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可能性の種を生み出す、5大学や企業の共創施設 SHIBUYA QWS(シブヤ キューズ)……って何ですか?

SHIBUYA QWS

再開発で大きく変貌する渋谷駅周辺で、ひときわ存在感を放つ渋谷スクランブルスクエア。その15階に昨年11月にオープンした渋谷キューズは、東大・東工大・慶大・早大・都市大の都内5大学や企業をはじめとした会員が、未来に向けた新しい価値創造をともに進めていくための活動拠点です。Question with sensibility(問いの感性)の頭文字をつなげた名を冠する注目の施設について紹介します。

1 ENTRANCE 2 CROSS PARK 3 CAFE HInT 4 SHARE KITCHEN 5 PROJECT BASE 6 SCRAMBLE HALL 7 PLAY GROUND 8 SALON 9 問いのギャラリー 10 各種の掲示板

1.渋谷スクランブルスクエアのオフィスエントランスのエレベーターで15階へ。2.大きなリビングのようなクロスパークは様々な人々が行き交う空間。顔ぶれを見てスタッフが出会いを演出することも。レイアウト変更で約50名収容のイベント空間にも。3.カフェでは、ドリンクや軽食を注文するほか、QWSゆかりの本が並ぶ書棚を閲覧する楽しみも。4.バルミューダ等の家電を備えるキッチンは、何かつまみながらの井戸端会議の場やプロトタイプの展示スペースにもなります。5.プロジェクトベースは新しい価値創造に取り組む空間。可動式テーブルやホワイトボードのほか、レーザーカッターや3Dプリンターも使えます。テーブルには自分のプロジェクトを書いて置くのがルール。興味を持って話しかけることで新たな展開が生まれます。6.ホールは3面のスクリーンや音響・照明設備、控室を完備。ケータリングを利用したパーティーもお薦め。7.プレイグラウンドの壁と床はソフト。子どもが遊べるだけでなく、ヨガや軽い運動もOK。アイデアに詰まった際の気分転換によさげ。8.一番奥に位置するのは落ち着いたサロン。眺望のよいレストランとしての利用はもちろん、4つの個室を使ってクローズドな商談を進めるのにも好適です。9.プログラムの一環で生まれた問いを掲げるギャラリーには、己と向き合うためのシェルタースペースも!10.スキルやリソースの交換を促す場、問いに答える付箋を貼る場など、応答の機会が多いのもQWSの特徴です。

渋谷キューズの活用法を検討するWGの座長に聞きました

「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)に
係るWG」座長
総合文化研究科教授
真船文隆

渋谷駅周辺の再開発に東大も協力しようという話は、以前から野城智也先生(生産技術研究所)を中心に検討されてきました。渋谷スクランブルスクエアの1フロアを社会連携活動に使う構想は計画段階からすでにあったそうです。QWSの方向性を決める協議会で5大学連携の枠組みが決まり、東大がこの場をどう使うかを議論する場としてWGが発足。私や副座長の玄田有史先生(社会科学研究所)をはじめとする9名で2019年6月から活動を始めました。

まず考えたのは、11月の開業記念イベントのこけら落としに何をやるか。社会との接点となる重要な場なので、せっかくなら多くの人が集まるインパクトのあるものを、と考える中で浮上したのが総長と隈研吾先生(工学系研究科)の対談です。隈先生は渋谷スクランブルスクエアだけでなく再開発全体のプランに関わってきましたし、社会を駆動する大学としてこの場をどう捉えるかを話すならやはり五神総長しかいない、という結論になりました。

5 大学が優先して使える場

QWSは大学をはじめとする様々な領域のパートナーが連携して価値創造を進める場で、5大学だけが使うわけではありません。QWSと大学の連携プログラム「QWSアカデミア」は原則毎水曜に開催しており、50名程度収容可能なクロスパークや20名程度収容可能なプレイグラウンドを使用できます。約200名を収容するスクランブルホールは、1大学あたり年度内2回程度会場費無料で使用できます。

これらの無料枠以外に、有料でスペースを使うこともできます。たとえばスクランブルホールの施設利用の基本料金は半日23万円(税別)ですが、5大学には割引料金が適用されます。12月に私が教養教育高度化機構「ブランドデザインスタジオ」の「SDGs×TOKYOでブランドを創る」イベントで使ったのはこの仕組みでした。

使ってみて実感したのは、ここでやると学生のテンションが上がること。いつもは構内のホールや教室ですが、たとえば21KOMCEEだと学生にはもう慣れがあります。でもここなら、渋谷だし、新しいし、景色がきれいでインスタ映えもする。街のエネルギーにインスパイアされることもあるでしょうし、駒場に比べると学外の人も格段に来やすい立地は大きな魅力です。14階以下にはレストランなどの商業施設があり、15階でイベントに参加した後に一杯、という楽しみもありますね。

企画がある学生に好機到来

WGでは今後のキューズの活用法を考えていますが、特に5大学の割当てを有効に使いたいと思っています。社会への発信拠点として申し分ない空間が使えるわけです。スクランブルホールもクロスパークも今後の企画はこれから。渋谷から何か発信したい教職員はぜひ手を挙げてください。学生に伝えたいのは年に4回の「QWSチャレンジ」です。未知の価値に挑戦するプロジェクトを提案し、採択されると、計画実現のためにプロジェクトベースが無料で3ヶ月使えます。渋谷駅直結でスクランブル交差点を見下ろすこの一等地が、です。歩いても15~20分の距離にいる駒場生には特にお薦め。東大から渋谷経由で世界へ問いかける可能性の交差点を活用してください。

スクランブルホールで講演をしている梶田隆章先生
12月22日には生産技術研究所が「第5回価値創造デザインフォーラム デザイン駆動工学Design-Led Engineering」をスクランブルホールで開催。1月22日には梶田隆章先生が「ニュートリノ振動の発見」と題してスクランブルホールで講演。1月29日には野城智也先生が「すまうIoTを如何に実現するか?-来たれベンチャーの騎士たち」と題したイベントをクロスパークで実施。すでに可能性の種は続々生み出されています。

●問い合わせ 社会連携推進課
shakairenkeika.adm@gs.mail.u-tokyo.ac.jp
080-7544-1424

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前回の近藤選手に続いて箱根路を疾走! 阿部選手に聞いてみた

拡声器を使って声援を送る応援部の部員
大手町のゴール付近では応援部が熱い声援を送りました。隣の順大さんもついチラ見。

1月2日、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)第96回大会に、陸上運動部の阿部選手が出場しました。記憶に新しい第95回大会の近藤選手に続き、2年連続で東大のランナーが箱根路を駆け抜けたのです。「箱根駅伝に出るなら強豪校ではなく東大から」と心に決めて練習に打ち込み、度重なるケガによるアイデンティティ崩壊の危機を克服して想いを達成した本人に話を聞いてみました。

陸上運動部(教育学部4年) 阿部飛雄馬さん

出走できない可能性も…

――箱根を走ってどうでしたか。

テレビで観るのとは大違いでした。あんなに多くの人でできた壁の中を進むとは……。歓声で地鳴りしている感じで耳が痛くなりそうでした。走る前もレース中も実感がなくふわふわして夢の中のようでした。

――レース前の目標は?

区間10位、72分でした。予選会のペースなら十分に可能と思いましたが(結果は75分26秒)、ピーキングに失敗したのか……。

――どの辺りから不調を認識しましたか。

最初の1kmを想定通り3分1秒で通過した時点で、最後までもつかどうかギリギリだと思いました。5km辺りから、このままでは残り18kmもたないと思ってタイムを落として。それでも苦しくて焦って、予選会なら勝てた相手にどんどん抜かれ、精神的にもきつく……。14位でタスキを受けて7人に抜かれました。23kmは自分史上最長で、経験不足も影響したと思います。

10区を力走する阿部選手。右腕のGARMINの時計は近藤先輩から譲り受けたもの。

――出場しない可能性もあったとか?

10区の候補だった流経大の選手が直前に調子を上げて。学連チームは例年11月末に記録会を行ってタイム順に10人を決めていました。でも、皆で話し合い、直前まで走りを見て監督に決めてほしいと要望を出したんです。結局、自分が10区、流経の選手は6区。それが監督の判断でした。

――10区というのは希望通りでしたか。

思い入れがあったのは松本翔さんが前に走った8区でした。憧れの存在だった人の記録をここで越えたいと思ったので。

――近藤さんから何かアドバイスは?

特に話は聞きませんでした。特別な人なので、話を参考にするのは難しいと思ったし、肌感覚を大事にしたかったんです。ただ、先輩を見て箱根出場が決して不可能なものではないと実感していました。同じ環境で練習した人が出られるなら自分だって、と思えた要因はやはり近藤さんです。

レース中につけていたCHRIOの腹圧ベルト。「腹痛を防ぐ効果があるんです」。

――ちなみに昔から有望選手でしたか?

中高では県大会で優勝しました。東大では1年の頃から近藤さんに次ぐ位置にいたと思います。高校時代の持ちタイムも部内では上位でちやほやされた頃もありました。

――さて、教育学部での卒論の題名は?

「ライトノベルに見る「共感」の構造と教育学的意義」です。ライトノベルは軽いイメージで捉えられていて、国語の教科書に載ることはありません。でも、共感という意味で捉えると教育的な意味があるんじゃないか、と問いかける感じで書きました。指導教員は教育哲学の山名淳先生です。

――アニメも好きなんですよね。

大好きなのは「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」。絵がきれいです。泣けます。

授業で出会った哲学で復活

レースで履いたのは話題のNIKEの厚底シューズ。「予選会時はピンクのモデルでしたがへたったので12月半ばに奮発して買いました。勝手に前に進むし疲れにくいし楽しい。もう手放せません」。

――哲学が好きだとも聞きましたが。

自分で考えるのは好きです。実は駒場時代は苦悩の連続でした。度重なるケガでトータル1年ほど走れなかったんです。高2の頃に出した自己ベストも更新できず、箱根なんか無理だし、結果を出せないなら価値はない。走って結果を出して認められることで成立していたアイデンティティが崩れました。

――それを救ったのがアニメ?

哲学です。道徳哲学の片山勝茂先生の授業で聞いた哲学の話がおもしろくて、自分は哲学が好きな人間だ、と語るのはいいなと思いました。面倒な問題を吟味して心に響くことをいう感じが面白く、これなら陸上でダメなときでも、哲学を考えるからいいやと思えるぞ、と。自分の軸が陸上と哲学の2本になり、心に余裕ができたんです。3年になってケガが癒え、まともに練習できるようになりました。それまで練習で120%出すことがケガを呼んでいました。でも哲学と出会って、いい意味で適当さが生じて、かえって陸上の力も上がりました。

――大学院では何を研究しますか。

デス・エデュケーションです。癌の末期患者にどう死と向き合わせるか、いい死に方をするために教育ができることは何なのか、死とは何かを子どもに考えさせるにはどうするか、など。まだテーマを絞れていませんが、その辺りに興味があります。

つないだタスキの裏には、選手、監督、コーチ、マネージャーの20人の直筆署名が。「主将として自分がもらいました。洗濯はしないでとっておきます」。

――今後の展望を教えてください。

3月にびわ湖毎日マラソンに出ます。大学院にいるうちは全日本インカレに出るのが目標。将来マラソンで結果を出すための礎としてトラックでスピードをつけます。1万mの持ちタイムを標準記録まであと1分縮めないといけませんが、大丈夫です。

――最後に「サザエさん」について一言!

小学生の頃に大好きで、録画して一日3-4回見ていました。定期券がほしいとイクラが駄々をこねる回とか丸暗記しました。自由研究もサザエさんで出して学年代表に選ばれて過熱したり。昔はサザエさん好きが自分のアイデンティティだったんですね。

ゆかりのお2人にも聞いてみた

陸上部部長として阿部選手を見守ってきた八田秀雄先生(総合文化研究科)

飛雄馬君、お疲れ様でした。走る前に鶴見中継所で握手した時、また大手町の大観衆と大歓声の中を走り抜けた時、本当に感激しました。総長にも大変喜んでいただけました。学生連合チームの主将としてもいろいろ発信しチームをまとめ、よくやったと思います。

振り返れば3年生までは急に貧血になったりで、今ひとつともいえる状況でした。それが最終学年、特に予選会での走りが素晴らしいものでした。自分のペースを身体に覚えさせ、そのペースを徹底し、自己ベストを1分以上更新しました。彼らしいよく考えた走りでした。運動生理学関連の授業にもよく出た研究熱心さのおかげでもあるでしょう。また箱根に出られたのは、前回ようやく出走できた近藤君の作ってくれた道があり、その背中を追ったからということもあるのではないかと思います。

ともかく2年続けて陸上部から箱根を走る部員が出ました。当然この後にさらに続く部員が出てくれることを期待します。東大は大学院でもチームとして予選会を走ることができますから、飛雄馬君は次回以降も予選会を走れます。後輩にその小さいが大きい背中をこれからも見せつけてやって欲しいと思います。

先に箱根駅伝を走って後輩を刺激した近藤秀一さん(総合文化研究科修士課程/GMOアスリーツ)

昨年私が箱根駅伝を走ろうが走らまいが、彼は箱根路へとこぎつけていたでしょう。控えめに言っても絶対に優を出さない大鬼教授のように頑固で、自分が決めた道だけを突き進むやつなので、私のことをライバルだとか目標だとか意識したこともないと思います。そういう意味では、箱根駅伝を経験した者としても特別に贈る言葉はないかもしれません。『僕は箱根を走るために東大に入ったんです』。ある新聞記事の見出しにあるように、傍から見たら馬鹿らしい夢に向かってひたむきに努力を続けた結果、ようやく最後に報われた。それがたまたま2年連続で起こったというだけです。自分の力で夢を叶えた彼に心から拍手を送りたいです。

彼の10区は京急蒲田と内幸町の二か所で応援しました。どんな記録で走るかは正直どうでもよく、ここまで頑張ってきた自分へのご褒美として心置きなく走ってほしい、ということだけ考えていました。雑踏のなか中継に映し出されたゴールシーンは、ちょうど1年前に自分がスタート地点から見た景色と同じものでした。大手町から鶴見まで運んだ襷を、1年越しに大手町まで届けてくれたのか。そう思うと胸が熱くなりました。

レース後日、彼のTwitterにて。

【5年以内の目標】同一マラソンレースで打倒近藤秀一@ksyu1run (互いの調子、その日のコンディション良し悪し等は問わない) 陸上人生第2章はここから始めます

おっとそうきたか。当分はやめられそうにないですね。

ガッツポーズをする東大チーム

チームとして出場した唯一の箱根駅伝

1979~1982年の予選会では4年連続で8位(6位までが本戦に出場)となり、箱根駅伝出場まであと一歩のところまで近づいていた東大チーム。記念大会ということで11位まで枠が拡大された第60回大会に向けて、激しい雨の降る1983年11月6日、大井埠頭周回コースでの予選会に臨んだ東大チームは、7位に入って悲願の出場権を獲得しました(写真は2008年3月の「学内広報」1371号より)。「年に3~4回ある懇親の場などで、当時を知る先輩方からこのときの話はうかがっています。陸上運動部の誇りとして私たちも語り継いでいきたいと思います」(阿部)。