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海と希望の学校 in 三陸第12回

三陸を舞台に、岩手県大槌町にある大気海洋研究所国際沿岸海洋研究センターと、社会科学研究所とがタッグを組んで行う地域連携プロジェクト――海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域に希望を育む人材を育成するという文理融合型の取り組み――です。3年目を迎えたわれわれの活動や地域の取り組みなどを紹介します。

やっぱキャンプは冬っしょ:第1回三陸マリンカレッジ開催

北川貴士
北川貴士
大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
准教授
アワビの貝殻に残されたマダコの捕食痕を探す参加者

近年、合宿形式で最先端の科学を体験する「サイエンスキャンプ」が各地で行われるようになり、当センターでもと思っておりました。ただ、夏にやるのはありきたりでつまらない。やるなら三陸の海の幸が旬の「冬っしょ」。ということで、12月26、27日の1泊2日の日程で「第1回 三陸マリンカレッジ」を岩手県沿岸広域振興局との共催で行うことになりました。コロナ禍になってしまい、参加してくれるものかと心配しながらの募集だったのですが、幸い山田町、釜石市、大船渡市から中学1~3 年の合計6人が参加してくれました。

初日の26日は、はじめに参加者が自己紹介がてら事前に与えられた課題についての発表を行いました。その後、近年不漁続きのアワビについて、マダコに食べられるメカニズムを探る実習を行いました。参加者は、早川淳助教の指導、大槌高校はま研究会のサポートのもと、アワビの貝殻に残されたマダコの捕食痕を探しました。実習の後、海上保安庁・釜石海上保安部・阿部富二次長に海の安全についての講義をしていただきました。夜は当センターの宿泊棟でアワビを釜石市在住のシェフ・佐藤研也さんに調理していただき、皆で頂きました。

27日は、佐藤さんに調理していただいた三陸沿岸の特産品「あらまきざけ」を朝食に頂きました。午前中の実習では、あらまき作りには欠かせない「塩」作りを行いました。吉村健司研究員の指導のもと、沿岸部で伝統的に行われている海水を煮詰める方法で作りました。海水は、センター・スタッフが参加者の居住地である大船渡、釜石、山田から汲んできました。火加減が難しく、手間がかかる作業だったようです。手塩をかけて作った塩の「舌に広がるじわっとした感覚」「鮮烈なしおからさ」など、汲んできた場所による味の違いを体感してもらいました。その後、参加者各自の関心にもとづき、学習テーマを決めて終了となりました。参加者はそれぞれのテーマでセンター教員のサポートのもと調べ学習を進め、3月に釜石市で教育や漁業の関係者に学習成果を発表する予定です。

今回のマリンカレッジ。宿泊棟を含むセンターの施設を活用して「海と希望の学校 in 三陸」の一環でキャンプを行いたいと考えていた我々と、「希望郷いわて」を目標に掲げ、次代の三陸を担う人材育成を進めたいという岩手県の思惑が一致し、海上保安庁をも巻き込んだ官官学一体のイベントとなりました。それぞれの組織が持つ強みを生かし、充実した内容を参加者に提供できたかと思っております。第2回も乞うご期待。

海の安全についての講義
朝食の三陸特産のあらまきざけ。密をさけての食事となりました
塩作りの実習に取り組む参加生徒(左)とサポートの大槌高はま研生徒(右)

「海と希望の学校 in 三陸」動画を公開中 → YouTube サイトで 海と希望 と検索!

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)

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シリーズ 連携研究機構第31回「高齢社会総合研究機構」の巻

飯島勝矢
話/機構長
飯島勝矢先生

日本全国の高齢者を健康長寿に!

――もう15年も活動されているんですね。

2006年に寄附研究部門として発足し、2009年に総長室総括委員会の機構となり、昨年4月に連携研究機構となりました。私は2011年に東大病院の高齢者医療部門から参画し、4月から4代目の機構長です

――ジェロントロジー=老年学、でよいですか。

老人のgerontと学問のlogyの造語で、総合老年学と位置付けています。日本では分野別の研究はあっても横断的なものは珍しく、米国でこの分野に長く関わってきた秋山弘子先生が東大に導入したのが先駆けでした。社会の中で課題解決型実証研究を行うのが我々の特徴です。①地域就労②フレイル(虚弱)予防③生活支援④医療・介護連携⑤情報システム整備⑥AIやロボットによる支援⑦まちづくりと7テーマを設定。たとえば②では71自治体と連携し、全体では約100地域で実証研究が進行中です。企業との連携は、緩やかなネットワーク、グループワークを通して老年学を深めるアカデミー、地域実証フィールドを使う個別共同研究の3段階。イオン、キユーピー、サンスター、ハウスなど約50社と連携しています

――たとえばイオンとはどんな取組みを?

元気な高齢者をフレイルサポーターに認定して住民のフレイルチェックを地域の公民館などで行う活動を5年前から続けてきたんですが、これをモール内の広場で展開しています。サポーターがお客さんのフレイル指標を測定する隣に出店を設け、フレイル予防に繋がる提携企業の商品を並べると、非常に反応がよく、企業側はシニア層のモニタリングができます。皆が喜び誰も損しない仕組みが確立されています

――フレイルサポーターは何人くらいいますか。

2000人ほどです。自治体はフレイルチェックを正式業務と捉え、サポーターに黄緑の揃いのシャツを支給しています。全国の高齢者を健康長寿にという使命感を強調したことで、こうしたボランティア組織では少なくなりがちな男性が3~4割を占めているのが特色。IOGの声掛けで各自治体が競い合いながら健康長寿のまちづくりを進めています

IOG 東京大学高齢社会総合研究所

コロナ禍の前後で比べたところ、高齢者のコロナフレイル現象が判明しました。現役世代と逆に高齢者は長い自粛生活で痩せていました。筋肉が落ち、会話が減って咀嚼の力も落ちる。現役世代は自分だけでも鍛えられますが、高齢者は地域の支援がないと難しい。工夫して地域の活動を止めないことの価値を政策に反映させたいと思っています

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UTokyo バリアフリー最前線!第24回

熊谷晋一郎熊谷晋一郎室長が
取材原稿で伝える
障害研究の現場⑪
ことだまくん

周縁から“普通”を問う

総合文化研究科
清水晶子教授の巻

シェイクスピア作品を紹介するテレビ番組に魅了された子ども時代の清水氏は、やがて文庫でもシェイクスピアを読むようになる。また中高一貫の女子校時代に食べ吐きを経験したことで、欲望や身体のままならなさを知ったという。東大に入学すると、キャンパスのあちこちで「東大女子は見た目が悪い」等の会話が繰り広げられていた。氏は、こうした日常的な違和感からフェミニズムに関心をもつようになった。

シェイクスピア研究をしようと文学部英文科に進学。少年俳優のみの時代にどうジェンダーが演じられたか、同性愛や異性装のキャラクターが観客にどう受容されたかなど、英語圏で盛んにフェミニズム批評やクィア批評が行われはじめた時期だった。英国留学を経て、シェイクスピア研究からフェミニズム理論・クィア理論へと研究の軸足を移す。

女らしく振舞え、異性を欲望せよ、生下時に割り当てられた性別を受容せよ――身体の感じ方や使い方、性や欲望の在り方について、私たちは様々な規範に縛られている。フェミニズム理論・クィア理論は、規範から排除される人々を対象化せず、周縁化された当事者の立場から“普通”を逆照射するアプローチである。

氏が危惧するのは、中絶・避妊の権利、同性婚などLGBTの権利、ジェンダー教育・研究などに反対する、Anti-Gender Movement(以下、AGM)である。北京女性会議に反発したカトリックにルーツを持ち、経済格差に苦しむ多数派の不満を燃料に、宗教右派や右派ポピュリズムを巻き込み大きな潮流となったAGMでは、性・ジェンダー・家族などのトピックが立場を超えた接着剤として機能し、女性や少数派の権利を擁護するグローバルエリートが自分たちの慎ましい家族観を脅かしていると批判する。

AGM同様、自らの価値観や慣行を不問に付し、そこと整合的な効果を示さなければダイバーシティやインクルージョン(以下、D&I)を主張しにくい雰囲気は大学にも存在する。しかし氏は「多数派が居心地のよさを手離すことなしに、D&Iは実現しない」と述べる。エリートと少数派を標的とするAGMが吹き荒れる中、大学は率先して自らの“普通”を問い直す必要がある。

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第177回

工学系・情報理工学系等
財務課調達チーム
佐藤祐子

極寒でもいい

佐藤祐子
最初の配属先、素敵建築列品館

たまに読むこのコラム、代々執筆者はまさか自分に回ってくるなんてと思われたでしょうか。私もです。前は知らない方だったのに。でも最近のものを読むとだんだん自分に近づいていて、また皆さんに繋るんですね。

チームは部局に関わる調達に携わり、私は主に大きな額の契約をします。東大の中では大きい部局で、予算規模も大きく調達の件数や金額は相対的に多いのでしょうが、意外に面白いのは各研究室からの細々した伝票で、これも研究関連なのか!というものがたまにあります。

正門すぐの列品館はとてもいいです。地に足つけている様子。窓から見える木。明かりの灯る夕方。極寒の一階財務課。同僚の撮ってくれたいい写真は空の青色が透き通る日で、構えがより立派な感じ。

大きい部局で財務に携わる機会を頂き、周りの皆様の教えを多いに請うことができ、髪色も自由にさせて頂けます。皆様の優しさを見習い、仕事をしていけたらと思います。

地元北九州のかしわ飯すごく大きい食べたい
得意ワザ:
玉ねぎの高速よそ見薄切り
自分の性格:
つめが甘い
次回執筆者のご指名:
伊藤直生さん
次回執筆者との関係:
同期
次回執筆者の紹介:
やさお
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう

第20回 人文社会系研究科
教授
福井 玲

小倉文庫の朝鮮本

東京大学文学部所蔵の「小倉文庫」には、戦前、京城帝国大学朝鮮語科および東京帝国大学言語学科の教授をつとめた小倉進平(1882–1944)の蔵書が収蔵されている。その中で最も著名なのは15世紀から20世紀初頭に至る時期の朝鮮本である。

朝鮮では15世紀に初めて自分たちの言語を正確に表記できるハングルという文字体系が作られた。これを用いて記録された資料は、中世から近代の朝鮮語を知るための最も重要な資料となる。その多くは勿論韓国・北朝鮮の図書館や博物館に収蔵されているが、朝鮮半島以外の世界各国の図書館にも散在し、小倉文庫は朝鮮半島以外では質・量ともに最も豊富なものである。

朝鮮本の中でもハングル資料となる文献の特徴は、漢文とその翻訳をともに載せる所謂「諺解げんかい」という文体のものが多い、典籍として中央で公に刊行されたものが多い、15世紀には仏教書が多い、伝統的な木版だけでなく、朝鮮で高麗末(14世紀後半)から発達した金属活字を用いたものも少なくない、などがあげられる。そのうち2点を紹介しよう。

図版1 『牧牛子修心訣』の一部。6行目までが漢文、6行目途中から双行で翻訳文が続く。(東京大学文学部所蔵)
図版2 『分類杜工部詩』巻17の一部。金属活字の印刷面の特徴がよく分かる。(東京大学文学部所蔵)

図版1は、1467年刊行の『牧牛子修心訣ぼくぎゅうししゅうしんけつ』で、高麗時代の著名な僧知訥ちとつが漢文で著わした『修心訣』を翻訳したもの。朝鮮第7代の国王世祖が仏書刊行のため設置した刊経都監から木版で刊行された。図版2は、1481年刊行の『分類杜工部詩ぶんるいとこうぶし』(通称『杜詩諺解』)の巻17で、唐の詩人杜甫の詩を翻訳したもの。1455年に鋳造された乙亥字という金属活字が使われている。これらを含め、小倉文庫の444点の資料がデジタル化され公開されている。

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インタープリターズ・バイブル第162回

生産技術研究所・情報学環 准教授
科学技術インタープリター養成部門
川越至桜

オンラインでのコミュニケーション

最近、縁あって保護猫と同居することになった。猫は昼夜を問わず、私がパソコンに向かっている間は、こちらの様子を窺いながらも邪魔をすることなく寝ている。しかし、パソコンを閉じ、背伸びをしたり立ち上がったりした途端、熱い視線を送り、遊んでもらうまで目を離さない。完全にロックオンである。互いに言葉は通じないが、仕事の邪魔をしないよう猫は猫なりに空気を読んでいるようである(飼い主の思い込みがある点はご容赦いただきたく)。

さて、昨今の新型コロナウイルスの影響で、会議や授業に加え科学技術コミュニケーション活動もオンラインとなった。これまで、科学技術をテーマにした様様な実験教室や中高生向けワークショップを実施してきた。対面であれば参加者との会話という言語的な情報に加えて、参加者の様子を見ながら「もう少し説明が必要かな」、「テンポを上げても大丈夫かな」という雰囲気を感じ取りながら、つまり、非言語的な情報も大切にしながら取り組んできたつもりである。しかし、オンラインになるとそれが途端に難しく感じられる。

科学技術コミュニケーションに限らず、対面でのコミュニケーションの場合、言語から得られる情報に比べて、非言語(視覚や聴覚)から得られる情報の方が多いとも言われている。しかし、画面越しの場合は、非言語情報が伝わりにくいため、それを補うために言語による情報を増やす必要が出てくる。つまり、対面以上に言語化することとなり、結果として、一つの事柄を伝えるのに、より時間を要する傾向となる。

ポストコロナでも、オンラインの活用は必須となっているだろう。これからのコミュニケーションは、言語化する能力に加えて、オンラインでも非言語情報を伝え、読み取るスキルも必要になるのかもしれない。この非言語情報に対するスキル、猫との意思疎通にも応用できないだろうか。

同居することになった保護猫
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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第30回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

いざ、上棟式!

東京大学大講堂の建設の歴史は、100年前の大正10年に始まります。安田善次郎の寄附による事業だったため、「安田講堂」と呼ばれるようになりました。大正11年12月着工、翌12年2月に地鎮祭が執り行われますが、同年9月1日の関東大震災により罹災、中断および建設変更といった難題を経て、大正13年10月25日、上棟式を迎えます。

上棟式に出席する人々。「棟上木遣章正面」と書かれている

写真帖『安田家寄附東京帝国大学大講堂上棟式記念』(F0025/S03/0008)には、古在由直総長や安田家関係者、本学職員が臨席した上棟式当日の写真が貼り込まれています。右手前に見えるのは雅楽器の鞨鼓かっこ。他の写真にある楽太鼓がくだいこなどとともに、神前の儀式に用いられたものと思われます。中央には、キリッと半纏を着た鳶の方々が木遣をうたう姿。工事の安全を願い、声は天に向かって響き渡ったことでしょう。

当館が所蔵する、大講堂の建築掛長でもあった内田祥三の関係資料のうち、『東京帝国大学大講堂建築経過概要』(F0004/A/8/7)によると、この日は「晴天」「午后一時開始 午后二時三十分荘厳裡ニ終了」とあるほか、「木遣音頭」や「投餅」(おそらく餅撒きの儀式)についても記載があります。

饗応に出席する人々。「茶菓饗應室」と書かれている

式後の饗応は、筆者も愛飲する某社★印のビールで祝杯をあげたことがこの写真から判明! くつろぎの表情が印象的です。

参考:藤井恵介ほか編『東京大学大講堂(安田講堂)改修工事報告書』2016年

(学術支援職員・星野厚子)