本書は、20世紀イタリアを代表する作家の1人であるディーノ・ブッツァーティ (1906-1972) の短編集の翻訳である。ブッツァーティは、大手新聞社「コッリエーレ・デッラ・セーラ」に勤めるジャーナリストとして活躍するかたわら、小説や戯曲を書き、生の不条理や日常世界の背後に潜む神秘や謎を幻想的・寓話的手法で表現した。画才にも恵まれ、絵画作品も数多く残している (本書の表紙絵も作者が描いたものである)。長編小説『タタール人の砂漠』が代表作とされるが、短編の名手としても名高い。
『動物奇譚集』は、作者の歿後に編まれたアンソロジーで、動物が登場する36編の物語が収録されている。動物が描かれるといっても、そこは幻想文学の作家の手になる作品だけに、動物が擬人化されたり、言葉をしゃべって人間に物申したり、怪物じみた不気味な存在感を示したり、想像上の生き物が登場したり、人間が動物に変わり動物が人間に転生したりする。ブッツァーティの描く動物たちは、人間に虐げられる弱々しい存在であるかと思えば、人間に不安や恐怖をもたらすものであったり、人智を超えた謎や神秘を象徴していたりもするのだ。
個々の短編のテーマはさまざまだが、全体を通して浮かび上がってくるのは、人間と動物の関係をめぐる問題意識である。たとえば人間の動物に対する搾取や虐待を、作者はあるときは憐れみと憤りをもって、またあるときは痛烈なアイロニーを込めた語り口で語り、また別の作品では、超自然が影を落とす不穏な物語に仕立てている。
デリダやアガンベン、シンガーといった現代の思想家たちは動物をめぐる問題を再検討し、人間と動物の区分の恣意性や人間から動物への支配や暴力や搾取の問題を取り上げてきたが、ブッツァーティは、彼らに先んじて同様の問題意識を作品の中に取り込み、物語化している。環境破壊や種の絶滅といった事柄にも時代に先駆けて目を向けており、想像力を基盤とする「文学」の果たす役割と力を再認識させる。動物の立場にも共感しうる想像力を駆使してブッツァーティが描く動物たちは、「人間とは何者か」という問いを私たちに絶えず突きつけてくる。文学研究の分野では動物の表象に着目した研究も少なからず見られるようになってきている今日、ブッツァーティの動物物語は注目に値する興味深い対象でもあろう。
とはいえ、本書はけっして堅苦しい本ではない。読者をにやりとさせるユーモアあふれる話もあれば、SF的な趣向の作品や怪談話などもあるので、気軽に手に取って頂きたい。そしてイタリアにはこんなユニークな作家がいるのだと感じて頂ければ、訳者冥利に尽きるというものである。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 助教 長野 徹 / 2023)
本の目次
動物界のファルスタッフ
ひとりぼっちの海蛇
いつもの場所で
空っぽの牛
川辺の恐怖
驚くべき生き物
船上の犬の不安
狼
アスカニア・ノヴァでの実験
蠅
鷲
英雄
警官の夢
彼らもまた
豚
しぶとい蠅
進歩的な犬
日和見主義者
ティラノサウルス・レックス
大洪水
興行師の秘密
古き友人たちは去りゆく
憎しみの力
実験
敗北
エンジン付きの野獣
出世主義者
兵士の場合
チンパンジーの言葉
海の魔女
舟遊び
恐るべきルチエッタ
犬霊
動物譚
塔の建設
訳者あとがき
関連情報
第5回須賀敦子翻訳賞 (イタリア文化会館 2023年)
https://iictokyoblog.jp/?p=13534
書評:
朝宮運河 評「動物を題材にすることで際立つ味わい」 (好書好日|朝日新聞 2022年6月25日)
https://book.asahi.com/article/14652815
杉江松恋 評「寓意のこもった短篇集~ディーノ・ブッツァーティ『動物奇譚集』」 (WEB本の雑誌 2022年3月31日)
https://www.webdoku.jp/newshz/sugie/2022/03/31/161300.html