第1113回淡青評論

七徳堂鬼瓦

自由な議論の場としての大学

南デリーにあるジャワハルラール・ネルー大学(略称JNU)を訪れると、ちょっとしたタイムスリップを味わえる。60年代・70年代の学生運動を思わせる左翼イデオロギー丸出しの巨大壁画が大学棟の側面に描かれ、政府や大学当局を批判するタテカンも至るところに置かれている。インド人文・社会科学の最高峰であるこの大学に、全国から集まってきた学生や教員のほとんどは広大なキャンパスの中の宿舎で生活し、夕方になるとチャーイをすすりながら議論するジーンズ姿の若者がみられる。インド研究者からすると、JNUで発表するというのはちょっとした緊張が伴う。研究者や学生からの辛辣だが的を得た質問や批判の総攻撃が待ち受けているからである。

そのJNUがここ3年の間に大きく様変わりしてしまった。保守系の政府によって新たな学長が任命され、学生自治組織の幹部が大学内で「アンチ・ナショナル(日本語訳すると非国民だろうか)」だとして扇動罪の疑いで逮捕され、大学院生の奨学金が一方的に打ち切られた。こうした大学当局のやり方に反発した学生と教員はストライキに突入した。その間いかにも知的なJNUらしく、ナショナリズムとは何かを問うレクチャーシリーズが屋外で行われた。だが元気が良かったのもこの辺りまで。今は様々な圧力の中で、お互いの顔色をうかがう状態が続き、思ったことを発言できない雰囲気が続いているようだ。7月にはストに参加した教員48名が大学当局から国家公務員法に違反したとして起訴された。リストに名前のあった退職間近の友人は年金が剥奪されるのではないかと戦々恐々としている。

JNUの経験から学べることは何だろうか。政府や大学当局の批判をしても意味がないだろう。むしろエリート階層出身の教員たちが「自由な議論の場」が保証されていたという事実にあぐらをかいていなかったかと問うべきかもしれない。その問いはまた私たち自身への問いでもあると思う。

池亀 彩
(情報学環)

2009年ごろの
JNUキャンパス
の政治壁画