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研究倫理セミナーの基調講演から考える 研究規制のあるべき姿とは?

9月2日、6年目を迎えた研究倫理ウィークの企画として、研究倫理推進室主催による研究倫理セミナーが、鉄門記念講堂にて開催されました。今回のテーマは「様々な立場から考える研究不正〜学生から研究公正責任者まで〜」。臨床研究規制や国際的研究規制に詳しい米村滋人先生による基調講演をダイジェストで紹介します。

研究倫理セミナーのポスター

基調講演 「研究不正防止のルールを理解する―価値ある研究の推進のために」より

米村滋人法学政治学研究科教授

「東京大学の「研究活動上の不正行為の防止に関する規則」の第3条に、不正行為の定義があります。文科省ガイドラインとほぼ同じ表現ですが、加わっている部分もあります。「故意又は研究者としてわきまえるべき注意義務を著しく怠ったことによる捏造、改ざん、盗用その他の東京大学科学研究行動規範委員会規則第2条各号に規定する行為をいう」とあり、科学研究行動規範委員会規則では「ただし、意見の相違及び当該研究分野の一般的慣行に従ってデータ及び実験記録を取り扱う場合を除く」と付記されています。文科省ガイドラインから広げている部分と狭めている部分の両方があることがわかります。私の指摘した問題は、ある程度考慮されていますが、まだ十分ではないとも思います」

研究倫理ウィーク RESEARCH ETHICS WEEK

過失による捏造などありえない

医学や生命科学に関する研究規制には、2つのタイプがあります。一つは生命倫理の観点に基づく規制。もう一つは研究不正防止のための規制です。歴史的に見ると、前者が始まる上で大きな契機となったのは、ナチスの人体実験でした。ユダヤ人に行った非人道的実験の実態が判明し、二度と繰り返さないようにということで規制が進んだのです。1947年には、非倫理的な人体実験を規制するニュルンベルク綱領が策定され、これが国際的な倫理規範と見なされるようになりました。近年では法律やガイドラインによる規制が中心になっています。日本でいえば、医薬品医療機器法や臨床研究法などが代表的です。

一方、研究不正防止のための研究規制は、日本では2004年が出発点です。競争的資金を得るための不正事案が勃発し、ルールを設ける機運が高まった頃です。2006年には文部科学省の報告書「研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて」が発表されました。その後、理化学研究所でSTAP現象をめぐる研究不正事案が発生したことを受け、2014年に新しい文科省ガイドラインができました。2006年の報告書をベースにした「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」です。世間で大きく騒がれ、慌てて対応したせいか、これは問題を含むものでした。

一番の問題は、研究不正の定義がはっきりしていないことです。特定不正行為の定義として、「故意又は研究者としてわきまえるべき基本的な注意義務を著しく怠ったことによる、投稿論文など発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の捏造、改ざん及び盗用である」と書かれています。2014年に追加された、「基本的な注意義務を著しく怠ったことによる」の部分にこそ大きな問題があります。そもそも、捏造(Fabrication)、改ざん(Falsification)、盗用(Plagiarism)については、FFP3類型と呼ばれ、研究不正だということが広く認められています。ただ、これらは基本的に故意に行うもののはずです。なのに、ガイドラインは過失による捏造、改ざん、盗用も研究不正だとする書き方をしています。

過失による盗用、過失による捏造とは、果たして何でしょうか。過失による窃盗などありえないのと同様に、過失による盗用はありえません。他人のものと知らずに何かを持ち去った場合、それを窃盗とは呼びません。ガイドラインは、何が研究不正なのかが不明な書き方をしている。法律の専門家なら、空集合が生じるこうした書き方はしないはずです。

このことは、ガイドラインのパブリックコメントが募集された際に詳しく意見したのですが、受け入れられませんでした。文科省ガイドラインは、研究不正を十分に記述できていません。それをベースにしないといけないために、研究不正に関する各機関の運用がまちまちになっている、と私は考えます。

不正か否か悩ましい3つの事例

ここからは、実際に問題になりがちなことを具体的に見ていきましょう。まずはケース1。「免疫組織標本の発色が不十分だったので、画像のコントラストを強めてわかりやすくした」。これは研究不正に該当するでしょうか。画像の処理操作は全て改ざんだと考える人もいるかもしれません。しかし、コントラスト強調は、偽の情報を提示しているわけではないし、ないものをあるかのように見せているのとも違います。必ずしも不正とは言えないと考える人のほうが多いのではないでしょうか。これが改ざんに当たるかどうかは文科省ガイドラインではもちろんわかりません。

次にケース2です。「先行研究の概要を記載する際、直接には言及されていないが研究から示唆される知見を既知のものとして記載した」。これは研究不正でしょうか。実際の論文を見ないと判断できない事案かもしれません。実は、論文で述べられたことが必ずしも明確でないのは、文系の分野では珍しくありません。長い文章の中でレトリックを用いて表現してあり、全体を読まないとわからない。全体を読めばなんとなくわかるが、はっきり簡潔には書かれていない。示唆しかされていないが、言っていると同じと考えてよい……。そうした場合もあるのです。研究不正になるか否か、大いに悩むケースだといえます。

最後にケース3です。「特定の環境下でしか得られない実験結果がある場合に、論文中に詳しい実験環境を記載しなかった」。これは研究不正でしょうか。文科省ガイドラインでは不正になりようがありません。しかし、科学的にはアウトです。他の人が追試をできず、検証のしようがないからです。科学的にはアウトと言えるが、捏造でも改ざんでも盗用でもなく、従って研究不正ではない。ガイドラインで研究不正とされるものと、科学の常識でやってはいけないとされているものとは、必ずしも一致しません。両者は別だとわきまえて研究に取り組むことが必要だと思います。

研究を阻害する規制は本末転倒

学問の自由は憲法で保障されています。最上位に含まれる精神的自由権の一つであり、強い保護を必要とするものです。その制約は必要最低限でないといけません。ですから、国が研究不正防止のルールを定めて規制することは、微妙な問題を孕んでいます。法学の観点からすれば、これは不正、これは不正でない、などと国が定めることはやるべきでないと思います。ただ、機関ごとに規定を定めて運用する現状の形がベストなのかどうかは自明ではありません。海外では、それぞれの研究機関から独立した機関が研究不正の規定を設け、調査や処分まで行っている国も少なくありませんが、日本では現状、そのようにはなっていません。

ガイドラインの第3節「研究活動における特定不正行為への対応」には、各機関の義務として不正行為を抑止する環境を整備することが記されています。このセミナーもその一環ですが、どういう予防措置が効果的なのかはわかっていないのが現状です。以前、アメリカの研究公正局の人に、研究不正の事前防止などできないと断言されたことがあります。確かに、本当に悪意ある人をとめることは不可能だと思ったほうがよいかもしれません。

私は、研究不正を気にするあまり研究手法が限定されたり自由な研究が阻害されるのは、本末転倒だと思います。東大では、研究資料の保存期間を5年から10年と定めており、生命科学の分野では実験ノートの保存は当たり前です。しかし、他の分野、たとえば法学では、これは非常に難しいことです。外国法の文献を読んで基礎資料としますが、文献の内容をすべて保存しろと言われたら、厳しい。全ての日本語訳を保存しろといわれたら、無理です。読める本の量は激減し、研究が阻害されます。分野ごとの慣行を無視してはいけません。慣行を重視しすぎると新しい研究スタイルが生まれなくなる恐れがあるのも事実ではありますが……。

過去の不正事案を集め分析を

研究規制のルールは、価値ある研究を多く生み出すためにこそあるべきです。研究者の手足を縛ることがあってはなりません。画一的・形式的なルールの導入は望ましくない。研究不正防止のための措置はあまり重視しないほうがいい、と私は思います。

ではどうしたらよいのか。各機関はまず研究不正の事案を集めて分析する必要があるでしょう。研究はデータに基づいて行うべきですが、研究不正の分析も同じです。過去にどういう不正があり、どういう処分がされてきたかを、データに基づいて明らかにする。そうすることで、ゼロにはできずとも、ある程度不正の件数を抑えることはできるはず。どういう措置がよいのかをデータに基づいて明らかにした上で研究規制を行うのであれば、私は賛成です。現状では、多くの人が研究規制が必要といっているから、そうすれば防止できそうな気がするから、規制を強めようとしているように感じます。分野ごとの典型的な不正類型を集めて分析することが必要だと思います。

上からおろされたルールに従えばいい、などと思ってはいけません。現行のガイドラインは万全ではなく、従えば安心ということは全然ないんです。どういう研究がよいのか、だめなのか、それぞれの分野できちんと認識と知見を積み上げていくしかありません。どういうルールがよいのか、全学的な議論を続けていきましょう。

◉研究倫理セミナー プログラム
開会・挨拶
有信睦弘(研究倫理推進室長)
研究倫理基礎講習会
科学技術振興機構(JST)監査・法務部
研究公正課 鶴峰麻耶子、本山功幸
基調講演
「研究不正防止のルールを理解する」
米村滋人(法学政治学研究科教授)
パネルディスカッション
「こんなときどうする?不正かなと思ったら」
江頭正人(医学系研究科教授)
中尾彰宏(情報学環教授)
米村滋人
司会:有信睦弘

研究倫理基礎講習会の後半は、JSTが米国保健福祉省研究公正局からライセンスを受けて公開しているロールプレイング型映像教材「THE LAB」を使って行われました。

舞台はある大学のバイオ系研究室。糖尿病に関する画期的な成果で注目を集めていた一人のポスドクに研究不正の疑惑が浮上し、大学の研究公正担当部署が調査を開始。9ヶ月後、ポスドクは不正を認め、他に数々の不正を犯してきたことも判明。大学に多大な寄付を行ってきた篤志家は支援を中止。事態を重く見た大学は研究主宰者の教授を解雇し、研究室は閉鎖されてしまう……。

衝撃的なイントロの後、会場の参加者に求められたのは、時間を巻き戻してこのストーリーをやり直すことでした。もし研究室の大学院生だったらという設定で、場面ごとに示される選択肢から行動を選ぶと、それに応じたシナリオの映像が展開。研究倫理に則って行動すれば最悪な状況は避けられることを映像を通して学びました。

この教材では、大学院生のほか、ポスドク、研究主宰者、大学の研究公正責任者と4人の登場人物を選ぶことが可能です。全員分試すと6時間ほどかかるという大型インタラクティブ研究倫理作品はこちらから。→https://lab.jst.go.jp/index.html

THE LABのWebサイトのキャプチャー画像

パネルディスカッションは、江頭先生が医学系研究科、中尾先生が情報学環の研究倫理推進活動について話題提供した後、米村先生を加えて行われました。ギフトオーサーシップが慣習となっている分野があるのはなぜか、研究倫理教材の使用で倫理が高まっているエビデンスはあるのかなど、会場からは鋭い質問が寄せられていました。

パネルディスカッションの様子