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海と希望の学校 in 三陸第13回

岩手県大槌町にある大気海洋研究所・国際沿岸海洋研究センターを舞台に、社会科学研究所とタッグを組んで行う地域連携プロジェクト――海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域の希望となる人材の育成を目指す文理融合型の取組み――です。4年目を迎えたわれわれの活動や地域の取組みなどを紹介します。

「『第1回 三陸マリンカレッジ』学習成果発表会」開催

北川貴士
北川貴士
大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
准教授
第1回「三陸マリンカレッジ」学習成果発表会(釜石市市民ホール「TETTO」にて)。玄田教授の講演に耳を傾ける参加生徒さん

第12回の記事で、昨年12月末に合宿形式での実習『第1回 三陸マリンカレッジ』を岩手県沿岸広域振興局と共催し、生徒各自が海についての関心のあることに基づいて学習テーマを決めたことをお伝えしました(no.1543/2021.2.19)。3月14日に学習の成果発表会・三陸マリンカレッシ修了証書授与式を釜石市市民ホール「TETTO」で行いました。

当日は、社会科学研究所・教授の玄田有史先生にご講演いただいた後、5人の生徒さんに、国際沿岸海洋研究センター・スタッフらの指導を受けながら進めた調べ学習の成果を発表していただきました。発表に対して玄田先生と私(北川)が質問・コメントをいたしました。

大船渡市から参加の生徒さんは、湾口が狭くなっている大船渡湾の地形がカキやホタテの養殖に及ぼす影響についての発表をしてくれました。また、山田町から参加の生徒さんは、山田湾のカキ棚周辺に生息する生物の調査を行い、カキ養殖が周辺に生息する生物の多様性を生んでいる実態を明らかにしてくれました。5人の発表後、大槌高等学校・はま研究会(詳しくは第10回記事(no.1539/2020.10.26)をご覧ください)のメンバーにも、昨年度に取り組んでくれた研究の成果について発表をしていただきました。最後に修了証書の授与式を行って閉会いたしました(当日欠席の1名にも3月25日にセンターで成果発表をしていただき、修了証書を授与いたしました)。

今回参加してくれた生徒さんは、1月以降、コロナ禍のなか、部活、定期テスト、入試や卒業式など忙しい合間をぬってテーマ学習に取組んでくれました。発表会のあと、ある生徒さんは「参加する前は海にあまり関心がなかったけど、参加してみて、海に興味を持つようになりました」と話してくれました。今回のマリンカレッジを通して、生徒さんに海への関心を持ってもらえたことをうれしく思います。彼らの海への純粋な好奇心を大切にしてあげたいと思いますし、こういった生徒さんをもっと増やせるよう、また、生徒さん同士の繋がりも広げられるよう、今年度以降も本イベントを続けたいと思っております。

「海と希望の学校 in 三陸」は4年目を迎え、本事業の取組み内容はますます充実してきました。今年度早速、書籍『さんりく 海の勉強室』を刊行いたしました。施設「おおつち海の勉強室」も完成し、4月18日にオープン式典を行いました。本コラムでは今年度も引き続き本事業の取り組みについて紹介していきます。どうぞお楽しみに。

会場に映し出された成果発表スライド。綺麗に作成してくれました(一部画像を加工してあります)
『さんりく 海の勉強室』(青山潤・玄田有史編:岩手日報社 4月10日刊 AB判102ページ 1,300円+税)。三陸の海の小ネタを散りばめました

「海と希望の学校 in 三陸」動画を公開中 → YouTube サイトで 海と希望 と検索!

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)メーユ

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シリーズ 連携研究機構第33回「不動産イノベーション研究センター」の巻

柳川範之
話/機構長
柳川範之先生

社会変革の核となる不動産を探究

――不動産の研究で変革を起こす機構、でしょうか。

近年、社会変革が不動産を中心に起こりつつあります。わかりやすいのはスマートシティでしょうか。随所にセンサを設置して得た膨大なデータを都市開発や新サービスにつなげることが期待されています。ビルや住宅といった不動産をデータ社会のコアとして活用することは、世の経済活動や利便性に強く影響します。この大きな動きを的確に捉え、適切な情報発信をするのが機構の役割です。リーマンショックを見ればわかるように、不動産価格の変動で社会は大きく影響を受けますが、そのメカニズムはこれまであまり研究対象になってきませんでした。総合大学の強みを活かして複数部局で連携しながらこの分野の研究を進めます

――不動産価格決定の際の法則を探すのでしょうか。

野菜などとは違い、不動産には取引の制度が関係する部分が大きい。需要が大きいと価格が上がるという単純な法則では決まりませんが、適正な取引を妨げる仕組みがあるなら是正したほうがいい。たとえば空き家が象徴的です。普通に考えれば安い家賃でも貸したほうがいいのに、現実には空き家が多い。価格以外の複雑な問題があるわけです。そこを解き明かし解決策を出せれば、学術的にも社会的にも価値があります

――不動産学という学術分野もあるわけですね。

というより、経済学の不動産研究があり、法学の不動産研究があり、工学の不動産研究があるというイメージ。不動産には多様な側面があります。IoTの舞台であり、マクロ経済の変動ファクターでもあり、特に日本では人生に占める役割が大きいという面も見逃せません。不動産購入は人生の一大事でしたが、コロナ禍ではそれが一番ではないかもしれない。テレワークなら都心より安く広い家に住める地方のほうがいいのか、ビジネス街のオフィス需要はどうなるのか、テレワークが増えると住居への投資が増えるのか……。まだ見えないことばかりですが、機構はそこに切り込んでいきます。空き家のような不動産に関する制度の改善、不動産データのインフラ整備、Prop Techによる不動産業の高度化、政策提言と社会実装といった4つのプロジェクトをすでに始めています。新しい生活様式の出現とともに機構が発足したことを前向きに捉え、人の暮らしに焦点をあてる形での不動産の役割も考えたいと思います。

CREIのロゴ

同種の機構は知る限り日本では他になく、社会からは驚きと歓迎を示されているようです。CREIのロゴのように、未来に向けて広がっていきたいですね

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UTokyo バリアフリー最前線!第25回

バリアフリー支援室特任助教
中津真美
ことだまくん

オンラインで情報を保障すること
視覚障害学生・聴覚障害学生への支援

昨年度からオンライン授業が始まり、「視覚障害や聴覚障害の学生にも、遠隔で情報を伝える」という新たな支援が開始されました。ただでさえ情報弱者といわれる学生たちへの支援です。様々なICT技術を駆使しますが、限界を感じることもあります。ですが、配付資料の工夫や事前共有、話し方の工夫などがあるだけで、授業の理解度が格段に上がると学生たちは言います。

例えば教員が、配付資料の図表を文章にもすることで、視覚障害学生は音声読み上げソフトを使用して図表の内容を耳で聞くことができます。対面授業のように、誰かが隣で図表の内容を説明する支援はできませんが、図表の文字情報などを事前に学生に共有しておくことで、学生は安心してオンライン授業を受講できるようです。さらに、授業中も、指示語は具体的な説明に置き換え、明瞭な話し方がなされることにより、学生サポートスタッフも活動がしやすくなったと言います。聴覚障害学生への遠隔PCテイクを担う学生サポートスタッフからは、「適度な速度や一定の間がある話し方の授業は、余裕を持って入力できた」「授業の情報を概ね損失なく聴覚障害学生へ伝えられた」とのコメントが寄せられました。

先生方のコメントも心に残ります。「私どもとしては、支援をしている意識はなく、当然のこととして『丁寧にできる説明は、できるだけ丁寧に』という原則を貫いているだけです」

オンライン授業では、周囲の少しの配慮があれば、より障害のある学生の機会の平等に繋がることが分かってきました。「障害」とは、多数派と少数派の間のミスマッチにより発生するものとすれば、少数派だけが頑張るような文化は、もう終わりを迎えるのかもしれません。

「図(グラフ)の文字(テキスト)化の例」と書かれた積み上げグラフ
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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第179回

本部国際交流課
学生派遣チーム
園田竜也

コロナ禍でも続く、学生の留学支援

園田竜也
ムードメーカーな愉快な上司が撮影

主に全学交換留学を担当しています。と聞くと、「コロナ禍で仕事が激減しているのでは?」と思われるかもしれませんが、そんなことは断じてありません(笑)!

コロナ禍以降、留学支援の現場は厳しい状況が続いていますが、運営に携わる教職員は、学生が安心して留学に挑戦できる環境が1日も早く訪れることを心の底から願い、学生が飛び立つ1年以上前から、学内募集や審査、協定校への推薦などの業務に励んでいます。と偉そうなことを書きましたが、実際は2月に課内異動で着任したばかりで、周りのすこぶる優しい皆さんに助けていただき(感謝)、なんとかやっています(汗)。入職時からの希望であった国際(学生支援)系の業務に携わる機会を与えてもらい、能力的適性はさておき、やりがいを感じています。

私生活では、コロナ禍以前は愛する同期など職員の皆さんと週1で飲み、年に数回旅行に行っていましたが、この1年程は自粛し、ただただもどかしいばかりです。和気藹々と美味しいものを食べられる日々が早く戻ることを期待しています。

砂浜ドライブin金沢(ペーパードライバー)
得意ワザ:
①落ち着いているフリ、②後輩に舐められる
自分の性格:
顔が険しいが基本穏やか、寡黙だが交流好き
次回執筆者のご指名:
森脇誠也さん
次回執筆者との関係:
愛する後輩兼友達
次回執筆者の紹介:
気が利く爽やかイケメン
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう

第23回 総合研究博物館准教授佐々木猛智

クランツ化石コレクション

化石を扱う研究分野は古生物学と呼ばれ、地質学と生物学の境界領域に位置する。東京大学における古生物学の創始者は「ナウマンゾウ」で知られるナウマン(Heinrich Edmund Naumann)であり、帝国大学の前身開成学校の教師として明治8年に招聘された。そして、古生物学の研究のためのリファレンスコレクションとして収集されたものがクランツコレクションである。

クランツコレクションの例。アンモナイト、二枚貝、カニ、サメの歯、哺乳類の骨の化石

明治8年には開成学校が標本を輸入した記録があり、ナウマンの赴任にともなって輸入されたものであると考えられる。クランツとは、鉱物学者であり標本商でもあったクランツ博士(Adam August Krantz)を指している。クランツ博士はドイツのフライベルクで1833年に鉱物化石の標本商を創業し、1850年にボンに移転し、現在も研究用品や標本を扱うクランツ商会としてボンに存続している。クランツ標本は専門的な研究の参照用として用いられただけでなく、教材として活用されてきた。現在も理学部の古生物学の実習ではクランツ標本を観察する時間を特別に設けているが、明治8年以来続く伝統であることを説明すると学生は一様に感銘を受けるようである。

クランツ標本のオリジナルラベル(上)。開成学校のラベル(下)

クランツ標本の産地はドイツ、フランス、イギリス等ヨーロッパが多く、さらにアメリカ、ロシア等の化石も追加されている。クランツ商会以外に由来する標本も加えて6000点以上に達する大コレクションであり、明治時代の化石コレクションとしては国内随一の豪華なものであったと思われる。現在では19世紀の古生物学を記録する貴重なコレクションになっており、電子化によりインターネット上での画像公開が進められている。

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インタープリターズ・バイブル第164回

理学系研究科教授
科学技術インタープリター養成部門
塚谷裕一

エセ科学に騙されないよう教えるには?

最近、一般向けの科学テレビ番組制作に関連して、なんどか制作会社の方々と企画案を議論する中、科学リテラシーについて話していて、一つ思いついたことがあった。いままでのエセ科学対策本は、目標をかけ違えていたのではないか、ということである。

エセ科学に騙されないための心構えを説く書は多い。しかしそれらはこれまで、あまりに馬鹿正直に、国民全体の科学リテラシーの向上を目指してきた。

たしかに世にはびこるエセ科学は、義務教育レベルの理科、あるいはせいぜい高校レベルの化学、物理、生物を身に着けていれば、一瞥で嘘がわかるくらい初歩的なものばかりだ。だから正しい科学を身に着けよう、というのがこれまでの対策案だった。しかし身に着けるべき知識は理系分野だけではない。あらゆる知識体系について高校レベルまでマスターせよというのは、やはり無理な相談だ。そう考えると、エセ科学に騙されたくなければ科学リテラシー向上に努めてほしい、というのは、やや的はずれな助言である。

なのでこの考えはやめよう。ではどうしたら良いか。

そこでヒントになるのが、エセ科学の、言葉を見ただけで「ありえない」と思わせる「変」さである。私達からすればなぜこんな見え透いたエセに騙されるのか、と思ってしまうが、実は見え透いているからこそ騙されるのだ。天然イオン配合、水素水、オゾンによる血液クレンジング。共通するのは、誰もが目にしたことのある科学用語を含む点だ。騙される人たちは、これらの言葉に科学っぽさを感じ、凄いものという幻想を抱いてしまうのだろう。聞いたことはあるけれどよく理解はしていない言葉、そういうものに人は弱い。エセ科学で儲けんとする側は、そこにつけ入り、多くの人が聞いたことはある、しかしよくは理解していない科学用語を全面に押し出すのだ。なぜこんなものに引っかかるのか、という安直なものばかりなのは、実はこうした騙しのテクニックのせいなのである。

そうとなれば、対策は一つ。「正確な意味を知らない言葉を使った話は信じない」という一行に集約できる。今までエセ科学対策のための多くの本が述べてきたような、疑う姿勢という助言は、たしかにそうだが、抽象的すぎる。世に出回るエセ科学対策に話を絞れば、上のように言い換えたほうが効果的ではなかろうか。

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第31回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

「不用不急」が求められる中で

今ではよく耳にするようになった「不要(用)不急」という言葉ですが、実は戦時中にも使われていました。

「不用不急」と書かれた資料

『文部省往復』「教職貟學生生徒旅行並に各種會合取扱に関する件」(S0001/Mo234/0017)では、1943(昭和18)年、文部次官から大学総長宛で教職員や学生生徒による旅行や各種会合等について「不用不急」のものは禁止し、実施できるものの詳細が記されています。前後の資料を見てみると、この旅行等の制限の初出は1941(昭和16)年で、夏期休暇が始まる時期の鉄道輸送の逼迫を懸念して、全国的な体育大会等の会合は当分延期し、再開の指示が無い場合は中止するよう呼びかけられています。教職員や学生の団体旅行も特に指示するもの以外はたとえ文部省主催でも中止し、個人的な旅行は「厳ニ差控ヘ」るよう指示されています(S0001/Mo222/0010)。1944(昭和19)年になると、年末年始の一般旅行と軍所属者の帰省旅行までもが抑制されることになります(S0001/Mo237/0021)。「不用不急」の旅行等の制限が呼びかけられた1943(昭和18)年は学徒戦時動員体制や陸運非常体制が確立してきており、軍事目的の輸送強化を受けての措置でした。

一方で制限のある中、大学附設の研究所や演習場等での実習や研究など「教育上正科トシテ実施」するものについては鉄道の利用が許可されていました。また五月祭も1943(昭和18)年までは開催されており、映画会や音楽会、庭園の公開などが行われました(『五月祭 昭和16年~昭和26年』S0359/SS01/0001)。制限がある中でこうした活動が継続されていたことは注目に値します。「不用不急」の旅行等が制限される厳しい社会情勢の中でも、大学が教育研究を維持し主体的に動こうとしていた姿が感じられるようです。

(学術専門職員・井上いぶき)