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海と希望の学校 in 三陸第11回

三陸を舞台に、岩手県大槌町にある大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターと、社会科学研究所とがタッグを組んで行う地域連携プロジェクト――海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域に希望を育む人材を育成するという文理融合型の取り組み――です。3年目を迎えたわれわれの活動や地域の取り組みなどを紹介します。

遂に僕たちは『海と希望』という名の列車に乗った

北川貴士
北川貴士
大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
准教授
鵜住居駅のプラットホームに入線した三陸鉄道レトロ調車両(36-R3)

「海と希望の学校 in 三陸」の目玉イベントのひとつで2020年2月に開催する予定であった「海と希望の学校 on 三鉄」(以下三鉄イベント)を、三陸鉄道(三鉄)が台風19号の被害を受けた関係で延期せざるをえなくなったこと(第5回no.1529)、そしてその後、復旧工事が進められ、今年3月三鉄が運行を再開し再び全線開通したことを(第8回no.1535)ここでお伝えしてきました。今年度は三鉄イベントを開催できるよう準備を進めてきまして、去る10月17日、ようやく開催に漕ぎつけることができました。

実をいうと、この三鉄イベントは2021年2月に本開催をする予定で、この日はそのためのリハーサルを行うことになっていました。ところが、国際沿岸海洋研究センターと協定を結んでいる宮古市立重茂中の3年生が、新型コロナウイルス感染拡大の影響で関東への修学旅行に行くことができなくなり、急遽「思い出づくり」に3年生13人と引率の先生に乗車していただくことになりました。リハーサルがいきなりぶっつけ本番になったというわけです。三鉄で「海の学習列車」を走らせる初の試みということもあり、お忙しい中、三鉄・中村一郎社長も乗車してくださいました。レトロ調車両1両に、関係者のほか、メディアも6社乗り込んでのにぎやかなイベントになりました。

釜石市・鵜住居(うのすまい)駅を出発し、約60キロ離れた宮古市・田老(たろう)駅までを約4時間かけて往復し、道中、ワカメを題材に三陸の海の豊かさを知ってもらう講義や、生徒が学校ですすめている地域学習のアドバイスを行いました。家が漁業を営んでいる生徒が多く、ワカメをテーマにしても彼らには当たり前すぎてつまらないのではと思ったのですが、「湯通しするとワカメがきれいな緑色に変色するメカニズムを初めて知った」「重茂で当たり前のことが、都会の人には新鮮だと分かった。重茂を盛り上げる方法を考えたい」といった感想を話してくれました。なかにはメディアに「ディズニーランドに行くよりも良かった」とコメントしてくれた生徒もいました。生徒は車窓からの三陸の秋の景色も楽しんでくれていたようです。沿道から列車に手を振ってくれる方々も多くいらっしゃいました。

講義では講師のマイク音が列車音でかき消されたり、昼食で注文した弁当につゆたっぷりのそばが入っていて空き箱の回収が大変だったりと、いろいろ改善点はみつかりましたが、なんとか終えることができました。都心を走る列車ではダイヤの関係など様々な問題があり、60キロを4時間もかけて往復するなんてことは簡単なことではないと思います。今後も『ここにしかない学習列車』を走らせることで、人や物を運ぶだけではない地方鉄道のあり方のようなものを三鉄が発信する、そのお手伝いができたらと思っております。

大漁旗によるお見送り(鵜住居駅)
福田秀樹准教授(国際沿岸海洋研究センター)による海洋学の講義
レトロ調車両に掲げられた「海と希望の学校 in 三陸」ヘッドマーク(田老駅)

「海と希望の学校 in 三陸」動画を公開中 → YouTube サイトで 海と希望 と検索!

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)

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総長室だより~思いを伝える生声コラム~第29回

東京大学第30代総長五神 真 五神 真

GABで育んだ国際的なネットワーク

11月12日と13日の二日に分けてオンラインでUTokyo Global Advisory Board (GAB)Meetingを開催しました。GABは小宮山宏元総長のもと、2006年に始まったプレジデンツ・カウンシル(PC)を発展させたものです。東大の応援団を世界に拡げることを目的としていたPCは私の総長就任後、一回休会を経て、2016年に最終回を開催。翌17年、総長室の正式な組織として規則に定め、グローバルな視点で議論し、助言を頂く年次開催の会合としてGABを開始しました。

第1回では、ジェンダーの話題が議論されました。東大の女子学生比率の低さは、世界の“普通”からみると、不健康だ、放置すべきではないというのです。数値目標の要否の議論は白熱しました。第2回では、2019年にスタートすべく準備を進めていた、東京カレッジの構想について議論頂きました。名前をどうするかで盛り上がり、東京カレッジという名称に至りました。昨年の第3回では、グローバル・コモンズ・センターの設立につながる有意義な助言を沢山頂きました。

今年の第4回は、私の総長任期の終了にあわせ、GABも最終回として開催しました。メンバーの皆さんからは、GABでアドバイスしたことが、東京カレッジ、東京フォーラム、グローバル・コモンズ・センターのように次々に実現していることが素晴らしいと評価して頂きました。オンラインでの開催となり、直接お目にかかれなかったのは残念でしたが、画面にメンバーの顔が映った瞬間、旧知の友人らと会ったような感覚を覚えました。メンバーの皆さんも同じように感じて頂いたようです。回を重ね、真剣な議論を交わしたメンバーとの間の連帯感のようなものを実感しました。GABを通じて、東京大学を支援する国際的なネットワークが構築されたのです。

今年1月にダボス会議に参加するためにスイスに出張した際に、GABメンバーのビル・エモットさんの勧めで、ロンドンに立ち寄りました。エモットさんのアレンジで、英国の教育界の方々との意見交換や、ジャパンソサエティでの講演を行いました。総長として進めてきた東大改革について、海外からどのように見えるのかを知る大変貴重な機会となりました。

分断が加速している今の国際社会において、普遍的な価値を追求するアカデミアの活動は、分断を乗り越え世界を繋ぐ力を生み出すものです。その役割は今後いっそう重要になっていくでしょう。

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UTokyo バリアフリー最前線!第23回

熊谷晋一郎熊谷晋一郎室長が
取材原稿で伝える
障害研究の現場⑩
ことだまくん

スピードを速めたキャンパスが置き去りにするもの

相談支援研究開発センター
川瀬英理 助教の巻
川瀬英理

小さい頃から忘れ物が多く、よく怒られていた。そんな川瀬氏を母親は「私の子だから」とおおらかに育てた。一方で、小学生の頃から人と話をすることが大好きで、保健室で消毒してあげるなど人の世話を焼くことも好きだった。

人に接する仕事をしたいと10年ほど看護師として勤務、その後「患者さんとより深い関わりを持ちたい」と臨床心理学の大学院に入った。卒業後は心理士として各地で勤務。10年前に、発達障害傾向のある学生を支援するコミュニケーションサポートルーム(CSR)が本学に立ち上げられた際、自身の発達障害傾向を自覚していた氏は興味を持ち、そこで心理士として勤務してきた。

CSRでは、発達障害をカテゴリーではなくスペクトラムで捉えている。つまり診断の有無にこだわらず、大学に入ると周囲からの要求水準が高まるコミュニケーションやスケジュール管理などの領域で苦労を抱える学生の相談にのり、ToDoリストを一緒に作ったり、心理検査をしたり、保健センターへの紹介や教員への配慮要請をしたりする。面接試験の相談など、就職活動まで伴走することもある。オンライン授業と事前資料配布が主流となり、社交不安症や板書に苦手さをもつ学生にとって授業は楽になる一方、プレッシャーが少なくて集中しにくくなるADHD傾向の学生もいるという。

発達障害という概念が人口に膾炙するようになり、一番多い主訴は具体的な苦労ではなく、「自分が発達障害か調べてほしい」というものになった。その背景には、「学生に何を期待するか」という要求水準の変化があるだろう。氏は、保健センターの知能検査に関する調査を参照しつつ、タスクをこなすスピードの速さがかつて以上に求められるようになったことが一因ではないかとみる。特に教育経験豊富な教員に比べ、若くて優秀だが教育経験は少ない教員の場合、悪気はなくとも学生の気持ちを想像しにくいこともある。教員同士のスーパービジョン体制は重要だ。

素早く業績を出せる学生だけではなく、時間はかかるが粘り強く自分のペースで学ぶ学生が認められる環境が必要――そう語る川瀬氏の実践から、発達障害への注目が高まる現代が何を失ってしまったのかについて学ぶべき点は多い。

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第175回

本部人材育成課
職員採用チーム
向後七海

東大創りの「仲間」を探して

向後七海
職員採用HPをぜひご覧ください!

チーム名のとおり職員の採用と1・2年目職員の研修を行っており、主に採用業務を担当しています。職員採用試験運営の裏方はもちろん、ある時はプレゼンター(説明会で職場としての東大をPR!)、またある時はカメラマン(採用パンフの写真は当チームが撮影)と、飽きる暇がありません(笑)。

どうしたら東大が面白い職場だと伝えられるだろう?、東大の魅力を感じてもらえるPRって?と、共に東大を創ってくれる「仲間(職員)」探しに日々奮闘しつつも、東大創りの原動力となる「人」の採用にやりがいと責任を感じながら仕事をしています。

せっかくなのでオシゴト以外の話も少しだけ。2020年も12月、雪山が恋しい季節がやってきました。今シーズンこそ、白銀のゲレンデで探しやすいと大好評のミカン色ウェア(↓写真参照)を卒業して、おしゃれなウェアを新調したいなぁと思っています。

最後になりますが……読者の皆様、採用広報活動へのご協力をよろしくお願いいたします!

今シーズンは雪山に行けるのやら……
得意ワザ:
山頂からの直滑降(スキー)
自分の性格:
名前は後ろ向きですが、わりと前向き
次回執筆者のご指名:
吉田佳実さん
次回執筆者との関係:
大学のかわいい後輩♪
次回執筆者の紹介:
笑顔がキュートなしっかり者
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう

第18回 史料編纂所助教
学術資産アーカイブ化推進室
中村 覚

「デジタル源氏物語」を支える技術

IIIFの画像が各機関からデジタル源氏物語(成果公開サイト)へ集約する流れを示した図

本連載の前号では、総合文化研究科の田村隆先生に、東大本『源氏物語』や研究支援ツール「デジタル源氏物語」についてご紹介いただきました。本号では「デジタル源氏物語」の開発に用いた技術、特にIIIF(International Image Interoperability Framework)と「くずし字OCR」についてご紹介します。

IIIFは、画像へのアクセスを標準化し相互運用性を確保するための国際的な枠組みです。IIIFが定めるAPI(Application Programming Interface)に基づいて画像をやりとりすることで、提供機関を横断した画像利用等が可能となります。この利点を生かし、「デジタル源氏物語」では東京大学に加え、九州大学、国立国会図書館、国文学研究資料館などが公開するIIIF準拠の画像を集約し、オリジナルが残っていない『源氏物語』の現存する写本・版本の比較環境を提供しています。

この環境構築にあたっては、諸本同士の対応関係(共通ナンバーとしての『校異源氏物語』の頁番号)を整備する必要があります。ただし、画像、特にくずし字で書かれている内容の照合には、くずし字の読解を含め、高度な知識が求められます。この課題に対して、ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センターがAI技術を用いて開発している「くずし字OCR」などを活用しています。「くずし字OCR」を用いて画像中の文字列をテキストデータ化し、これらテキスト間の類似度を機械的に算出することで、照合作業の半自動化を実現しています。

デジタル化された学術資産と情報技術の活用により、「デジタル源氏物語」のような研究開発を効率的に進めることが可能になっています。

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インタープリターズ・バイブル第160回

情報学環/総合文化研究科 教授
科学技術インタープリター養成部門
廣野喜幸

パンデミックの科学コミュニケーション

科学コミュニケーションは、パンデミック対策にどのような貢献ができるのだろうか。

20世紀以降、世界で100万人を越す人々が亡くなったパンデミックが何回あったか、ご存じだろうか。スペイン・インフルエンザ(1918年、推定死者数約5000万人、以下同)、アジア・インフルエンザ(1957年、110万人)、香港インフルエンザ(1963年、100万人)、そして新型コロナ・ウィルス(2019年、これまでに110万人)の4回である。100年で4回、つまり平均25年おきに生じていることになる。日本でこそおよそ100年ぶりだが、世界規模で考えれば、パンデミックはそれほどまれな出来事ではない。

感染を抑えたければ、人々が接する機会を減らせばよい。これまでの経験から、至極当たり前のこの常識を私達はよく知っているはずだ。だが、実行は難しい。オランウータンやキリギリスといった単独で暮らす生物とは異なり、ヒトはそもそも群れて過ごすのを本態とする社会性の生物だからである。

ある状況をリスクが高いと認知し、そうした状況では接触機会を下げるというメカニズムがうまく作動すれば、リスクは調節され、自ず感染者数はさがっていくはずだ。だが、どのような状況をリスクが高いと認知すべきかが判然としない。こうしたとき、日本人はお上がリスクを認知してくれるのを待ちがちになる。また、本来群れる動物であるヒトは、リスクを認知しても、他者と接することでうまく稼働するような既存の社会システムに再び身を委ねたがる。

パンデミックという危機あるいはリスクに対処するのに、RNAワクチンがどうのといった高度な科学知識をもつ必要があるわけではない。高度な科学知識を分かりやすく伝えるタイプの科学技術コミュニケーションは、リスク削減に対し、それほどの出番をもたない。お上がそう認知したからではなく、各自がリスクを適切に認識できるのを促す科学技術コミュニケーション、群れたいという欲求の実現が割に合わないものならば、それを押しとどめてくれるような、知識伝達ではなく、行動をうまくコントロールできるような、これまであまり探究されることはなかった科学技術コミュニケーションが今求められているのだろう。

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第29回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

狐狸と近代学知

麻布警察署から取り寄せられた石と布切れ

1884年2月から3月のこと、麻布区広尾に住む蒔田俊親(通称:直太郎)の居宅に、石や火のついた綿切れが、連日のごとく放り込まれる事件が発生した。静岡県士族の蒔田は、第一回内国勧業博覧会(1877年)で竜紋褒賞を受けた菊池容斎の門人で、絵師として活動するかたわら、近隣の子どもたちに読み書きを教えていた。多い日には石34・火綿13が投げ込まれたが、誰かに恨みでも買ったか、教え子たちに嫌われてでもいたか、事情は明らかではない。巡査の報告書によれば、悪い風聞や色恋沙汰の遺恨もないようで、麻布警察は「狐狸の処業」であろうとした。

書簡の余白に記された指示

東京大学は「学術上参考のため」に警察署から石と綿切れの標本を取り寄せている。これは、東京大学文書館所蔵の『諸向往復 明治十七年分二冊ノ内甲号』(S0004/48)に収録されている。麻布警察からの書簡の余白には、山川健次郎や北尾次郎など東京大学の理学者たちに回すように指示がある。残念ながらこれに続く資料は残っておらず、標本がいかに評価されたかは明らかでない。後年の山川は「千里眼」をめぐる疑似科学論争の中心人物になるが、この事件の調査はその前史と考えられる。

「狐狸の処業」という説明を警察が本当に信じたのか、当事者たちを刺激しないための「方便」だったのか、いまや知る術はない。しかし、「狐狸」の言説が住民の人間関係や生活の意味を説明しうる、ひとつの信念体系の表現であったことは確かだろう。こうした民衆の信念体系に対して、学者たちは学術的知というもうひとつの信念体系をぶつけ、「近代」の有効性を証明しようとした。学者たちがあえて「狐狸」の言説に対抗する必要を感じたほどに、民衆の信念体系は強力だったのだ。大学は、「近代」なるものと民衆の信念体系の接触領域でもあったのである。あるいは、事実麻布の山には狐狸の類が棲んでいて、警察官や学者たちもその力で惑わされていたのであろうか。

(助教・宮本隆史)