が必要なのか」と思ってがっかりしました。

 すっかりやる気のなくなっていた私を救ってくれたのが「量子力学」との出会いでした。これは必修科目だったのですが、見る視点を変えると物の見え方が変わることや、これまでの常識では一見不可思議なことが、思い込みを排除して前提を変えることですべてきちんと説明できることに感動して、「おもしろい。私がやるのはこれしかない」と心に決めました。それからはがぜんやる気が出て、2年生の後半からはほとんど全部の科目で優を取りました。

 大学時代の後半には英語も苦手ではなくなりました。3年生になって友人とヨーロッパを旅行して「英語ができると世界が広がる」と感じたのがきっかけです。英語でニュースやテレビドラマを見るようにして、台詞の物まねをするようにしていたら、だんだん英語力がついてきたように思います。

~研究者として生きることを決意し、戦略を練る~

 大学院に進み、修士課程を終えたら就職するつもりでした。「量子力学」を使える仕事がしたいと思って就職先を探したのですが、これと思える会社がなくて、そのまま博士課程に進みました。その時に、「ただ研究が好きというだけでは職業にならない、職業として研究者の道を進むには、戦略を練らなくては」と真剣に考えました。自分の得意分野を見極めて、そこを伸ばさないと将来はないし、人があまりやってない分野で論文を書かないとだめだと思いました。当時、「量子暗号」というものが日本で紹介され始めた頃で、私はスパイ小説も好きだったので、量子力学と暗号の思いがけない組み合わせにわくわくし、量子力学をまったく新しいことに利用してみたいと考えました。

 新天地で研究にチャレンジしてみたい、という思いも高まっていたので、ドクターからは外国で研究したいと考えてドイツの大学院に行くつもりでドイツ語学校にも通ったのですが、奨学金の選考に落ちてあきらめました。その代わり、ドクターコースの同級生と二人でヨーロッパの「物理学会」と名の付くところに手紙を出しまくって、研究者向けの「サマースクール」の情報を集めました。ドクター1年の夏には、返事をくれたイタリアとドイツのサマースクールに二人で参加しました。はじめて体験した英語の授業でしたが、すべてが新しく楽しかったですし、海外の同年代の研究者たちと知り合うことのできた貴重な体験でした。一人では行くことを躊躇したかもしれないので、一緒に行く仲間がいたのは本当に幸いでした。後に夫となるイギリス人の研究者とも、ドイツのサマースクールで出会いました。

~結婚、博士研究員としてロンドンへ~

 ドクターを取ったあとは、アメリカのハーバード大学の博士研究員として短期間勤めました。ハーバード大学では、周りの皆が自分より優秀に見えて落ち込みました。私はそれまで女子大でのんびり過ごしてきたのですが、他の研究員は世界中から選抜されたアグレッシブな方々が多く、見るからに賢そうで、私はすっかり自信を無くしてしまったのです。そんな気持ちを同僚に愚痴ると「みんな賢そうなフリをしているだけ」と慰められました。それを聞いて気が楽になり、「自分はダメだと思って何もしなかったら、どんどんダメになる。考えてもしょうがないことを悩むのはやめて前進しよう」と思うことができて、論文を1本仕上げました。

 その後結婚し、英国ロンドンのインペリアルカレッジの博士研究員になりました。夏のロンドンは快適でしたが、冬のロンドンは天気が悪くて気分が落ち込みました。同じ物理学の研究者だった夫はビジネスマンになっていて出張が多く不在がちでしたし、研究も教授からのレスポンスがなくて、「何もかもがうまくいかない」という焦燥感に悩まされました。この時も同僚に自分の辛さを愚痴ったのですが、その同僚から「量子情報の研究チームがあるから、そこに入ったら」と勧められたのです。量子情報とは、量子力学を情報処理や情報通信に利用しようとする新しい学問で、ドクター進学のころに心を踊らせた量子暗号もこの分野に含まれます。これが、私が今研究している「量子情報」との出会いでした。このチームに入って研究をはじめたことで、私の今があります。ですから、辛い時は一人で考え込まずに、周りに愚痴って思いを吐き出すといいと思いますね。客観的な意見が聞けますし、自分の気持ちの整理もできますから。

日本に戻り、東大の理学系研究科へ

~日本に戻り、東大の理学系研究科へ~

 インペリアルカレッジでの研究は楽しく、3年目は学部の演習を受け持つなど興味深い経験をしましたが、夫が今度は日本で働いてみたいと言うので、日本に戻ってきました。夫は勤めていた会社の日本支社に転勤したのですが、私は一から職探しを始め、理研で研究員をした後東大の理学系研究科に勤めることになりました。着任して初めて、物理学科の助教授以上では私が初めての女性教員だったことを知り、驚きました。赴任する10日前に男の子を出産したので、そのまま産休に入り産休が終わってからここに来ました。女性の先任者がいなかったのでロールモデルがなく、何事も手探りでした。失敗や遠回りも色々しましたが、逆に先例がないことで、自分がやりたいようにやってみる自由度がありましたので、チャレンジ好きの私には、それはそれでよかったと思います。

 保育園がみつからなかったので、子どもの世話はベビーシッター頼みでした。お金はかかりましたが、ほかに選択肢がありませんでした。その後、実家の母にも手伝ってもらうようになりました。息子は今10歳で、小学校に通っています。子どもを観察するのはおもしろいですよ。私と違ってなぜなぜっ子ではありませんが、不気味なくらい似ているところもあります。

~自分にしかできないものがあると強い~

 理系が好きで、理系の大学に進みたいと考える人は、「どうしてだろう?」と疑問に思い、自分が納得できる道筋を考える習慣をつけるといいと思います。さらに、自分の特色を生かすことを考えるといいですね。「その人しかできない」という意味でユニークな人、他に代わる人のいない唯一の人になると強いと思います。さらに、そういうユニークな人たちが協力しあうことで、これまで世の中に存在しなかった新しい価値を生み出すことができます。

 私は自分の学生にも「人と同じ山に登りたがるな」とアドバイスしています。既に多くの人がやっている研究分野で皆と同じ目標を目指すのではなく、人が登っていない新しい山を見つけて登るという道があるのです。いい山かどうかわからなくても登ってみて、だめだったら下りて新しい山を探せばいいのです。失敗を恐れずチャレンジし続けることが大切です。東大では、こういうチャレンジ精神にあふれる元気な学生は、むしろ女子の方に割合が多いかもしれません。私は、東大に理系の女子大生がもっともっと増えてほしいと願っています。
興味があったら、ぜひ学びに来てください。

(2012年3月取材)

女子中高生の理系進路選択支援プログラム
※本インタビューは科学技術振興機構(JST)による「女子中高生の理系進路選択支援プログラム」の支援を受け、作成しています。

プロフィール:
村尾 美緒 (Mio MURAO)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻
教授

1991年お茶の水女子大学理学部物理学科卒業。1996年同大学院人間文化研究科人間環境学専攻博士課程修了(理学博士)。米国ハーバード大学博士研究員および英国インペリアルカレッジ博士研究員を経て1999年理化学研究所基礎科学特別研究員。2001年東京大学大学院理学系研究科助教授に着任、2007年職名変更に伴い准教授、2015年より現職。2010年6月~2011年6月東京大学男女共同参画室室長。

 

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