東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

白い表紙に大きなタイポグラフィ

書籍名

寺山修司の一九六〇年代 不可分の精神

著者名

堀江 秀史

判型など

554ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2020年2月21日

ISBN コード

9784560097502

出版社

白水社

出版社URL

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寺山修司の一九六〇年代

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わたしが寺山修司の名前を知ったのは、学部生の頃だった。酒の給仕のアルバイト先で、先輩から、渋谷パルコでやっている寺山の回顧上映を一緒に観に行かないかと誘われたのである。ついて行って観たのが、寺山監督作『田園に死す』(ATG、1974) だった。ドア一つで繋がれた、因習に満ちた前近代の村落と紫煙のくゆるバーカウンターが象徴する現代都市。恐山の本堂、仏壇の眼前で洋装の娼婦に犯される学帽の少年。快楽とナンセンスのサーカス団を彩る、悪趣味を超えた虹色。何よりも、これら奇抜な映像が、古臭いはずの短歌と並行して展開される衝撃。さらにこの時の上映では、エンドクレジットが流れている最中にスクリーンが巻き上げられ、その裏に仕舞われた梯子やら何やらの大道具が露わになった。それらの凹凸の表面に、映画の光の束が照射されたことも、内容とともに強く印象に残っている。わたしはこのとき、文字通り目を剥いていた。慄然として、寺山修司とはいったい何者かと、その光を凝視していた。映画が終わり、こんな法外な熱量で (しかも罰当たりな) 作品を作った者はきっと早死にしたに違いないと、怖いような気持ちでパンフレットを買ってめくった。果たしてこの鬼才は、1983年5月に病により他界していた。享年47歳だった。
 
渋谷パルコでの衝撃から、20年近くが経った。その間わたしは卒業論文で映画『田園に死す』の作品論を書き、修士論文で寺山の写真論を書き、博士論文で寺山のクロスジャンル論を書いた。早逝の詩人寺山修司は、映画と短歌だけではない、大衆文化の評論や演劇、写真、歌詞、ラジオドラマ、テレビドラマ、同ドキュメンタリー等々と、実に多くのジャンルに亘って、無数の作品を遺していた。何せその活動の幅広さと複雑さゆえ、寺山の活動の全貌は未だ誰も見通せていない。一方で、関係者の記憶は数多の書物として世に送られている。卒業論文では到底書き尽くせなかった詩人の活動を追っていたら博士論文に至った、というのが実情といえようか。博士論文はそのような寺山研究の現況へ向けた挑戦であり、本書はそれをベースとしつつ、大幅な改稿とともにまとめ直したものである。
 
本書は、寺山修司の活動を貫く思想―― <ダイアローグ> と <私> ――を軸に展開する。<ダイアローグ> とは、未知なる他人を希求するこころであり、<私> 性とは、自分とは何かを考え続ける眼差しである。これらはともに、いま当たり前に在るそれを疑い、次の可能性へと開く思想である。寺山を巡る史実や活動の実際を整理し、この詩人の多様さを一貫した思想の下に見通すこと、またそれによって、1960年代という時代の精神を照らし出すことを目指した。
 
そんな本書の原点には、20歳そこそこのわたしを貫いた『田園に死す』という強烈な光がある。554頁と少し厚めの (わたしにとっては苦くもあり心地よくもある) 本書の重さは、まぶしい光を学問のことばに変換するのにかかった歳月の比喩である。
 

(紹介文執筆者: 堀江 秀史 / 2021年4月2日)

本の目次

序 章 寺山修司論の現在
一 受容史と従来研究の様相
二 本書について
 
第I部 壜詰の世界――人物・ダイアローグ・<私>
 
第一章 空っぽのアパート――その生涯
一 土地という指標
二 先行する寺山伝記
三 寺山修司小伝
第二章 ダイアローグ――寺山機関の力学
一 テーマ論の困難――その作家性から
二 方法の深化――評論から対話へ
三 ダイアローグとは何か――『戦後詩』(一九六五年) を中心に
第三章  <私> 論の形成
一  <私> 論と寺山受容――先行論たち
二 「独創」への懐疑
コラム1 寺山修司蔵書公開の意義――時代性の検証に向けて
三 虚構と現実
四 記憶あるいは歴史
五 身体
六 <私> たちのダイアローグ――自己遡及的批評へ
第四章 ふたりぼっちのわたしに――映画『田園に死す』(一九七四年) を読む
一 ロミイとは誰か
二 挿入短歌十三首で紡ぐ物語
三 映画と短歌の表現論
四 ロミイとともに
 
第II部 クロスジャンルの道程――映画・ラジオ・テレビメディア
 
第五章 ラジオを巡るジャンル考
一 放送分野と人文学――NHKアーカイブスでの調査について
二 ラジオドラマの分類
三 ラジオの供する内容と作品のアイデンティティ
コラム2 資料体の設定――ラジオドラマ研究の方法論について
第六章 見出されるジャンル ――テレビドラマ『一匹』(一九六三年) を巡って
一 「夢」と「現実」――二つの『一匹』
二 詩と映画――映画『拳銃よさらば』と鼎談「シナリオと演出」(一九六〇年)
三 シナリオ性の探求――雑誌『シナリオ』における実践
コラム3 『寺山修司の戯曲』(思潮社) について
四 絨毯に播かれた吸殻――歌曲『木の匙』(一九六四年) の幸福
五 テレビとラジオ――『一匹』のテーマ
おわりに
 
第III部 世代間のダイアローグ
 
第七章 歴史語り(イストワール)への抵抗
一 次世代からの眼差し
――四方田犬彦『ハイスクール1968』(二〇〇四年) における思い出語りの陥穽と効用
二 日本映画史における寺山修司
第八章 誰でもなかったころ――映画におけるオマージュ
一 影響関係とオマージュ
二 篠田正浩との交感
三 メディアの変遷による語り直し―小説、漫画から映画『少年時代』(一九九〇年) へ
四 一九三〇年代生まれの共同体
五 オマージュの要件たち
 
終 章 詩人とその宇宙観――トレーンからの使者
一 横時間と縦空間
二 ボルヘスと寺山
コラム4 出生日と出生地
三 時を亘る詩人

関連情報

電子書籍版公開 (2021年2月)

受賞:
2021年 日本比較文学会賞 (日本比較文学会 2021年)
http://www.nihon-hikaku.org/activity/award.html

著者インタビュー:
著者に会いたい: 堀江秀史さん「寺山修司の一九六〇年代」インタビュー 執拗な整理で混沌に挑む (『朝日新聞』 2020年4月18日掲載)
https://book.asahi.com/article/13311837
 
書評:
松井茂 (詩人・情報科学芸術大学院大学准教授) 評 「伝説の検証としての研究から新たな関係性としての解釈へ」 (『週刊読書人』 2020年5月22日
https://dokushojin.com/review.html?id=7222
 
野島直子 評 (宇波彰現代哲学研究所ブログ 2020年5月1日)
http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-349.html#more
 
久慈きみ代 評 (『東奥日報』 2020年4月27日)
 
関連書籍:
堀江秀史 (編著)『ロミイの代辯 寺山修司単行本未収録作品集』 (幻戯書房、2018年)
https://www.genki-shobou.co.jp/books/978-4-86488-146-3

堀江秀史 (著)『寺山修司の写真』 (青土社、2020年11月25日)
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3502