東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

白地に抽象的なパステルカラーの木と子ども

書籍名

子どもの学習を問い直す 社会文化的アプローチによる知的障害特別支援学校の授業研究

著者名

楠見 友輔

判型など

272ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2022年1月31日

ISBN コード

978-4-13-056236-2

出版社

東京大学出版会

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子どもの学習を問い直す

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学習は多くの人にとって身近な話題であり、これまでの人生で学習について考えたことがある人は少なくないだろう。しかし、自身の学習についてのイメージが、どのような学習観に支えられているのかと考えたことはあるだろうか。本書は、伝統的な学習観とは異なる観点から子どもの学習を問い直すことを通して、新しい学校教育の可能性を探求した研究である。
 
本書は、インクルーシブ教育という話題から書き始められる。日本におけるインクルーシブ教育についての議論には、障害のある子どもを通常教育の場に参加させるべきという主張と、支援の充実した特別な教育の場における教育を重視する主張の間での論争がある。しかし、筆者はどちらの立場にも加わらず、知的障害のある子どものインクルージョンを困難にしている根本的問題は何かという問いを立てる。そして、国内外の障害児教育の制度と現状を概観することから、問題の背景にある個人主義的な学習観を指摘する。この発想の転換は、二項対立によって停滞しがちなインクルーシブ教育についての議論を前進させる上で意義がある。
 
授業における子どもの学習を、試験の得点や行動の変化等の個人的指標に置き換えて評価できるとみる学習観は、個人主義に基づいている。そこで示される低い得点や問題とみられる行動は、知的障害のある子どもの学習に限界があるという主張の根拠として用いられることがある。しかし、本当に知的障害のある子どもの学習に限界があるのだろうか。そうではなく、個人主義的な学習観に立つ研究や実践によって、知的障害のある子どもの学習に限界があるとする言説が作られているのではないか。
 
個人主義に代わる学習観として、本書では社会文化的アプローチを採用する。社会文化的アプローチでは、人間は文脈や他者と切り離すことのできない媒介された主体とみなされる。そして、社会的な出来事を脱文脈化された個人的指標に置き換えて分析することはできないとみる非還元論に立つことで、授業の中で子どもが他の物や人と関わりながら問題を解決する過程そのものが学習とみなされる。
 
筆者は、一つの知的障害特別支援学校におけるフィールドワークと授業記録を行い、社会文化的アプローチから知的障害のある子どもの学習を再考する。知的障害のある子どもの学習は特殊なのか。障害は子どもの学習を制限するのか。これらの問いに対して、本書における4つの授業研究は、知的障害のある子どもの限界ではなく可能性を明らかにする。更に、本研究を通して得られた知見は、情報技術革新とグローバル化が加速する現代社会における新しい学校教育の在り方への示唆を含む。
 
本書は、知的障害教育や授業研究についての基礎から発展的な知識までをカバーしており、様々な読者が議論に参加できるように編まれている。本書がこれから研究を志す多くの読者の好奇心を刺激し、一緒にこれからの教育について考える手掛かりになることを願っている。
 

(紹介文執筆者: 楠見 友輔 / 2022年7月1日)

本の目次

はしがき
 
第1部  知的障害のある子どもを含むインクルーシブ教育の可能性
 
はじめに
 
第1章  知的障害のある子どものアカデミックな教育課程へのインクルージョン : アメリカの知的障害教育の動向から
  第1節  アメリカにおける障害のある子どもの教育
  第2節  知的障害のある子どものインクルージョンの実態
  第3節  新自由主義と結びついたインクルーシブ教育の特徴と問題
 
第2章  知的障害教育の専門性を強調する立場 : 日本の知的障害教育制度と歴史から
  第1節  日本の知的障害教育の制度的枠組み
  第2節  日本の知的障害教育の背景
  第3節  専門性を強調する日本の知的障害教育の意義と問題
 
第3章  知的障害教育の根本的問題
  第1節  日米の知的障害教育の差異と共通性
  第2節  個人主義の特徴
  第3節  知的障害教育への問題提起
 
第4章  個人主義から社会文化的アプローチへ
  第1節  学習と障害を社会的概念として捉える
  第2節  社会文化的アプローチの教授学習論
  第3節  社会文化的アプローチから子どもの学習を捉える意義
  第4節  社会文化的アプローチによる学習論への転換
 
第2部  授業における知的障害のある子どもの学習を問い直す
 
第5章  本章における授業研究の方法
  第1節  分析方法
  第2節  協力校とデータ
  第3節  研究の全体像と各章の目的
 
第6章  知的障害のある子どもの学習の可能性
  第1節  知的障害のある生徒Cの文章理解の学習過程を分析するための方法
  第2節  生徒Cの読み方の変化と教師の教授の特徴
  第3節  知的障害のある子どもの創造的な学習
 
第7章  子どもの自然な差異は学習にどのように影響するか
  第1節  複雑な特徴を持つ生徒Bのお金の支払い学習の過程を分析するための方法
  第2節  生徒Bの複雑な特徴と学習の関係
  第3節  子どもの特徴は回り道の学習を生じさせる
 
第8章  授業の構造は子どもの学習にどのように影響するか
  第1節  生活の授業の構造が子どもの参加に及ぼす影響を分析するための方法
  第2節  6タイプの授業の構造とその影響
  第3節  構造と子どもの参加の関係
 
第9章  授業における子どもと環境と構造の動的変化
  第1節  子どもの授業参加の仕方の変化を分析するための方法
  第2節  2名の司会者が教室談話を主導するようになる過程
  第3節  集団的活動の動的変化として生じる子どもの授業参加
 
第3部  子どもの学習を中心とする学校と社会へ
 
第10章  新しい時代の知的障害教育へ
  第1節  知識社会と知的障害教育
  第2節  授業を問い直す
  第3節  学校教育改革への示唆
 
あとがき
 
引用文献
索引

関連情報

受賞:
第2回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2021年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
 
城戸奨励賞受賞  (日本教育心理学会  2020年)
https://www.edupsych.jp/kido-award
 
関連記事:
ニュー・マテリアリズムによる教育研究の可能性――物と人間の関係に焦点を当てて  (『教育方法学研究』46巻 p. 25-36  2021年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nasemjournal/46/0/46_25/_article/-char/ja
 
学習者の「媒介された主体性」に基づく教授と授業――社会文化的アプローチの観点から  (『教育方法学研究』43巻 p. 49-59  2018年)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/nasemjournal/43/0/43_49/_article/-char/ja
 
連載記事:
【新しい時代の教育を創造する】第1回 学習の「複雑さ」を捉えるために  ((『月刊 教育と医学』 2022年7・8月号~)
https://www.keio-up.co.jp/kyouikutoigaku/202207-08/