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海と希望の学校 in 三陸第9回

三陸を舞台に、岩手県大槌町にある大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターと、社会科学研究所とがタッグを組んで行う地域連携プロジェクト――海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域に希望を育む人材を育成するという文理融合型の取り組み――です。3年目を迎えたわれわれの活動や地域の取り組みなどを紹介します。

広がる「海と希望の学校」の連携の輪
~宮古市立重茂中学校との連携・協力協定~

吉村健司大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
特任研究員
2月に行われた出前授業(玄田有史先生)

2020年6月30日に国際沿岸海洋研究センター(以下、沿岸センター)と宮古市立重茂おもえ中学校(以下、重茂中)との間で、「海と希望の学校 in 三陸」に基づく連携・協力推進に係る協定の調印式が行われ、沿岸センターの青山潤センター長と重茂中の石積康弘校長が協定書にサインを交わしました。調印式には、宮古市教育委員会の教育長や、重茂漁業協同組合の組合長もご臨席いただきました。また、メディアも数社訪れ、調印後のインタビューでは青山センター長や石積校長への質問が1時間以上も続き、関心の高さを窺い知ることができました。なお、沿岸センターが、特定の初等、中等教育機関と「海と希望の学校 in 三陸」に基づく協定を結ぶのは初めてのことです。

今回の協定に至ったのは、私の重茂地区での調査がきっかけでした。私は沿岸センターに着任した2017年以降、毎年6月に重茂地区の例大祭で調査を行ってきました。例大祭では、重茂中の生徒による伝統芸能の「剣舞」と「鶏舞」が披露されます。2019年の調査の際、重茂中の石積校長と佐々木副校長とお話する機会があり、そこで「海と希望の学校 in三陸」について説明をしました。後日、佐々木副校長から、重茂中学校において「海と希望の学校」の授業依頼の連絡をいただき、2019年9月の出前授業に至りました。

これまで重茂中では、2019年9月に「地域づくりワークショップ」、2020年2月に社会科学研究所の玄田有史教授と共に、「希望学」の出前授業を行い、また、懇談する機会を持ってきました。重茂中では2020年からそれまでの学校教育目標を見直し、「海と希望の学校」に変更しました。学校教育目標が変更されるというのは、珍しいことだそうです。調査中に交わした言葉は僅かでしたが、ここまで話が進むとは、私としても非常に驚きでした。

重茂中に在籍する多くの生徒の両親や祖父母が、漁業に関わっています。なかには、漁業の仕事を手伝ってから登校する生徒もいるといいます。こうした話を聞き、重茂の子供達にとって、海は今でも非常に身近なものなのだろうと推察しています。そうした子供たちに、今後は、沿岸センターのスタッフによる様々な実習を通じ、三陸の海の理解を深めてもらう予定です。2020年9月中旬には重茂中での出前授業と、沿岸センターでの二日間の実習が予定されています。

今後は、今回の協定を機に、沿岸地域の初等・中等教育機関へと連携、協力の輪を拡げていきたいと思います。そして、「海と希望の学校in三陸」を通して、子供たちに三陸の海についての様々な知見を提供するとともに、我々も子供たちから地域の視点について学んでいき、ともに三陸の海の魅力を発信していきたいと考えています。

調印式の様子(右が青山センター長)
教育目標「海と希望の学校」の横断幕を掲げる重茂中
重茂での調査の一幕

「海と希望の学校 in 三陸」動画を公開中 → YouTube サイトで 海と希望 と検索!

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)

※1535号の本欄内の記載「JR釜石線」は正しくは「JR山田線」でした。

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部局長だより~UTokyo 3.0 を導くリーダーたちの横顔~第10回

社会科学研究所・生産技術研究所

社会科学の総合知を共同で追求

佐藤岩夫
社会科学研究所長
佐藤岩夫
趣味:建物鑑賞

法学、政治学、経済学、社会学の4分野の研究者が問題意識を共有しながら社会科学の総合知を追求する。それが社研の使命です。特徴は、個別に行う専門分野基礎研究、グループ共同研究、全所的プロジェクト研究という3層での活動。まとまりがよいと言われるのは、日常的に行う共同研究の賜物かと思います。1965年から続く全所的プロジェクト研究は、テーマを決め、3~4年かけて研究所全体で共同研究を行い、書籍にまとめるもの。直近では2016年開始の「危機対応の社会科学」の成果が7月に完結しました。所員同士の雑談からテーマを育てるのが伝統ですが、コロナ禍で対面の場が減りました。歴代所長も注力した蛸壺化しないための努力を怠らず、間もなく新プロジェクトを始めます。

1996年に始めた、社会調査データを学内外から預かって公開する事業を着実に進める一方、社会科学の英語専門誌Social Science Japan Journal刊行に加えて、昨年度から社会科学の英文図書刊行支援事業を始めました。候補の選定、出版社への橋渡し、編集上の助言、契約業務まで担う専任教員を配置し、昨年11月にはキックオフシンポジウムと相談会を行いました。水準は高いのに英語での発信が少なかった日本の社会科学のプレゼンスを世界で高めていきます。

30年先を見通す将来構想を検討中

岸 利治
生産技術研究所長
岸 利治
趣味:旅行

昨年の70周年を契機とする取組みを進めています。この4月、千葉実験所を大規模実験高度解析推進基盤に改組しました。歴史の長さゆえ例外的な面もある組織だったのを見直し、教員ポストを配して、大規模実験に加えて情報系やシミュレーションなどの研究も強化した形です。糸川英夫先生のロケット研究の縁がある6自治体と昨年7月に設立した科学自然都市協創連合では、大漁旗プロジェクトを始めました。地域の魅力や夢を表現する旗を各自治体が制作し、船に乗せて各地を巡り、最後に安田講堂に集結させる試みです。

人事の点では、URAに力を入れています。教員と事務の連携をより強化できる人材を増やし、全体のアクティビティが上向きました。在宅時間が長い親子のために広報室がSNSで展開した生研の研究に関するクイズなどはその好例ですね。

2017年を境に始めたのが、30年後の百周年を見据えた将来構想の議論です。6月に本部に提出した「ビヨンド2020」用の構想案を叩き台に、9月に行うパネルディスカッションを経て、今年度中に策定する予定です。これまで屋台骨を支えてこられた先生方の定年退職が続くので、中堅・若手世代への期待は大きいです。約120の研究室がさらに力を発揮するためにも、一体感をもって将来構想を議論していきます。

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UTokyo バリアフリー最前線!第21回

熊谷晋一郎熊谷晋一郎室長が
取材原稿で伝える
障害研究の現場⑧
ことだまくん

応答、多様性、越境:バリアフリーなアカデミアに向けて

先端科学技術研究センター
西成活裕 教授の巻
能智正博

都市の人々は、隣人を人間扱いしているだろうか。東京生まれ、幼いころから他人を石ころのように扱う都会の人混みが苦手な西成氏は、渋谷駅の雑踏で倒れ病院で検査を受けたことさえあった。また、数学に没頭する少年時代、必ずしも裕福ではなかった両親は内職をしながら応援したが、ある時「東大まで行って数学をして、何の役に立つの?」と聞かれ自問した。これだけ与えられる中で、好きなことだけやっていいのか――でも、数学がやりたい。

応用数学を志し理科I類に入学。流体力学を専攻するも「何の役に立つの?」という声は疼き続けた。そんな時「苦手だった人混みを、流体現象としてとらえられないか」という着想に至る。しかしそれは新領域を立ち上げることであり大きなリスクを伴った。悩んだ末に、尊敬する先輩の「人生は諦めるかやり抜くかの2つしかない、7年はやれ」という言葉に背中を押され、20代後半で大きく研究テーマの舵を切る。縦割りのアカデミアで分野横断的な研究は支援を得にくく、4年ほど持ち出しの状況は続いたが、徐々に注目されるようになった。

流体には流量=密度×速度という関係があり、横軸に密度、縦軸に流量を取ると、増加から減少に転じる臨界点が観察できる。氏は世界ではじめて臨界点を超えた状態として様々な渋滞を定義し、人や車だけでなく、物流やバブル崩壊、セルロース分解過程に至るまで、数多くの現象を解き明かしてきたが、最初の応用例は巧妙に渋滞を回避するアリの研究だった。のちにある養蜂家にアリが渋滞しない理由を尋ねたところ「彼らは同じ個体から生まれた家族だからだよ」と教えられた。アリが実現している個と全体、利己と利他のバランスを人間社会に実装することが渋滞学の最終目標だ。それは、個として数学を愛しながら、同時に「何の役に立つの?」という声に応答し続けてきた氏ならではの到達点かもしれない。

社会課題に多分野が共同して応答するのではなく、個別領域に閉じて業績を積み上げるアカデミアに対しても、変革が必要だと強調する。それはまさに、氏が苦労しつつ歩んできた道でもある。社会への応答、多様性、越境――バリアのない力強い知の実践がここにある。

バリアフリー支援室 ds.adm.u-tokyo.ac.jp

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第171回

医学部・医学系研究科
財務・研究支援チーム上席係長
酒井恵美

バレーは常に上を向くスポーツです

酒井恵美
自席でパチリ(撮影:武内さん)

赤門から入って正面の建物、医学部2号館(1936年11月竣工)で昨年7月より、外部資金(主に政府系委託費)の申請から受入、執行、報告までを担当しています。担当は私を含めて9名の大所帯ですが、周りの皆さんに助けられながら日々業務を行っております。運営費交付金が減少傾向にある中、外部資金獲得の大切さをひしひしと感じております。

20数年前、大分大学へ採用された時は、将来東京大学で働くことになるとは、しかも、現在のような在宅勤務が続く状況になるとは、思いもよりませんでした。新しい働き方、生活様式で、安心して働ける環境作りを目指したいと思います。

次の春高バレー、開催されるといいなあ……

プライベートでは、若い頃、バレーやテニスをやっていましたが、最近、息子の体育の授業をきっかけに、10数年ぶりにテニスラケットをにぎりました! 思うように身体がついていかない……ので怪我しないようにしたいと思います。

得意ワザ:
家族の遺失物を発見すること
自分の性格:
熱しやすく沼にはまりやすい(オタク気質かも?)
次回執筆者のご指名:
高橋元さん
次回執筆者との関係:
気の合う同級生
次回執筆者の紹介:
癒やし系イクメン
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう

第14回 附属図書館柏地区図書課長樋口秀樹

手書きの「学会誌」

「M.M」の署名から、村松操によるものと推定される(第7号)

柏図書館は、「博物之友」という手書きの雑誌を所蔵しています。この、「博物之友」は、東京府立第一中学校(現在の日比谷高校)の生徒であった市河三喜さんき(英語・英文学者・昭和15(1940)年6月15日~昭和21(1946)年10月4日の間東京帝国大学附属図書館長であり総合図書館の貴重書疎開の陣頭指揮も執る)、村松茂、村松操(のち東条操)、小熊まもるの4人の発起人により立ち上げられた「日本博物学会」の手書きの回覧雑誌です。初号は明治33(1900)年5月25日に発行されており、内容は、動植物の採取記、昆虫のスケッチ、投書欄などから構成され、1世紀以上前の好奇心に満ちあふれた中学生たちが触れた昆虫や植物等の様子が記されています。このほか、会則、投稿規程、輪見(回覧)方法、閲覧日数、会員名簿などが記載されており、学会がどのように活動していたかを読み取ることもできます。

第4号の投書欄

なお、「博物之友」は、明治34(1901)年5月までの1年間で8号が手書きで作成されましたが、会員数が50名以上に増加したことなどから翌6月から印刷版の「博物之友」へ移行し、学会の名称も「日本博物学同志会」に改められています。手書きの「博物之友」は、日本博物学会事務所が置かれていた市河三喜の自宅で保管されていたものを、ご親族から2019年に東京大学への寄贈のお申し出があり、柏図書館において貴重書として保管することとなったものです。

また、印刷版の「博物之友」は、全国15館の大学図書館で所蔵されていますが、1部しか存在しない手書き版は柏図書館のみの所蔵となっております。なお、手書きの「博物之友」は、著作権保護期間満了もしくは公開許諾が得られた記事等についてデジタルでの公開を行っておりますので、インターネット上で手軽にご覧いただくことが可能です。

https://iiif.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/repo/s/hakubutsunotomo/

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インタープリターズ・バイブル第156回

総合文化研究科 准教授
科学技術インタープリター養成部門
豊田太郎

Responsible Research and Innovationの当事者意識

縁あって科学技術インタープリター養成プログラムに参画させていただいて4年になる。この間、本プログラムの講義や様々な活動に触れたり、マスメディアに関わる経験もしたりして、あらためて、自分の立場は社会の中で極めて少数派だと自覚した。私は他の人と比べて、分子については割と明るい方だ(驚かされることも大変多いが)。新型コロナウィルスに関しても、続々と報告される文献から、顕微鏡像で構造をみて、ゲノムの塩基配列やいくつかのタンパク質の機能を知ることで、少しだけ安心した(もちろん現在の感染状況に予断は許されない)。大学院生の頃から、生命現象に関心をもち、原始細胞に思いを馳せて化学の研究をしてきた。私が少数派としてこの研究に従事できていることはとても有り難い。

最近、Responsible Research and Innovation(RRI)という言葉に触れるようになった。これは、社会の価値や期待に沿うように、透明性をもって研究やイノベーションを進めるものとする科学コミュニケーションや科学技術ガバナンスの試みだという。私もRRIの意義は理解できるので、少数派である自分の立ち位置に胡坐をかいていられない。学生にも、「身近な家族に自分の研究を説明して理解してもらえるように」研究内容を深く理解し発表してほしいと伝えてきた。

しかし、あらためて今、私の家族や身近な地域の方々に、自分の研究テーマの価値を責任をもって伝えられるかと問い直してみると、その気概はもちろんあるが、正直なところまだ難しいとも感じる。SNSやクラウドファンディングなどで研究テーマを発信すれば、様々な階層の社会から応答が得られる昨今ではある。ただし、それに適応する術は個人の能力に依っていて、少なくとも私はその術をもっていると言い難く、自ら学んでゆく他ない。よって、新型コロナウィルス禍に際し、今年初頭から国内外にメッセージを強く発信してこられた感染症専門の先生方や医療従事者の方々には、感謝し、また敬服の念を抱いている。そのメッセージから私自身のRRIの何たるかをも学べるからである。

 標葉隆馬「責任ある科学技術ガバナンス概論」ナカニシヤ出版,2020.

科学技術インタープリター養成プログラム
science-interpreter.c.u-tokyo.ac.jp

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第27回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

研究資料、東京大学にかく集へり

東京大学の膨大な研究資料群は、近年デジタル化による積極活用が進んでいます。では、それらは如何にして本学に蓄積されてきたのか。今回は、東京大学設立後間もない明治10(1877)年の、地質学研究資料の事例を「文部省往復」より紹介します。

「文部省往復」より
(S0001/Mo020/0103)

発端は、設立から一か月、5月25日付文書で、法文理三学部総理加藤弘之から文部省へ、地質学研究のため「内国火山地震等之事ヲ記載セル書類文書」貸与(謄写後返却)の依頼でした。これを5月31日付で文部省から各省・府県へ照会し、資料収集が開始されます。

司法省・内務省から「群書中から探し出せない、人員を派遣せよ」、「該当記述がある書名を示せ」と即答、6月に大学が調査員を派遣します。海軍省からは「兵学校に海外の分なら……」と回答がある一方、北海道開拓使からはライマンの「北海道地質報文」が提供され、各省庁の個性が反映された結果がでました。

また各府県も活躍します。照会の翌日、東京府からは「地質研究に益するか不明だが、安政地震の難民救助の文書なら」と行政文書管理の鑑のような回答があり、長野県からも7月2日には善光寺地震関係等10冊分の資料が送付されます。また、三重・青森・愛知・群馬の各県は「県庁に該当文書なし」のため地域調査を行ない、県庁職員や地域住民の個人所蔵資料を続々提供しました。さらに栃木県では、調査をしても伝説や「老爺之口碑」しかないと嘆き、代わりに明治6年の大蔵省噴火顚末届を探し出しました。各県の文面を紹介できないのが残念ですが、最先端の学術貢献への強い意思が伝わる筆致です。そして、12月25日付で照会回答完了、業務完結しました。

さて、その後これらの資料はどうしたのか。答えの一つが、地震研究所図書室の特別資料データベースに見ることができます。例えば長野県が提供した「地震後世俗語之種」は「地災撮要」地震之部巻ノ二(L001077)に所収され、彩色絵図は今も鮮やかです。さらに関連資料には、明治10年以降も同様の収集が行なわれた可能性も。今後、資料情報連携により、さらなる発見が期待できそうです。現在の学術資産のルーツ、文書館の記録から探ってみませんか。

(助教・秋山淳子)

東京大学文書館 www.u-tokyo.ac.jp/adm/history/