第1124回淡青評論

七徳堂鬼瓦

想定内と想定外

私の関わる気象・気候の分野では、天気予報のために観測網が敷かれていることもあり、また、予測が物理の原理に基づく数値モデルで行われていることもあって、気象庁等の現業官庁と同様の道具立てを研究にも使うことが多い。気象庁をまねて予測をすることが目的ではないが、高度の再現能力を持つ最新のシステムを使って研究すると、これまで見たことのない現象やプロセスがどんどん見えてきて、とても楽しい。地球科学の性質上難しい室内実験に代えて、数値実験で仮説の検証もできる。

天気予報等で実用化されているとはいえ、シミュレーションモデルの開発には既存観測では見えない雲の内部の微物理等、わからないことが山ほどあるので、道具を作り、改良すること自体もサイエンスである。面白いからやっているだけなのだが、気候変動や災害には世間の関心も高く、時には現業機関や世間の皆様の疑問にも答えた=役に立った(?)ことになっている。実に幸せなことだ。一方で、道具が整ってゆく反面、研究の発想が一定の枠組みの中(想定内)に収まってしまいがちなことには留意しておく必要がある。

ところで、コロナ禍も含め、災害等による大きな被害は、「想定外」のときに起こる。「想定外」をできるだけ減じることがリスク管理の基本なのだろう。AIは色々なことができるのだそうだが、与えたデータの「想定外」には弱いとも聞いた。現在進行中の地球の温暖化にしても、気温上昇の抑止には脱炭素社会の実現が不可欠であることが科学的にわかっているが、実際には極めて困難で、「イノベーションが必要」とされている。まさかそんなものが役に立つと思わなかった想定外の技術、研究が気候変動のリスク対応にも不可欠ということだ。

そもそも想定の内か外かはしきい値の設定で決まるものだ。川の堤防は高いにこしたことはないが、それを越える洪水もいつか必ず来る。その時どう逃げるかを考えておく必要がある。研究が役に立つかどうかだって本来は後で誰かが決めること、であるべきだ。役に立つか立たないかに思い悩む暇があったら、面白いことをどんどんやったらよい。少なくとも後進にはそんな環境を残してあげたいと思う。

木本昌秀
(大気海洋研究所)