令和6年度東京大学学部入学式 祝辞(JAXA 宇宙飛行士候補者 米田 あゆ 様)

令和6年度東京大学学部入学式 祝辞

新入生の皆様、ご家族および関係者の皆様、この度はご入学おめでとうございます。

2024年元日に能登半島を中心に起こった震災で被災された方々に心よりお見舞いを申し上げると共に、現地で支援や復興に当たられている方々に敬意を表します。そして、そのような年の始まりの中で勉学を続け、入学試験に合格された皆様に心よりお祝い申し上げます。

私は11年前、皆さんと同じようにここ武道館で入学式に参加しました。新たなスタートを前に期待で胸を膨らませて皆さん側の席に座っていたことが、ついこの間のように思い出されます。駒場での2年間を経て医学部に進学し、研修医の時にはコロナ禍の緊急事態を医療現場で経験しました。皆さんも、あの困難な時期を乗り越えられ、本日こうしてお目にかかれたことを大変嬉しく思います。

外科所属の医師として働いたのち、ちょうど1年前からJAXA宇宙飛行士候補者として訓練に励んでいます。宇宙を目指し、一歩目を歩み始めたばかりの立場だからこそ、私が考えていることを大学生として第一歩を踏み出す皆さんにお伝えできれば幸いです。

さて、入学して印象的だった第一歩と言いますと、駒場キャンパスからほど近い渋谷のスクランブル交差点にはじめて足を踏み入れた時のことを思い出します。行き交う人の多さに驚き、今日は一体何のお祭り?と思ったくらいです。大勢の人がぶつからないように少しずつ歩みを調整してすり抜けていく。年齢・性別・職業の異なる人々がその瞬間、その場所を偶然にも共有し、自分もその一員である不思議さを交差点の中で感じました。世界で最も混雑する交差点と言われ、一回の青信号で多い時には3000人が行き交うようです。今日この武道館に集う新入生の皆さんとほぼ同じ人数です。しかし、ここにいる3000人は数字としては同じでも、交差点での3000人とは意味が異なります。交差点ではその瞬間に場所を共有するだけですが、皆さん3000人は、これから大学生活の中で交流し、時にはぶつかることがあっても相互に高め合って、一生の仲間となっていくはずだからです。
今日は、「自分で一歩を踏み出すこと」と「社会を一歩前に進めること」についてお話をしたいと思います。

まず、好奇心を持って新しい一歩を踏み出し、感じ、学んだ経験を大切にしてください。私にとってはヨット部に入部したことが、大学生活での新たな一歩でした。ヨットに乗れるチャンスはきっと人生でそう多くないと思って新入生体験会に行き、そこで目にした、風を切って海面を進むヨットに胸が躍りました。自分の手でも実際に帆や舵を操り、海原を巡りたいと思い入部を決めました。真夏の太陽の眩しさ、真冬の指先の凍え、風を受けて進む爽快さ、荒れた波や風の恐ろしさ、飲み込んだ海水のしょっぱさ。自然と直接対峙し、多様な側面に触れることで感覚が研ぎ澄まされたように思います。そして、一人だけでは立ち向かえない自然の壮大さを知りました。

こうした感覚を共有することで、多様なバックグラウンドの仲間とも互いに理解し合い、力を合わせたチームの強さを実感しました。長期休暇には皆で海辺の合宿所に泊まりこんで練習に励み、自然と人間の両方を相手にしながら競い合い、切磋琢磨する面白さを知りました。合宿生活で仲間と共に楽しいことを喜び、辛いことを乗り越えた経験は、とても貴重でした。

そのような経験から8年、宇宙飛行士候補者選抜試験の最終局面で、ファイナリスト10人の1人として大型バス2台分の広さの閉鎖環境で1週間の共同生活を送る機会がありました。まさに部活の集団生活の再来です。素晴らしいファイナリストの仲間に、気持ちよく1日が始められるよう朝の体操などを提案して、皆がリラックスして最大限の力を発揮できるよう心がけました。自分自身としても協力しながら、気負わずに自然体で過ごすことができ、思わぬ形で昔の経験が活かされました。

そこで私の頭をよぎったのは、スティーブ・ジョブズの「コネクティング ザ ドッツ」というフレーズでした。直訳すると「点と点を繋ぐ」という意味ですが、大学でカリグラフィを学んだ彼の経験が、後にMacの美しいフォントデザインに役立ったという実体験に基づいて話されたものです。一見、関連がなさそうに見える色々な経験は、後に思いもよらぬところで繋がり、あなたならではの新たな価値を生み出すきっかけとなると言いたかったのでしょう。私にとっては、ヨット部での経験というドットが、宇宙飛行士選抜試験というドットに繋がったのです。

ドイツの近代哲学者であるカントは、すべての経験は感性による多様な感覚から始まり、その感覚が取りまとめられることで個人の理解となり、さらに理性によって皆と共有できる真の知識が得られるとしていますが、これも「コネクティング ザ ドッツ」の考えに、通じるところがあるように思います。新しく共有される知識に至るには、まずは勇気を持って独自の一歩を踏み出し、またそれを続けることが必要です。そして、あなた自身のストーリーが作られ、独自の強みや魅力ともなるのです。自分の内にある願望や興味に耳を傾け、少しでもやってみたいと思う芽を大切にしてください。未体験や未開拓の地に足を踏み入れた経験が次の新しい一歩を踏み出す原動力となるはずです。

さらに「コネクティング ザ ドッツ」の考え方は、人間関係の観点からは、偶然とも思える人々との出会いが、徐々にネットワークとなり、後になって大きな社会の形成に役立つということにも通じると思われます。皆さんが卒業するころには、3000個のドッツの間には多くの線が引かれ、豊かなネットワークが形成されることでしょう。このネットワークは、一人ひとりが踏み出した第一歩から紡がれるのです。

また、昨年は生成AIの発展が目覚ましい一年でした。膨大なデータを学習し高速に情報処理を行うAIは我々の社会を急速に変えつつあります。そこで人間に求められることは何でしょうか?独自の感性を研ぎ澄まし、人との交流の中で幅広い経験を積むことの価値がさらに高まると私は考えます。AIが社会に浸透する中で、新たな問題を提起することや、倫理、個性、身体性などにまつわる課題を広い視野で議論し総合的に判断することが必要となるでしょう。そこでは人間の経験が必ずやベースとなるはずです。だからこそ、実世界における経験の中で、その瞬間の感情や感覚を大切にしてほしいと思います。そして、人間としての経験をもとに他者と対話し、共感することも欠かせないでしょう。

ここまで自分自身で一歩を踏み出して経験を積むことのお話をしました。次に、自分だけではなく、身の周りの人々、さらには社会を一歩前に進めることについて考えてみましょう。そこで私が現在関わっている宇宙開発についてお話しします。

1969年アポロ11号が人類で初めて月面に降り立ってから50年以上経ち、再び人類は、月そして更にその先の火星を目指しています。タイムリーではありますが、昨日日米首脳会談において、アルテミス計画のもと、日本の月面探査ローバと日本人宇宙飛行士が月面に降りる合意がされた旨、発表がありました。今年1月には日本の月面着陸実証機SLIMが世界で初めての高精度で月面に着陸しました。また、国際宇宙ステーションはこれまで日米欧加露の国際協力のもと20年以上運用され、多くの知見が培われています。これらを活かして、人類や地球のことをより深く知るため、また未知なる場所へ活動領域を拡げるため、さらなる挑戦が始まっています。人類が新たな挑戦に臨むことができるのはこれまでの宇宙開発、国際協力の賜物であり、一人の人間、一つの国では決して成し遂げることはできなかったのです。

私自身は現在、宇宙飛行士候補者として主に、つくばと米国ヒューストンで訓練に励んでいます。基礎的な語学や体力訓練に加え、宇宙ステーションのシステム、緊急対応、航空宇宙工学、天文学、地学、宇宙医学、飛行機操縦など多岐にわたって学んでいます。JAXAの先輩宇宙飛行士をはじめ、NASAやヨーロッパ、カナダ、UAE、ロシアなどの宇宙飛行士の存在は大きく、自分の至らない点を目の当たりにし、圧倒され落ち込む時もあります。ですが、様々な方々と関わり、良いところを参考にし、協力し合って、日本そして世界の宇宙開発を一歩前に進めることに少しでも貢献できるよう日々の訓練に取り組んでいます。

これまでを振り返ると、世の中にはこんなにもすごい人が沢山いるのだと常に感じ、刺激や勇気をもらいながら歩んできたように思います。大学受験までにおいても、大学に入ってからも、そして社会に出てからもです。学問に対する探求心、努力を怠らない勤勉さ、行動力、一つのことを突き詰める集中力、マルチスキル、懐の深さ、周囲への気配り、責任感など多様な観点から、尊敬できる人達に出会えたように思います。また、医師として働いている時には、小児病棟で闘病する子供達に出会いました。過酷な状況の中でも好きなことに一生懸命に取り組む姿や、自身も辛いにも関わらず、同室の同じように辛い思いをするお友達を必死に励ます姿に心打たれました。一人ではなく、一緒に頑張ることでより勇気が湧いてくるようでした。彼らの困難に前向きに立ち向かう強さや、周囲に対する心の奥底からの優しさに多くの学びを得ました。

こうした素晴らしい方々に出会えたことに感謝し、謙虚に周囲から学び続ける大切さを感じています。同時に、皆それぞれが役割を担った当事者であり、個として自身の力を高めながらも、互いに影響を与え合う存在であることを自覚しました。そして私自身、自分が他者から学びを得るように、自分も他者に良い影響を与え、周りの人々や社会の新たな一歩を後押しできる存在でありたいと思っています。

「ファーストペンギン」という言葉があります。ペンギンは普段陸上で集団行動しますが、その中で最初に危険を顧みず魚を求めて海に飛び込むペンギンを指す言葉です。新しい領域を切り開く人の例えとして用いられ、通常、最初にリスクを取ったものが多くのリターンを得るというストーリーで語られます。しかし、私がむしろ重要だと思うことは、そのファーストペンギンに続いて、集団全体が海に飛び込み、皆が成長していく点です。世の中には、未知なる領域に挑戦し、その勇敢な行動によって周囲の人々に影響を与える人がいます。おそらく皆さんも、今後大学の中でも、外の世界でも多くのそのような存在に出会うと思います。勇気ある他者の行動を積極的に探してください。その出会いの中であなた自身が刺激を受け成長することができるでしょう。そして、そのような機会を大切にし、自分自身も社会を一歩進める意識を持ってください。

自分の気づきや興味から踏み出した個人的な一歩を積み重ね、自分の独自性を形成する。そしてそこで見出した自らのフロンティアに挑戦を続ける。一方で個人のチャレンジ精神が周囲に良い影響を与え、勇気を得た人がまたそれぞれ独自のフロンティアを探し、新たな挑戦をする。こうしたサイクルが起これば、社会は新たな可能性に向かって前進していくのではないでしょうか。ここで大切なことは、誰かが挑んだフロンティアをただ後追いすることではなく、チャレンジ精神そのものを学び、他者と協力し合いながらも、一人ひとりが独自の一歩を踏み出すことではないかと思っています。

一人の人間にとっては小さな一歩であっても、人類にとっての大きな飛躍のきっかけになることもあります。「あなた自身」の一歩が、「社会」の一歩、そして「人類」の偉大な未来に繋がっていくのです。一歩を踏み出して挑戦を続けていってください。一緒に頑張っていきましょう。

この度は入学誠におめでとうございます。

令和6年4月12日
JAXA 宇宙飛行士候補者
米田 あゆ

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