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海と希望の学校 in 三陸第16回

岩手県大槌町にある大気海洋研究所・国際沿岸海洋研究センターを舞台に、社会科学研究所とタッグを組んで行う地域連携プロジェクト―海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域の希望となる人材の育成を目指す文理融合型の取組み―です。4年目を迎えたわれわれの活動や地域の取組みなどを紹介します。

地域の方との対話を楽しむ「海のおはなし会」

木下千尋
木下千尋
大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
特任研究員
定置網で混獲されたアオウミガメ。三陸沿岸には水温の高い夏の間だけウミガメ類が来遊します。大槌町の周辺では、毎年40~60頭ほどのウミガメが混獲されます。

2021年の春にオープンした「おおつち海の勉強室」(no.1547 / 2021.6.24)。この夏、海の勉強室ではじめての企画、「海のおはなし会」を開催しました。三陸沿岸はウミガメの生息域のほぼ北限であり、夏の間にたくさんのウミガメが来遊することから、海のおはなし会の第1弾は「ほぼ北限のウミガメ研究」とし、大槌町近辺でこれまでに行われてきたウミガメの生態研究についてお話ししました。新型コロナウイルス感染者の全国的な増加のため、人数を制限した上での開催でしたが、岩手県在住の15名の方にご参加いただきました。

海のおはなし会ではまず、ウミガメの生活史やオスとメスの見分け方といった基本的な生態の解説を行い、三陸にやってくるウミガメの種類や成長段階、食べ物、三陸を出発した後の移動の経路など、これまでの調査で明らかになったことをお話ししました。また、ウミガメの背中から撮影した海中映像を上映し、ウミガメがワタリガニを追いかけたり、大きなヨシキリザメに遭遇したりする様子をご覧いただきました。参加者にウミガメを身近に感じてもらったところで、屋外の水槽で一時的に飼育されているアオウミガメ(近くの定置網に迷いこんだ個体です)を観察していただきました。足につけた標識番号から個体を識別できることや、どこかの海や砂浜で再びこのウミガメが見つけられたら、移動してきた経路や成長の速度などがわかったりすることを説明しました。また、実際にそのウミガメに触れていただきました。大人も子供もウミガメを触りながら食い入るように観察していました。その際、「ウミガメが夏にしかいないのはなぜですか?」(答え: 夏以外は水温が低すぎるので、南下するから)や「このあたりにくるウミガメは何歳くらいですか?」(答え: 詳しい年齢は実は分からない。標識を装着して詳しいデータを収集している)といったような質問も出ました。

おはなし会の最後には、参加者に観察したアオウミガメの名付け親になっていただきました。この個体は今年16番目に混獲されたこと、海のおはなし会の開催が8月だったことから、「いろ(16)は(8)」ちゃんと名付けられ、参加者に見送られながら近くの船着場から放流されました。おはなし会が終わった後も数名が勉強室にのこられ、追加の質問などをいただきました。少人数で開催したことで、参加者との距離がぐっと縮まり、自由な対話が生まれたのではないかと思います。今後も、海の生物や海洋環境に関する研究を通して、地域の方と深い関係を築いていけたらと思っています。

海のおはなし会の様子。少人数でなごやかな雰囲気の中、たくさん質問をしていただきました。
アオウミガメを観察する様子。参加者にウミガメの甲羅やヒレに触れてもらいながら、形態の説明をしました。
「いろは」ちゃんと名付けられたアオウミガメを大槌湾から放流。いつかどこかで会えることを期待して……。

「海と希望の学校 in 三陸」動画を公開中 → YouTube サイトで 海と希望 と検索!

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)メーユ

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シリーズ 連携研究機構第39回「次世代サイバーインフラ連携研究機構(NGCI)の巻」

中尾彰宏
話/機構長
中尾彰宏先生

Beyond 5Gの通信基盤作りを推進

――次世代の情報通信を見据えた機構ですね。

昨年12月に総務省のBeyond 5G推進コンソーシアムが次世代情報通信の方向性を示しました。私も一員として議論するなかでBeyond 5Gを担う研究組織創設の機運が高まり、今年4月に当機構が発足しました。技術を磨けばいい時代は終わり、最初からデータ利活用を考慮したインフラ開発が必要になっているため、法学政治学研究科や公共政策大学院、未来ビジョン研究センターにも連携に加わってもらいました。たとえば、iPhoneから出る匿名の電波情報を拾えば空間の混雑度が測れますが、もともとの目的ではないため活用は制限されてしまいます。最初から意図を組み込んで端末を作っておけばもっと多くのことができるでしょう

――漁業のプロジェクトも行っているそうですが。

農業ではスマート化の試みがありますが、漁業ではまだでした。電気がない、塩で機器が錆びる、生物が付く、電波が水に吸収されて届きにくいなど、海には問題が多いんです。東大が率先して挑戦する姿を見せようと、広島の牡蠣養殖にローカル5Gを導入しました

――5Gはどのように養殖に役立つんでしょうか。

水深20mで育つ牡蠣の様子は船の上からはわからないので、カメラを積んだ水中ドローンを遠隔操作して確認します。5Gを使えばリモートでも遅延なく制御できるのがポイントです。魚が捕食しているとか、海藻が付着しているとか、殻が底にたまって酸素が不足しているとか、見えなかったものが見えれば不生育の原因がわかります。人が潜って確認するのは大変で危険もありますが、遠隔操作なら比較的簡単に安全な状態で監視ができる。遠隔監視は5Gの有力な活用法です。山の上に飛行船やドローンを飛ばせば、落石の可能性や噴火の予兆をつかめます。富士山科学研究所と連携して防災に役立てる取り組みも進めています

――スマホが速くなるだけではないわけですね!

通常は行けない場所のリモート監視が課題解決に繋がります。誰でも使えて革新ができる情報通信という意味での「通信の民主化」が必要です。Democratic Dayと題した10月のシンポジウムではメンバーとこの点を共有しました。Beyond 5Gで先行するフィンランドの研究者をGlobal Fellowとして招聘し、機構アドバイザーも務めてもらう予定です。

NGCIのロゴ

どこでもセンシング、半導体、自動運転など政府の事業に採択されたプロジェクトが走り出しています。ロゴ(→)に思いを込めたように、機構の成果を地球全体に波及させたいですね

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UTokyo バリアフリー最前線!第28回

バリアフリー支援室長
熊谷晋一郎
ことだまくん

障害を普遍化したCOVID-19

障害とはいったい何だろうか。一般には、平均とは異なる機能や形を持った身体の〈中〉に存在する特徴だと考えられているかもしれない。しかし「障害の社会モデル」の考え方が打ち出されて以降、障害は身体の〈外〉に発生する現象だと捉えられるようになった。これは、身体的な多数派にカスタマイズされた社会環境(建物・道具・制度・慣習・言語・価値観など)と、少数派の身体を持っている個人との間に生じるミスマッチを障害だと捉える考え方である。今日、この障害の社会モデルは、障害者権利条約や障害に関する国内法の標準的な考え方になっている。

この考え方によれば、身体が多数派であっても、環境が変われば障害が発生することになる。Ebuenyiらは、COVID-19による社会環境の急激な変化は、障害という現象の普遍化を引き起こしていると述べている。例えば、孤立し、地域とのつながりがないことは、施設に隔離された障害のある人々の経験と重なる。またCOVID-19に関する信頼できる情報にアクセスすることが容易ではないことは、視覚障害や聴覚障害のある人々が、情報保障が十分に提供されていない経験を想像させるものである。加えて、COVID-19に関連性が強いと誤解されることで、国籍や年齢、職業などを理由とする不当な差別をされる可能性が高まっているが、これも障害者差別と地続きなものであり、特に、医療サービスを受ける人に優先順位がつけられ、健康状態に基づいて個人に「価値」が付けられ、優先順位の低い患者はサービスが延期されたり、中断されたりする可能性が高まっている。さらに、障害のある人だけでなく、教育、労働からの排除は普遍化しつつある。このように、障害が普遍化する中、以前は障害者向けのソリューションとされてきたものが、今や汎用され始めてもいる。

しかし、障害の増大は均等に起きているのではなく、子どもや狭義の障害者、差別にさらされてきたグループや社会経済的状況の低いグループは、そうでない人々よりも、より一層深刻な状況に陥り、格差が拡大している。筆者もまた、安全性を確保しながら介助者を確保することに困難が生じ、一部の介助者に過度な負担をかけてしまっている現状がある。また、先日急性胆囊炎で入院した際にも、入院中の介助者の付き添いが認められず苦労をした。

漸弱性の高いグループがどこにいるのかをモニターし続け、有限な資源をそこに投じていくことは、このパンデミックを収束に向かわせるうえで不可欠な分配原理といえよう。

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第185回

生産技術研究所
総務課総務チーム
池田安奈

生研の窓口から

池田安奈
こまっけろとめいちゃん推しです

生産技術研究所2階Cw204。この4月からの私の職場です。総務チームの名を冠しているだけあって、毎日、鍵の借用、書類の提出、郵便の受け取り、遺失物の問い合わせなど、様々な用件で所内構成員がやってきます。コロナ禍で各種書類のオンライン申請が進み、窓口に来る人はこれでも昔よりかなり減ったそう。便利になったことにありがたみを感じる一方、「教員と事務の距離が近いのが生研の良さだよ」といろんな人が口にするのを聞くと、さらに距離が近かったであろうコロナ前の様子も体験したかったなという気持ちにもなったりします。

プライベートではドラマを見るのが好きです。4月期に見ていたドラマの舞台が代々木上原で、仕事終わりに聖地巡礼できたのも生研の嬉しいポイント(笑)。何かと制約の多いご時世ですが、日々のちょっとした喜びを大切に、仕事も生活も楽しんでいけたらなと思います。

ドラマの聖地巡礼も楽しんでいます
得意ワザ:
公用携帯に出るのが早い(らしい)
自分の性格:
詰めが甘い、そしてかなり雑です
次回執筆者のご指名:
桑本達郎さん
次回執筆者との関係:
学生時代の学園祭実行委員の仲間
次回執筆者の紹介:
電話とメールがとても丁寧
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう

第25回 総合文化研究科・教養学部
駒場博物館助教
折茂克哉

一高「寄宿寮記録」の公開

駒場博物館は、教養学部の前身の一つである旧制第一高等学校(一高)に関する資料を多数所蔵している。そのなかでも閲覧希望の多い「寄宿寮記録」は幸いにも2020年度アーカイブズ構築事業に採択され、2021年9月にデジタル画像公開の運びとなった。

本資料は寄宿寮委員会の議事録集である。一高生たちの学業ではなく生活にまつわる諸問題や関心事などが記録され、当時の学生たちの生活がうかがい知れる貴重な資料だといえよう。現存している寄宿寮記録関連資料は明治26(1893)年~昭和23(1948)年まで71冊あるが、今回公開したのは明治26(1893)年~大正12(1923)年までの40年間分13冊である。今後も段階的に作業を進め、最終的には全て公開する予定である。

この画像は、清国留学生たちの一高入寮に関する議事録の一部である。文化の異なる留学生たちを、単なる生活空間ではなく一高精神の象徴である寮にどのように受け入れていくのか、様々な意見を取り上げて合議により方針を決定していく様子がみてとれる。

狩野享吉校長時代の明治32(1899)年に聴講生8人で始まった清国留学生受入事業は、明治37(1904)年に清国政府から派遣された31名に拡大。明治41(1908)年に特設予科、昭和7(1932)年には特設高等科が設置され、制度化されていくこととなった。昭和10(1935)年に一高は本郷(現弥生キャンパス)から駒場(駒場Iキャンパス)へと移転するが、その際に建築された特設高等科の建物は教養学部101号館として現在でも使用されている。

この101号館に2019年より東アジア藝文書院が設置され、展開する事業の一つとして「一高プロジェクト」が進められている。2020年には同館にて「一高中国人留学生と101号館の歴史展」が開催された。2022年3月には駒場博物館での展覧会も企画されており、デジタル化された本資料は大いに活用されることだろう。

清国留学生入寮に関する顛末(明治37年1月28日)
『(7)B2-3 寄宿寮記録 明治36―40年』
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インタープリターズ・バイブル第170回

総合文化研究科 教授
科学技術インタープリター養成部門
松田恭幸

OEDと市民科学とgoogleと

ある休日、世界最高峰の英語辞書と名高いオックスフォード英語辞典(OED)の編纂過程を描いたノンフィクション『博士と狂人』(ハヤカワ文庫)を読んでいると、次のような文章が目に留まった。

「大辞典の編纂は、1857年の(中略)講演によって始まった。(中略)この計画に着手するには、一人の力では足りない、とトレンチは言った。(中略)何百人もの人びとで構成される巨大なチームを作り、アマチュアの人たちに“篤志協力者”として無給で仕事をしてもらわなければならない」

これは市民科学の最初の例ではなかろうか。市民科学とは専門家と市民が協働して科学研究を進めようという試みを指し、科学の進展につれて距離が開いていった市民と研究者を、さらには政策決定とを結びつける可能性の一つとして注目されている。その源流が一般的には自然科学の範疇には含められない言語学や辞書学に求められるとしたら、これは中々興味深い。

そう思い、明日は大学図書館に行って色々と文献を調べてみようと考え始めたところで、ついググってしまった。するとナショナル・ジオグラフィック誌のウェブ記事に、1833年のしし座流星群の大出現のとき、天文学者のオルムステッドが目撃情報の提供を新聞紙面で呼びかけたところ、全米から多くの情報が寄せられ、それを元に彼は流星の起源や性質について様々な発見をしたというエピソードが紹介され、これが市民科学の誕生と言えるだろうと書かれているのが見つかった。OEDの編纂は市民科学の最初の例ではないかという私の思い付きは15分で否定されてしまったのである。そして私は翌日に図書館に行く意欲を削がれてしまい、今も結局調べていない。なんと寂しいことだ!

グーグルの検索は、少数の文献に限られることなく幅広く情報を収集し整理しようとする点に特徴があり、誰もが受け入れやすい結論が容易く得られる。こうしたネット検索の特徴は、専門家集団の知見とスキルに縛られずにオープンな研究をしようとする市民科学のアプローチに類似する点があるようにも思われる。

私がネット検索から得た結論(らしきもの)に満足してしまった寂しさに相当するものが、市民科学にもあるのだろうか。市民科学の活動の中で、専門家が市民に迎合した形の結論や判断に満足してしまう危険性はないだろうかということが、(自分の怠惰な性情を棚に上げて)今は気にかかっている。

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第34回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

筋骨運動器、何キロ持てる?

新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止策として在宅勤務が急速に広まり、また外出制限も重なって運動不足を感じたかたは少なくないのではないでしょうか。もしかすると、これを機に筋トレを始めたかたもいらっしゃるかもしれません。

筋トレで用いられるツールのひとつにダンベルがありますが、日本では明治期から体操授業で使われていました。とはいうものの、当時のダンベルは木製の軽いもので、両手に持って手足を伸縮させ動きに勢いをつけたり、リズムにあわせてダンベル同士を打ち付け、音を鳴らしたりするといった使い方をしていたようです。

ノートに書かれた「Dumb-bell」の文字とその下に左手でダンベルを持っている図面

画像は、明治9(1876)年、宮内省より東京開成学校が製造した「筋骨運動器」の送付を依頼された文部省から東京開成学校へ宛てた照会文書に描かれたダンベルの図面です(S0001/Mo018/0102「筋骨運動器械製造ノ件」)。依頼を受けた東京開成学校は、およそ一ヶ月後に大中小3種類のダンベルを宮内省に納めました。納品したダンベルは、両球が着脱可能で、球のなかに入れる鉛の量で重さを調整できるようになっており、大・中サイズのダンベルは一対で約12kg、小サイズのダンベルは一対で約4kgというものでした(S0004/09「筋骨運動器械ノ件」)。

前述の木製ダンベルを用いた体操は、明治11(1878)年に設立した「体操伝習所」(体育の研究と体操科教員の養成を目的とした機関)の外国人教師によって日本にもたらされました。しかし当館の資料から、東京開成学校においては体操伝習所の設立前に「筋骨運動」を目的としたダンベルを製造していたことがわかります。当時なぜ東京開成学校でダンベルを製造していたのか、そして宮内省に納められたダンベルはどなたがお使いになったのかはわかりません。宮中で当時最新式の器具を使ってどのような運動が行われ、その結果どのくらい鍛えられたのかも気になるところです。

(特任研究員・千代田裕子)

東京大学文書館