令和6年度東京大学大学院入学式 総長式辞

令和6年度東京大学大学院入学式 総長式辞

新入生のみなさん、入学おめでとうございます。本日ここに集まったみなさんは、大学院生活のスタート地点に立っています。東京大学の大学院では、専門の知識を学ぶことも大事ですが、それ以上に大切なのは「学び方」を身につけることです。AIの普及など情報技術の大きな革新が始まりつつある社会において、私たちはどう学び、どのように考え、いかに行動していくべきか。それが問われています。

東京大学では、学部・大学院での教育にくわえ、ニューロインテリジェンス国際研究機構、次世代知能科学研究センター、エドテック連携研究機構、そしてBeyond AI 研究推進機構など、さまざまな研究組織において、AIに関する研究や応用展開に取り組んでいます。

AIは便利なツールです。しかし使いようによって、その意味や価値が大きく変わります。アメリカのバイデン大統領はAIの安全性に関する大統領令に署名するにあたり、「人類の可能性の境界を拡大する一方で、人類の理解の限界を試している」と述べ、世の中も期待と不安をもって、その有効性を眺めています。

たとえば「将来どんな仕事がAIに取って代わられてしまうか」をめぐる議論は、私たちの未来に深くかかわっています。

2013年に発表された『雇用の未来』というオックスフォード大学の経済学者であるCarl Benedikt Freyと機械学習研究者であるMichael Osborneの共著による論文があります。彼らは702種類の仕事を調査し、米国における雇用者の47%が仕事を失う可能性が高い、と結論づけました。それらの仕事は、おそらく10年から20年のあいだに自動化が可能だからである、としています。この論文では「カウンセラー」は代替されにくい仕事とされていたものの、カウンセリング用のAIは現在すでに存在しています。世界中で1万以上のソフトウエアが開発され、その一部は精神疾患の治療にも用いられています。これまで私たちは、カウンセリングなどの心の仕事や、芸術や科学のように創造的な活動を「ヒトらしい」特質を反映するものであり、代替不可能な聖域だと信じてきました。しかしAIと向きあう現在、こうした人間性をめぐる古典的な理解を再検討する必要がでてきたといえます。

「AIがヒトと同じ価値をもつようになった」と言いたいのではありません。むしろ、私たちはヒトの価値や特徴を表面的にとらえていないか、という問いかけです。どちらが優れているかという問題でもありません。ヒトとAIの、それぞれが得意とすることが、少なくとも現時点では大きく異なっていることを正しく認識することが、まず重要です。

いま世の中では生成AIの問題点として、著作権の侵害や、作動の安全性、誤情報の拡散、偏見や差別の助長など、深刻な問題が指摘されています。利便性についても、プライバシーに関しても、またAIの可能性の評価にも、さまざまな立場の違いがあるでしょう。そうしたなかで、大事なのはみなさん自身の「センス」を磨くことです。AI任せにせず、最適な判断のできる分別と感性とを育てることです。

書くことを例に考えてみましょう。生成AIは、これまでの知見をうまく要約したさまざまな文章を紡ぎ出します。しかし、AIが導き出す結果はサンプルであり、「正解」の提示でも、神の「お告げ」でもありません。AIが予想以上の仕事をしたとしても、その優秀さはあくまでもヒトの視点から与えられたものです。どのような回答を出すAIが望ましいかを、ヒトが考え、ヒトが判断し、デザインしているからです。ですから、AIの利用者たるヒトは、AIを正しく使いこなす知識とセンスを磨かなければなりません。より良い文章を作成するためには、さまざまな表現や作品に幅広く触れることで、自分へのインプットを豊かにすることが必要です。わかりやすい名文の簡潔さに触れ、その格調や趣向に感動した経験なしに、また、うまく言葉にできない自分の思いと格闘した経験なしに、優れた文章を書くセンスを身につけることはできないでしょう。

AIが出てきたからこそ、私たちは今まで以上に、知性について深く考え、創造する力を身につけなくてはなりません。

AIに欠けている点として、「身体性」が指摘されます。身体性とは、環境と相互作用する肉体をもつことで主体にもたらされる多様な特質のことで、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚による感受、汗を出したり体温が変化したりといった刺激に対する反応、手足の運動など、さまざまな構成要素とメカニズムをふくみます。

身体は、脳と外部環境を結ぶインターフェースです。ヒトは全身の各部位で多様な情報を感受し、脳に届けます。そして脳はその入力に応じて筋肉を動かしたり、臓器を制御したりして、身体に働きかけます。具体的には、全身にある約1000万本にもおよぶ感覚神経で情報をうけとり、640個もの筋肉を制御することで、体を動かすのです。現在のロボット技術ではまだ、このような複雑な身体性を再現できていません。

AIの実態は「計算」ですから、計算情報が運動や動作に変換されるアクチュエータに組み込まれない限り、周囲の世界には働きかけられません。それゆえ物理的な作用をともなうタスクの遂行能力には限界があります。たとえば、ヘルスケアにおいて、AIは厖大な医療データを分析するのは得意ですが、ヒトの医師や看護師と同じように患者の手を握り、身体をさすって癒やすことはできません。

逆に、身体性が稀薄だからこその強みも、AIやロボットにはあります。たとえば海中ロボットは暗く冷たい海の中で、何十時間も作業をつづけ、息切れもせず、単調な作業にも飽きることがありません。

つまり、ヒトは感性豊かな身体性をもつ一方、つねに肉体そのものの「限界」がつきまとうのです。こうした制約のある身体とともに、私たちは「現実」の世界で生活しています。重力があり空気抵抗や熱伝導などの物理的な作用があるという点で、現実世界は仮想世界と決定的に異なります。仮想現実内でシミュレーションしたロボットや機械の制御や運動が、重力や摩擦の想定外の影響をうけて、現実世界での挙動を正確に再現できないことがあるのはそれゆえです。

ヒトの身体はまことに重要で、私たちは身体を通じて世界を感知し、他者や世界に働きかけ、そうした経験をつうじて「知性」を獲得します。だからこそ私たちは、自身の身体性を正しく理解する必要があります。楽譜をどんなに眺めてもピアノの上達が見込めないように、実際に身体を動かして環境と相互作用しなくては知識やスキルを磨くことができません。身体を用いるプロセスを経ずには、成長できないのです。

これから始まる大学院のキャンパスライフは、みなさんそれぞれの身体性を磨く、またとない機会です。キャンパスの外での活動も、身体性を向上させる絶好の機会となるでしょう。みなさんには、教室や実験室の中で勉学や研究にはげむことはもちろん、キャンパス外の環境にも身をおいて、現実の世界に体で触れていただきたいと思います。

他者との関係性における身体性の意味を理解するうえで、ヒトが情動を大切にしていることも忘れてはならない論点でしょう。一方、AIはヒトの感情を、ヒトがやるような方法で理解したり、共感したりすることはできません。

先ほど「AIにもカウンセリングができる」可能性に触れましたが、AIが身体性に乏しいことは、大きな制約です。他者との対話においても、相手が同じ空間に居あわせ、向かいあうことで、はじめて成立する対話は少なくありません。時間と空間の共有は、インターネットや電話などオンライン上での情報交換とは異なり、一定の連帯感を生じさせます。これは身体という制約のうえにこそ生まれる関係性です。AIが下す判断が、ヒト社会における倫理感とかならずしも一致するとは限らない事実は、このあたりとも深く関係してくるでしょう。

「速く走る」ことでは、ヒトの能力は自転車や自動車には及びませんが、マラソンや100メートル走などの陸上競技において、選手たちが限界に挑む姿はヒトの興味を惹きつけます。ヒトには、ひとつの機能的な優劣では語れない、固有で複雑な魅力を感じる能力があるのです。AIがヒトを凌駕するようになった将棋やチェスも同じです。AIに比べればヒトは記憶も不十分で計算も遅く、劣っているように見えるかもしれません。しかし、ヒトは将棋をやめません。「AIにはかなわないから」とやめてしまわないのは、勝敗の結果に還元されない、将棋というゲームのプロセスを楽しむことができるからです。AIは、どれほど華麗な手を指しても、将棋を楽しんでいるわけではありません。楽しみや喜びの経験は、苦しみや怒りの感情と同様、ヒトの知性をはぐくむ重要な機会であり、原動力です。

ヒトとAIは異なる存在です。AIがヒトのように創造的に振る舞うことより、ヒトがAIのように機械的に振る舞い、割り切ってしまうことのほうが、はるかに危ういことです。両者の振る舞いが異なるからこそ、相互に補完しあう関係が可能になります。

私は大学院時代に、自律型海中ロボット(AUV: Autonomous Underwater Vehicle)の研究をしていました。このロボットは暗く冷たい海の中で、何十時間も作業をつづけられます。これに対して遠隔操縦型のロボット(ROV: Remotely Operated Vehicle)の場合には、操縦者が必要です。何十時間もの作業の間、操縦者がずっとはりついていなければなりません。自律型の場合、誰かがはりついている必要はないかわりに、われわれはその仕事を信じて待つ必要があります。ここでヒトとAIやロボットとの関係性に、これまでなかった多様なありかたが生まれます。すなわち、遠隔操縦型では、おおむねヒトの操縦の通り従属的にロボットが動き仕事をこなすのに対し、自律型では、オペレータのおおまかな指示のもとで、ロボット自身が自律したシステムとしてタスクを実行することになります。自律的だからこそ、対話が必要になります。実際、私が博士課程のときに創った自律型のロボットは、私自身がダイバーとして水中で作業を確認し対話したかったので、簡単な通信を可能にするための発光パネルを装備していました。

当時、私が読んだ本のひとつにCarnegie Mellon大学のロボット研究者であるHans Moravecが書いたMind Childrenという本があります。この本は1988年に書かれたものですが、当時すでにMoravecは、「コンピュータがこの本を書くことができたら、そして私よりも上手く研究を行うことができたら、どうするだろうか?」という疑問を投げかけ、多くの職業が脅威にさらされる可能性を指摘しています。さらに地球外の場所においてヒトの知能と機械(machine)が高度に融合した存在がpost-biological worldを形成する、というストーリーをも描いています。そこでは、現在、まさに議論がなされているAGI(Artificial General Intelligence)に近い発想として、人類の多様な知が集積されるSuperintelligenceにも言及しています。まだインターネットも普及していなかった時代に、ロボティクスをこえて、半導体やソフトウェアシステム、人類の宇宙への進出、ヒトの進化とDNAなど、多岐にわたる最新の知見と最先端のテクノロジーをふくみこんだ俯瞰的かつ自在な構想力に、当時、大いに刺激を受けたことを思い出します。

みなさんもまた、新しい技術の力を用いて世界に貢献してゆく時代を生きることになるでしょう。AIはもちろんのこと、今後あらわれる革新的なテクノロジーについても、つねに理解を深め、ヒトとのかかわり方に思いをめぐらせる努力をおこたらないでください。どのような革新的なテクノロジーも、技術は手段であり、目的ではありません。その目的や手段が、ほんとうに望ましいものであるかどうかを判断するのは、私たちヒトです。自分にとって、私たちにとって、そして地球と人類社会の未来にとって、望ましい選択なのか。みなさんには、それを問いつづけつつ学び、行動する創造的地球市民になっていただきたいと思います。

これから、みなさんの大学院生活という新しい航海が始まります。学ぶことは、孤独で厳しいだけの航路ではありません。友人、家族、教職員をはじめ、多くのサポーターがみなさんを支えています。東京大学もまた、みなさんがその未来を築くための最良のパートナーとなり、応援者となることを約束します。みなさんそれぞれの力を存分にのばし、明るい未来を築く道を、ワクワクしながら進んでいただきたいと思います。東京大学の大学院へようこそ。みなさんの入学をお祝いします。

令和6年4月12日
東京大学総長  藤井 輝夫

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