2027年に大きな節目を迎える東京大学では、五十年史、百年史に続く百五十年史編纂の準備がすでにスタートしています。先日ついに実施された百年史のウェブ公開を機に、百五十年史編纂室の室員と編纂室に深く関係する皆さん8名に集まっていただき、百年史の見どころについて、そして来たるべき新しい大学史の姿とはどんなものなのかについて、座談会形式で語ってもらいました。
~編纂室関係者座談会より~
佐藤●まずは自己紹介と大学史との関わりを。
フォークダンスも捉えていた百年史
苅部●私は政治思想史が専門で、百年史は読者として利用してきました。特に博士論文を書く際によく参照した記憶があります。今回改めて読んでみて、発見がありました。通史三の巻頭に駒場祭と五月祭の写真があります。駒場祭は1968年のポスターで、橋本治のコピーで有名な作品です※1。五月祭は1974年に総合図書館屋上から撮ったもので、一見、何をやっているかわかりません※2。たまたま私は別の本で見たことがあったのでわかったんですが、これはフォークダンスの様子です。東大の歴史と同時に、日本の近現代の諸事情を知る上でも有意義な史料だと思います。
岩田●情報理工学系研究科は2001年にできた新しい部局です。私が学んだ計数工学科数理工学コースは、戦後にGHQの指示で廃止された航空学科の教官が新たな学問を興そうとして作ったコースです。後で航空学科に戻ることもできたのですが、始めたばかりの数理工学を続けようとして、今日に至っています。大学のアクティビティには歴史的な経緯を受け継ぐ部分があると思っています。
井元●私はもと数学科で統計学が専門でしたが、2001年に医科研に来てゲノム解析を始めました。DNAの二重螺旋構造発見は1953年で、東大が百周年の頃、ゲノムのことはほとんどわかっていなかったでしょう。大学が百年史を記し、百五十年史を準備する間に大きく変わり、進展してきた、そういう学問領域で自分は働いているんだなと感じます。
百年史へのアクセスはこちらから https://www.u-tokyo.ac.jp/adm/history/03_03_j.html
院生として百年史に関わりました
照沼●30数年前、文学部国史学科の大学院生だった頃に指導教官の伊藤隆先生に手伝うよう言われ、百年史に関わりました。下っ端で全体のことは見えていませんでしたね。その後は文科省で教科書検定の仕事をしましたが、大学史史料室の中野実さんや寺﨑昌男先生との交流は続いていました。定年後、お声がけいただき、編纂室の仕事をしています。
森本●文書館は百年史編纂事業が元になった組織です。140周年事業のなか、2016年度に百年史をデジタル化しDVDにしましたが、もっと使いやすいようにと昨年度末にUTokyoリポジトリに入れて誰でも見られる形にしました。五十年史と「東京帝国大学学術大観※3」も近日ウェブ公開する予定です。
福田●私は博士課程の学生ですが、編纂室の特任研究員でもあります。専門は明治維新期日の貨幣ですが、日本史の研究室にいたので年史にも関わっていました。以前よりデジタルヒューマニティーズの研究グループに入っていたのが縁で呼んでいただいたのかと思います。全体の統括、実作業の割り振り、テレワークへの移行作業もやっています。
東大全共闘議長にもインタビュー
谷川●私も日本史学の博士課程の学生ですが、2018年度には編纂室の特任研究員でした。佐藤愼一先生による有馬朗人総長や吉川弘之総長のインタビューに同行し、書き起こし作業を手伝いました。そこで聞いた東大闘争の話に興味を持ち、闘った学生側の話も聞きたいと思いまして、東大全共闘議長だった山本義隆さんに4回にわたってインタビューしました。原稿確認を進めているところです。
佐藤●百年史がウェブで見られるようになり、以前とは違う利用の仕方が開かれたように思います。利用者の便ということでは、今回しおり機能をつけたのが特長ですね。
岩田●1冊1000ページを超えるPDFの中で、見たいところにパッといけるのは便利ですね。
佐藤●百五十年史の資料編を作る時には、百年史も学術大観も五十年史も生かしたいです。一つのライブラリのように設計し、検索機能も組み込みたい。資料集がもう一つの図書館となり、歴史研究の基盤になるでしょう。
照沼●百年史の時とは事情が違いますね。いまは資料が膨大にあって、執筆者が生かし切れるかどうかが心配です。資料の海に溺れてしまうんじゃないかと。
佐藤●海に出た人が美しく泳ごうと溺れようと、そこはしょうがないですね(笑)。
苅部●相互参照のシステムがあれば労力は減らせます。百年史に載ってないことでも学術大観には載っていたりします。たとえば、昭和10年代の文学部国史学科のことだったら学術大観の該当箇所に飛んでくれる、といった機能を持つ画面にしたいですね。
佐藤●百年史は組織の正史としてスクエアになる傾向があったと思います。ただ、大学史の中で学生生活の話に立ち入らないのでは物足りない。そこでは、五月祭の写真をフォークダンスと見破るような目が必要です。正史でない周辺資料はたくさんあります。そこまで視野を広げて社会との繋がりを論じることが新時代の大学史には必要かもしれません。
福田●たとえば卒業生の資料に対象を広げることで百年史と違う価値を示せると思います。データベースはまだ準備段階ですが、卒業生の進路がどうなっているのか、社会での活躍を追うのは重要ですね。紙で残る卒業生名簿や戦前の人名録などを一部OCRソフトで読み取って電子化しているものもあります。
佐藤●さて、今後のデジタルの活かし方について、前に井元先生に考えていただいたことがあります。そこで東大全体をVR博物館にする構想が出てきました。
東大キャンパスをVR博物館に!?
井元●十年後は、5Gから6Gへと移り、瞬時に大量のデータを転送できる時代。デバイスももっと進化するでしょう。VRゴーグルで構内を見ると100年前の姿が飛び出す、という企画は十分可能です。ただ、それには多くの資料や写真が必要で、東大にあるものだけでは不十分。地域住民、旅行者など、学外の人が撮った写真を集めて再構築する作業が必要です。首里城焼失後に市民の写真を募集して3DCGデータで復元した取組みがよい見本です。昔の東大をそうやって再構築する取組みはよいPR、よい歴史教材にもなる。と思って総長補佐の全体会でプレゼンしました。
佐藤●工学部列品館の前でiPadを掲げると、上から石を投げる人が見える、とか。
井元●その場所で行われた研究の情報にもリンクできるとなおいいですね。
佐藤●ちなみに、戦時の航空機開発が計数工学へつながる話は語り継がれているんですか。
岩田●当時の決断をした先生たちの話を聞いているのが私たちの世代ですから、後世に残さないといけないと思っています。
佐藤●制度史というより精神の歴史ですね。
淡々とした記述から精神が伝わる
岩田●いま読むと、実は百年史も完全にスクエアではないですよね。筆致は淡々としていますが、個々人の発言も書かれていて、読めば人の考え方が伝わってくる気がします。私が特に興味を惹かれたのは、大学の自治と学問の自由という問題意識が象徴的に示される総長選挙の記述です。昭和13年頃になると荒木貞夫という陸軍出身の文部大臣が出てきて、選挙などけしからん、と言ってくる。でも、大学側が大臣と議論し、結果的に実質をあまり変えずに制度を残しています。大学が大学たらんとがんばっている姿が伝わります。記述は淡々としていますが、非常におもしろい※4。昨今の状況と似ている部分もあります。
照沼●実はそこは自分が書いたところです。当時の資料が残っていたからこそ書けた。先人たちが知恵をこらしてぎりぎりのところで資料を残してくれたのだと思います。
佐藤●占領軍が大学を本部に使いたいと言って、それを東大が断る辺りも見ものですね※5。戦時中の軍部すらやらなかったことをGHQはおやりになるのか、と迫っている。百年史を読むと、最初から国と大学が上下関係にあったわけではないことがわかります。百五十年史に向けては、山本義隆さんのような人も視野に入っているのが画期的ですよね。
谷川●百年史は運営側の考え方がよくわかる書籍ですが、闘った学生側の論理までは伝わりません。東大が発行主体となる書籍が東大と闘う側の視点を持つと標榜してよいか迷いますが、目配りする努力は必要だと思います。
佐藤●文書館が整理を始めている最首悟さんの関係資料※6とか、歴博「1968年」展※7にもつながる話です。ああいった資料も参照できる仕組みができるとよいですが。
森本●文書館は多角的な資料にアクセスできるように、というスタンスです。大学の基本資料も学生の寄贈資料も写真も。先日、卒業アルバム編集会と連絡がつき、戦後以降のネガ等を一式寄贈いただくことになりました※8。運動会とか学生寮とか、半分くらい大学資料と言えそうなものってありますよね。様々な視点の資料を編纂室に提供したいと思います。
岩田●百五十年史編纂に向けては、人的リソースの確保が課題です。今いる人に負担がかかるとやっていけないでしょう。
佐藤●百年史のときは寺﨑先生や教育学部が使命感を持ってやったようですが。
照沼●先生たちのチームワークがよく、院生たちを有無を言わさず動員していましたね。
佐藤●いまその形で無理やりやったら東大闘争が再燃するかもしれません。
苅部●話は変わりますが、今後のため、大学近くにある写真店と話したほうがいいと思うんです。おそらく大量に学生証用の写真をお持ちでしょう。ご主人が引退すると散逸するかもしれない。いろいろな部局印を作っていたハンコ屋さんはもうないんでしたかね。
大学の周辺にも大切な存在が
佐藤●文学部地下にあった時計屋のおじさんとか、組織の周辺にいる重要な存在ってありますよね。東大出版会の教材部もそう。学生のノートを素材に本を出していました。
苅部●80年代まであった講義録ですね。自分で校閲する先生もいました。丸山眞男は買い取って活用していたようです。
佐藤●駒場の鬼仏表も一つの伝統でしょう。
谷川●時代錯誤社が毎年発行する「教員教務逆評定」は、学生には非常に重要な資料です。
福田●大学の存在意義を示し、社会における東大の価値を示すことが百五十年史のテーマだと思いますが、現状、部局史が少し心配です。戦後の学問の歴史を具体的に書く必要がありますが、それは専門の人がいないと難しい。日本史の院生だけでたとえば理学部の学問史を書くのは厳しいです。
岩田●サイエンスコミュニケーターの皆さんを巻き込むといいのでは?
佐藤●前にテーマ史の議論をした際、「膜」が面白いという話が出て、いろいろな学問に横串を通せそうだ、と盛り上がりました。その辺りを進めるには外の目も必要でしょう。
谷川●東京大学百五十年史というときの東京大学とは経営側のことなのか。学生や職員はどうなるのか。東大のなかの様々な視点をどう歴史的に組み込むかが課題かと思います。
佐藤●次の総長の任期が終わる翌年の2027年が百五十周年です。現体制の間に、全学的な事業の開始がないといけません。まだ具体的にどうこうするとは言えない段階ですが、編纂室でできる作業を進めていきましょう。