第1134回淡青評論

七徳堂鬼瓦

大学運営への参加とその責任

数年前から、大学の学長等に対するセミナーを行っている。半分は研究の一環として、半分は社会貢献的な活動として。大学のトップに選ばれる人物は優れた教育研究の業績を持ち、人格的にも素晴らしい方が多い。若輩者の私が「大学の経営について学び、他の大学トップと対話し、ネットワークを作ったらどうか」というのは生意気かと恐る恐る始めたが、想像していた以上にニーズもあり、楽しい場となっている。

最近は学内でも大学運営について学び、オープンに議論できる機会が身近にあってもよいのではと感じている。国立大学の経営はかつてないほど厳しさを増し、外からの改革ばかりが強く求められて、現場は疲弊気味だ。しかし、大学の強さの源泉は構成員にあり、だからこそ、組織のあり方や今後の姿について、多様な関係者と協力・連携をしつつ、自ら考え、行動していくことが基本にあるべきなのではないだろうか。

大学の組織運営の原則は、構成員、特に教員の参加が大事だというのが世界の大学の共通認識となっている。その一方で、これまでの経験だけでは太刀打ちできないほど、大学の運営は難しさと複雑さを増しており、学長のみならず、理事や学部長などの役職者が大学の経営について基礎的な知識を学ぶことは欧米の大学では常識となっている。

日本の大学の学長などは重要な役割を期待され、責任も重いが、そのための訓練を受ける機会はない。学術管理職へのキャリアパスは明確ではないから、欧米のように自ら進んで学ぶのは期待しづらい。もし一定の役職を担うときに必ず必要な知識が提供され、それについて意見交換できる場があれば、期待される仕事もやりやすくなるだろう。管理職に限らず学内にそういう場があれば、多くの構成員が大学の運営がどうあるべきかを考える良い機会にもなるのではないか。東大憲章にも書かれているが、運営への参加の機会は、責任を伴うものであり、それは管理職だけでなく、教職員や学生にもあてはまる。

両角亜希子
(教育学研究科)