第1137回淡青評論

七徳堂鬼瓦

幸福度

世界各国の幸福度ランキングが毎年国連から発表される。北欧の国々が軒並み上位を占めていて、残念ながら我が国のランキングはいつも高くない。近隣のアジア諸国と共に、自己を低く見る傾向があることが日本のランキングが低い要因の一つであると分析されている。今年の結果で興味深いのは、コロナ禍でも各国の人たちが感じる幸福度が概ね低下しなかったということである。Covid-19の感染者や死者が多く出ても、コロナ禍で得た他者との連帯感やつながりが幸福度に大きな影響を与えて幸福度が下がらなかったためだと考えられている。以前、ランキング上位国のブータンは世界一幸福な国と謳われた。当時の国王が国民総生産(GDP)よりも国民総幸福量(GNH)を重視すると言った話は有名である。ただし、そのブータンでも最近は外国の状況が国内に伝わって来て、今では国民はそれほど幸せだとは感じていないようである。

日本国内の県別幸福度のランキングも毎年民間団体が発表している。アンケート調査に基づくので、一部からは信憑性を疑う声もあるが、第一位は沖縄県である。首都東京は下から3番目の45位である。過ごしやすく、暖かい気候や風土、人間関係が幸福度に大きな影響を与えるポイントではないか、と聞けばある程度納得できる。

さて、本題は大学の構成員の幸福度についてである。私個人には不満はない。大学の目標が明確であり、便利な教育研究のインフラが用意され、様々な分野の第一人者が周りに何人もいて、研究や社会貢献を進めやすく、とても過ごしやすい。だが、自分とは異なる属性を持つ構成員はどうだろうか。学生・職員・教員、文系・理系、若手とシニア、正規と非正規、ジェンダー、国籍の違い、等々様々な属性の人がキャンパスにはいるが、それぞれの人の主観的幸福度を測定するのはとても難しい。アリストテレスは最高の徳とは幸せの追求であるとした。幸福度の研究は、今なお様々な観点から議論されている、奥が深い学問分野である。ただし構成員の幸福度を考えてみることで、これまで焦点化されてこなかった「どういう気持ちでキャンパスライフを送っているか」に着目し、大学がどこを目指そうとしているか、実際に目指していくかを議論し、考えを深めることができるのではないだろうか。世界の誰もが来たくなる大学というのは、構成員の多くが幸福と感じる大学ではないだろうか。

大矢禎一
(新領域創成科学研究科)