第1107回淡青評論

七徳堂鬼瓦

恵まれているからこそ

高校に通う前の1か月半ほど工場に働きに出たことがあります。まだ15歳ですから周囲の人にはかわいがってもらいました。仕事は精密機器のはんだ付けで、単純作業の繰り返しです。難しくはなくても数をこなさなくてはならずたいへんでした。安全な仕事でしたが、薬品が目に入って慌てたこともありました。

筆者自身は近所に新しくできた公立高校に行くことになっていたのですが、一緒に工場に入った同い年の女の子は中学校でおしまいでした。仕事が忙しくてあまり話をすることはありませんでしたが、昼休みに呼び止められて「高校に行けるのはいいなあ」と声をかけられました。そう言われて自分が高校に行けることの大切さをかみしめました。

今年の本学の入学式で上野千鶴子氏の祝辞が「隠れた性差別」を取りあげたとメディアで話題になりました。ただ、少なからぬ数の人がこのスピーチは性差別の話だけではないと受け止めています。恵まれた環境と恵まれた能力を持つ本学の入学生に向けて、なんらかの理由で恵まれることがなかった人のためにその環境と能力を使ってほしいという言葉が心に響いたのでした。

本学での教育が高等教育として優れていることは言を俟たず、筆者も通常担当している授業やトライリンガル・プログラムというグローバル化時代に向けた人材養成の授業でそのレベルの高さを実感しています。しかし、その教育はただ高度な人材の育成や学問・研究の向上のためだけにあるのではありません。大学という恵まれた場では忘れられがちですが、高等教育はおろか中等教育をも思うように享受できなかった人たちは世に少なくありません。世界に目を向ければ初等教育すら受けることのできなかった人たちも大勢います。そういった人たちと本学の教育は必ずやどこかでつながると、教わる側も教える側も意識することが大切です。「開かれた人格を涵養する」目的で展開されている後期教養教育科目などの制度がこれからもその意識を高めてくれると思っています。

寺田寅彦
(総合文化研究科)