楽しいから、もう少し続けたいと思って
いるうちにライフワークになりました。

物性研究所 教授
森 初果
Hatsumi MORI

森 初果

インタビュー一覧 > 森 初果

~テニスと実験が好きだった高校時代~

 東京の公立中学から都立高校に進み、自由な校風の中で楽しい高校生活を送りました。文化祭は、映画を撮影したり、また体育祭はチアリーディングで応援をしました。クラブは硬式テニス部で、中休みに早弁をして、昼休みもテニスをして真っ黒でした。

 化学の先生が実験好きで、その実験が面白かったのが、私がこの道に入ったきっかけです。金属錯体化学の実験で、含まれる金属イオンによって液体の色が紫、青、ピンク、赤に変わる色の美しさに魅力を感じました。その時、「アルミナは透明だけれど、それに微量のクロムが入ると赤い宝石のルビーになり、チタンと鉄が入ると青いサファイアになる」という話を聞いて、ほんの数%で色が変わるのを、大変面白いと思いました。その時、「先生、どのようにして色が決まるのですか?」と質問したら、「それは大学の無機化学で学ぶよ」という返事で、「物質の性質を学べる化学科もいいな」と思いました。数学をはじめ、理系の科目は大好きで、化学か物理かを迷ったのですが、化学は、有機、無機化学ばかりでなく、物理化学から生物化学まであり、間口が広そうだと感じて、お茶の水大学の理学部化学科に進学しました。

~性格を変えた留学体験~

 大学では、オーケストラクラブに入って、バイオリンを始めました。ピアノは子供の頃から弾いていたのですが、バイオリンは初体験でしたが、オーケストラで、ブラームスの交響曲第3番、チャイコフスキーの交響曲第4番などの演奏に参加できたのは貴重な経験でした。

 大学3年の時に、機会があって米国、ニューヨーク州の隣のニュージャージー州立大学に化学科の3年生として編入し、1年間寮生活をしながら学びました。学部の寮は人種のるつぼで、白人、黒人、ヒスパニック、アジア人と多様で、同じアジア人でさえ国によってパーソナリティが大きく違うことを知りました。この留学体験で、「世の中には種々の考え方をもつ人がいて、その中で個々がアピールし、皆でネゴシエーションすることで物事が進んでいくこと、さらにその多様性を受け入れるがために、アメリカが幅の広い国となっている」ことを肌で感じて、そこから性格が変わりました。それまでは話すより人の話を聞く方が好きで、石橋を叩いて渡るタイプだったのですが、留学から帰ってからは、やりたいことにチャレンジするようになりました。そのほうが楽しいことに気づいたのだと思います。

~研究のおもしろさを満喫した修士時代~

 大学4年生になり、有機半導体の輸送現象や光物性を調べる物理化学の丸山有成教授の研究室に入り、卒業研究には「室温超伝導を目指した新しい分子内電荷移動錯体の開発」という大きなテーマを与えられ、研究することは夢を実現することだということを教えられました。ところが、4年生の卒業前の2月に、丸山先生が愛知県岡崎市にある「分子科学研究所」の教授に転任されることになりました。卒論の研究テーマを続けるために大学院に進学することに決めていたので、先生の勧めもあり、岡崎に先輩と2人で引っ越しすることを決心し、お茶大に籍を置き、分子科学研究所の受託生として研究、勉強を続けました。

 岡崎の研究所に行き、私は初めて多くの「研究者」に出会いました。大学では研究者も先生ですが、ここでは格好も時間も気にせず、人生を賭けて楽しそうに研究に没頭している人がたくさんおられて、その姿に心を打たれ、「研究する面白さ」を知りました。私もここで「銅線のように電気を流す有機物質の合成やその物性研究」にのめり込みました。お茶大から修士課程の女子学生が2人研究所に来所したのを大変珍しがられて、週3回程、研究所の老若男女で飲み会が開かれ、大いに語りあったり、朝連をして研究所のテニス大会に出場して優勝したり、研究所で公私共に過ごす毎日でした。2年間という短い時間でしたが、創立して10年と伸び盛りの研究所で研究する機会を得て、その後の人生の方向性が与えられたと感じます。

~もう少し研究が続けたいと思い、物性研究所へ~

 修士課程修了後は自宅に近い大手電機メーカーに就職することになっていたのですが、私が「もう少し研究がしたい」と思っていた時に、岡崎市の分子科学研究所で共同研究者としてお世話になった斉藤軍治先生から「東大の物性研究所の文部技官のポストが空いているから来ないか」というお話がありました。先生は物性研究所の助教授になっておられ、私も公務員試験にも通っていたので、当時六本木にあった物性研究所に就職しました。私が就職した年である1986年(昭和61年)は、男女雇用機会均等法が施行された年でもあり、お茶大の先輩、後輩を見ても、我々の年齢あたりから、仕事とライフイベントを両立している人が多く、法整備の大切さを感じます。

 技官として斎藤研究室に就職し、研究室の雑用もしましたが、先生には「好きな研究も続けて良い」と言われ、「有機超伝導体」を作りたいと思い、物質開発を始めました。そして、技官2年目に「有機結晶において、世界で一番高い超伝導転移温度をもつ物質」を発見しました。ある指針を持って物質を合成したのですが、その性質を調べると、私の思いをはるかに超えており、自然の豊かさを感じて、「物質開発は面白い!」と思い、それまで以上に本格的に研究したいと考えるようになりました。

 物性研究所では3年間お世話になったのですが、斎藤先生が教授として京都大学に転任されるのを機会として、東大を退官された田中昭二先生が初代所長をされた財団法人「超電導工学研究所」に転任し、13年間在職しました。

~保育園の必要性を体験して、事業所内保育園の開園へ~

保育園の必要性を体験して、事業所内保育園の開園へ

 転職前に、岡崎の研究所で知り合った方と結婚し、超電導工学研究所の名古屋研究室で、有機超伝導体の研究を続けました。そして、それまでの研究成果を論文にまとめて、1992年に東京大学で博士号を取り、その翌年に子どもが生まれました。さらに、パートナーが東京の大学に転任することになり、私も1994年に「超電導工学研究所東京研究所」に転勤を願い出ました。東京研究所では、ちょうどエックス線装置を立ち上げる人を探しているところだったので、ニーズが一致して、研究場所が東京の江東区となりました。

 この時期は、保育園を探すのが本当に大変でした。名古屋で生まれた時にも、生後3ヶ月から入れる保育所を探すのが一苦労で、東京でも半年だったので大変厳しく、預かってもらえる保育園を探せたときの喜びは今でも忘れがたいもので、これで仕事が続けられることにほっとしたのを覚えております。ゼロ歳児の時は、自宅と職場から遠かったので、子どもをバスで送り届け、職場へは自転車で往復と、10kmの距離を2往復しており、若くて、研究を続けたい一心だったのだと思います。引越しのときは、職場で実験器具をダンボール100箱近く自分で詰め、また東京では、荷を解いて実験を再開しました。

 保育園探しの大変さを経験したので、2008年度の東大130周年の時に小宮山(元)総長が「事業所内保育園を設立」と言われたのを聞いた時、柏キャンパスにも開園される様、お願いしました。私は2001年に東大の物性研究所に戻って助教授に着任したのですが、当時、物性研究所は出産ラッシュでした。皆、切実に保育園を望んでいたので、「保育園を作れば学生、留学生も勉強を続けることができ、女性研究者も増えます」と提言し、準備委員、運営委員として参加しました。東大に4つの事業所内保育園が次々と開園した時は、仲間の女性研究者と共に、夢がかなったと喜び合いました。

~物質科学(面白い物質を新しく作り、性質を調べる)の魅力~

物質科学(面白い物質を新しく作り、性質を調べる)の魅力

 最近、物質開発のキーワードとして「元素戦略」が研究施策として報道されています。日本は天然資源に乏しい国ですので、希少な元素を用いず、ありふれた軽元素で、同様の機能を有する物質の開発が必要となっています。また地球の環境維持のためにCO2削減を推進するエネルギー利用も必須となります。さらに最近は福島原発由来の放射線の問題で、太陽、風力、地熱などの自然エネルギーを、電気、化学エネルギーに変換する必要性など、物質科学として、資源、環境、エネルギー問題を解決する方法の模索が課題となっています。
 その中でも、我々は電子材料(エレクトロニクス)を対象としていますが、現在実用としては、半導体はシリコン、透明電極は酸化チタン、導電線は銅、超伝導線はニオブーチタンなど、無機物質が利用されています。

 しかし希少な元素に関しては、輸入が必要ということで、最近炭素、水素など軽元素を構成成分とした有機材料に注目が集まっています。例えば、有機ラジカルを用いた電池の開発、有機半導体を材料とした有機トランジスタ、自己発光型で、液晶より薄型のディスプレイとなる有機EL(エレクトロルミネッセンス)などが開発されています。有機物質は室温で溶媒に溶けて印刷でき、真空蒸着のプロセスの必要が無いこと、無機物より柔らかくて加工がしやすいこと、また元素は100余種類ですが、有機分子は5000万種類もあって、さらに分子設計、合成が可能だということなど、その多様性ゆえに、次世代の材料として成長している分野です。私も、卒業研究から今まで、一貫して金属、あるいは超伝導となる有機物質の物質開発を続けており、最近は純有機単成分で金属的な性質を示す物質を開発しました。また、卒業研究の課題となっていた室温超伝導の夢は大きく、様々なアプローチで挑戦しています。

 物質科学は、新しい物質を作ると同時に、特殊な環境下で新しい現象を見出す学問領域でもあります。我々の研究所の見学で、中高生の皆さんに驚かれるのが「暖かい氷」です。室温で水に1万気圧をかけると、氷となりますが室温なので冷たくなく、また水にも沈みます。このように、高圧力下で、物質は特別な性質を示しますし、また、地球内の高温、高圧での状態を理解することもできます。また、光については、カラーテレビーは赤、青、緑で三色を同じ強さで混ぜると白、カラープリンタは、マゼンダ、シアン、イエローで3色を同じ割合で混ぜると黒となるのが知られています。人間が感じる光の波長は400-800nmですが、それより1/10-1/100程度の波長の軟X線を用いて、世界一短いアト秒のパルス光の発生に我々の研究所は成功し、ストロボ写真で見るように、電子の動き、ひいては化学反応を見ること可能となってきています。

 中高生の皆さんには、化学、物理、生物、工学の境界領域であり、魅力ある物質科学の分野を是非知っていただきたいと思います。

~自分が面白い、楽しいと思うことにチャレンジして~

 理科系に進むかどうか迷っている中高校生がいたら、興味のある分野について、積極的に話を聞きに行くのが良いと思います。東大でも、平成24年度に科学技術振興機構(JST)の支援を受け、「女子中高生の理系進路選択支援」のプログラムとして、理系の約10の部局が様々なイベントを開催します。柏キャンパスでも毎年一般公開が開催される10月の最終土曜日(平成24年10月27日(土))に、物質の性質を研究している物性研究所、生物の研究をしている新領域創成科学研究科、海の研究をしている海洋研究所が合同で、午前中に実験を体験、午後に先輩の話を聞くイベントを行っています。実験をしている中高校生の目の輝きを見ると、昔の自分を思い出して、「私も、この実験が面白くて研究を始めたのだな」と感じます。

 最近読んだ本の中に、1926年に人類初の液体燃料ロケットを飛ばした米国のロバート・H・ゴダード博士の話がありました。彼は、その当時は、空気の無い宇宙にロケットを飛ばすという夢を周りの人に笑い飛ばされていたようですが、強く信じ続けて実現しました。彼の言葉の中に次のフレーズがあります。It is difficult to say what is impossible, for the dream of yesterday is the hope of today and the reality of tomorrow. 「何が不可能であるかを言うことは難しい。昨日の夢は今日の希望であり、また明日には現実となるからだ」。中高生の皆さんも、是非自分の持っている夢に向って、果敢にチャレンジしてもらいたいと思います。

(2012年3月取材)

女子中高生の理系進路選択支援プログラム
※本インタビューは科学技術振興機構(JST)による「女子中高生の理系進路選択支援プログラム」の支援を受け、作成しています。

プロフィール:
森 初果 (Hatsumi MORI)
東京大学物性研究所
教授

東京都出身。1984年お茶の水女子大理学部化学科卒業、1986年同大学院理学系修士課程修了。東京大学物性研究所文部技官、超電導工学研究所研究員、2001年東京大学物性研究所助教授を経て、2010年より現職。東京大学男女共同参画室環境整備部会長。

森研究室のページ

©東京大学