令和5年度 東京大学卒業式 総長告辞

令和5年度 東京大学卒業式 総長告辞

みなさん、卒業おめでとうございます。思い起こしますと、みなさんの多くが入学された令和2年度から、全世界を覆った新型コロナウイルス感染症のため、授業はオンラインが中心となり、学生生活もさまざまに制限されました。みなさんは多くの戸惑いと不安を感じたことでしょう。東京大学としても、経験したことのない厳しい事態でした。この困難を仲間と共に乗り越えたみなさんが、晴れて卒業の日をむかえ、新たな一歩を踏み出すことを本当にうれしく思います。

今日はみなさんに、これからの世界そして社会を創っていくにあたってお伝えしたいことを、私が本学で学んでいたころに興味を持っていた「海」を巡る実例なども交えながらお話しします。海のことに限らず、広い意味でのみなさんの今後のアクションにつなげていただければと考えています。

さて、これからみなさんは実社会に出て、あるいは進学して、新しい人びとと関わりあうことになります。東京大学という、ある意味では「特殊な」環境で安心して学べていた生活とは異なり、さまざまな課題が目の前に渦巻く、海への船出です。ときには、自分と考えの異なる人びとと鋭く対立することもあるでしょう。現実社会には多様な価値観があるからです。

「良い海」と聞いて、みなさんはどんな海を思い浮かべるでしょうか?みなさんがスキューバダイビングのファンなら、透き通った真っ青な海とカラフルなサンゴ礁を思い浮かべるかもしれません。しかし水が透明なのは、栄養が少ないからで、海の生物にとって望ましいとは限りません。東京湾の漁業者は「ちょっとぐらい海が濁っていた方が魚も貝もおいしい」と言います。かつて「瀕死の海」と呼ばれるほど濁っていた瀬戸内海は、今では栄養塩が減り「きれい」になりすぎて、水産業にマイナスの影響が出てきました。また、もし環境保護団体のメンバーなら、ウミガメやジュゴンなどの希少な種が生息する海こそが望ましく、大切にすべきだと考えるでしょう。他方で、カーボンニュートラル社会を目指して洋上風力発電施設を建てようとするなら、少しぐらいの台風や災害ではびくともしない頑丈さ、これを許容する海を「望ましい」と感じるかもしれません。このように、海にはその恵みをめぐって、多様な望ましさがありうるのです。それゆえ、ある側面で「望ましい」利用や保護が、他の立場からすれば「反対すべき」開発や制限であったりします。場合によっては、海洋プラスチック問題のように、誰ひとりそうした結果を望まないまま、地球規模の汚染が進んでしまう、ということさえあるのです。

本日卒業されるみなさんには、深刻な対立や複合的な矛盾が、この社会の現実として存在する、ということから目をそらさないでいただきたいと思います。そして、その解の模索においても、多様性の尊重が大切になります。力で押さえこむ画一的な解決は、社会的な弱者や声を上げられない人びとに、不条理な犠牲を強いるかもしれません。たとえ相手と自分の主張が鋭く対立し、相互理解や信頼の醸成が不可能に思われたとしても、あきらめずに関わりあい、対話の場をつくり続ける意志と態度を捨てないでください。世界の分断が進む現在だからこそ、以前にも増してそうした多様性に開かれた対話によって可能性を模索する志が重要になっています。

一方、気候変動や生物多様性の喪失、パンデミックや、エネルギー資源をめぐる問題、食料の不足、情報技術や人工知能の急速な発達、さらにウクライナやガザ地区をはじめとする地政学的な不安定さの増大など、現在われわれは実に多くの世界規模の課題に直面しています。みなさんには、東京大学の卒業生として、それぞれの立場でこれらの解決やその手がかりを見出すことに貢献してほしいと願っています。

先ほど、望ましい海の一例として漁業の話にふれました。日本をふくむアジアは世界の漁業生産の7割を占めており、世界の漁業の中心です。一方で、この海域にはいまだ多くの違法漁業が存在し、乱獲状態にある水産資源も少なくありません。また、世界で人口1,000万人を超えるメガシティーのうち半数以上がアジアにあり、先ほどふれた海洋プラスチックなどの汚染が最も深刻なのもこの海域です。日本をふくむアジアの国々が連携し、こうした水産資源問題や海洋汚染問題を解決していくことは、世界の海の持続可能性への直接的な貢献でもあります。

解決には法の整備も重要です。世界の海の利用に関する権利・義務関係を定めているのが、“海の憲法”でもある国連海洋法条約です。また、国をまたいで移動したり取引されたりする種の保護や多様な生態系の保全を行うのは、ワシントン条約や国連生物多様性条約です。これら国際法の解釈は、国によってさまざまですが、かねてから欧米中心主義的な傾向があると指摘されてきました。

洋上風力発電にしても、欧米諸国では発電機の基礎部分を海底に打ちこむ“着床式”の技術が普及していますが、日本では海の上に浮いた状態で発電する“浮体式”の技術開発を進めています。着床式は、浅い海にしか設置できません。しかし浮体式は、水深の深い海域にも対応できます。台風や津波が来ても、上下左右の揺れに対応する「遊び」があるため、崩壊や漂流も避けられます。海洋災害に強い洋上風力発電の普及が、世界のカーボンニュートラル化を推し進めるかもしれません。

また日本は2018年に国際捕鯨委員会IWCを脱退しましたが、海を食料生産の場としてみるのか、あるいは自然を守るためのサンクチュアリ(聖域)とみるかは、文化にもとづく大きな立場の差があります。捕鯨問題も利用対聖域の二項対立で片付けるのではなく、生命・環境を守る規制や保護区を設定しながら生業・産業の持続を可能にするあり方にまで議論を進めないと、妥協点を見いだすことができません。

もちろん世界の諸地域はさまざまな事情を抱え、アジアのなかにも多様な国と地域があります。G7で唯一の非欧米国である日本が欧米以外の地域の視点を忘れず、国際的対話をリードする役割をになうことは極めて重要です。みなさんはこれから世界で活躍されるでしょうから、それぞれの立場で、それぞれの場所から、グローバルな視点で見たときの自分の個性や強みを活かして、世界の公共性に創造的に貢献していただきたいと思います。

さて、本日最後のメッセージは、これからの東京大学とみなさんとの関係についてです。

近年、科学技術開発においては、RRI:Responsible Research and Innovation、「責任ある研究とイノベーション」という概念が重視されています。これは、望ましい社会像や価値を明確に意識し、研究の初期段階からさまざまな立場のステークホルダーに参画してもらい、社会のニーズや問題意識、価値観を包摂することによって、社会的に好ましい方向へ責任をもって科学技術を発展させるという考え方です。

海についても、近年さまざまな新技術や大規模実験が提案されています。気候変動緩和のために、大量の鉄を海に散布して植物プランクトンの成長を促進させCO2吸収率を上げる技術、火力発電所などで発生するCO2を回収して深海や海底に注入する技術、海水で大量の雲を発生させ地上に到達する太陽光を調節する技術などの案が出されています。激甚災害を引き起こすことが懸念されている台風については、航空機から水やドライアイスを台風暖気核へ散布してエネルギーを弱める制御技術なども検討されています。

これらの計画はいずれも新しい可能性ですが、同時に大きな不確実性も有しています。たとえば台風制御技術の場合、気象現象そのものは最先端の観測と流体力学のシミュレーション技術を用いて一定の予測が可能でしょう。しかし、その制御行為が周辺の農作物や水産物、あるいは生態系にどのような影響をもたらすかは、現段階ではまったく予想されていません。

たとえ技術的に可能で、研究として興味深くても、つねに想定外の結果が起こりうるリスクや影響を広く社会に示し、責任と誠意をもって対話を続け、多様なステークホルダーの理解と信頼を醸成していく、そのプロセスが重要です。東京大学が、新技術の開発とイノベーションに責任をもつ教育研究を力づよく推し進めるためには、これから社会に出て活躍するみなさんの声が不可欠です。ぜひこれからも東京大学とのつながりを絶やさず、さまざまな課題に取り組むみなさんの声を聴かせてください。

みなさんがこれまで、コロナ禍の苦境に負けず、積み重ねてこられた研鑽と多大な努力にあらためて敬意を表するとともに、それを誇りに思います。今日からみなさんは東京大学のアラムナイ(同窓生)となります。本学で培った力とそして学問、友や師たちとの関係を礎にして、新しいことに挑み、地球と人類社会の未来に貢献していただくことを期待しています。
みなさんの未来が幸せなものでありますように。
卒業、おめでとうございます。

令和6年3月22日
東京大学総長  藤井 輝夫

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