藤井輝夫総長の任期中の東京大学が目指すべき方向性を示す基本方針として検討が続いている「UTokyo Compass」。Ver.0という位置付けの素案ができたのを機に、ビジョン検討TF(タスクフォース)の5先生にZoomで集まっていただき、この6年間の東大の行方を示す構想はどんなものなのか、これまでどのようにして検討が行われてきたのか、これから10月の策定までにどのような進化を遂げるのか、座談会形式で語ってもらいました。
佐藤 法人化を前に大学のあるべき姿を打ち出したのが東大憲章(2003年)で、その理念を任期中にどう進めるかの指針が、小宮山宏総長のアクションプラン※1であり、濱田純一総長の行動シナリオ※2であり、五神真総長のビジョン2020でした。行動シナリオに関わった面々がビジョン2020委員ともなり、その中で残っていた私に声がかかったようです。総長と相談し、キャンパス、文理、ジェンダー、専門の別等を加味してTFメンバー※3を選びました。結果的に総長補佐を経験し式辞に関わった委員が多くなっています。鶴見先生はまだ6年目ですが白羽の矢が立ちましたね。
鶴見 研究科長補佐として教養学部でオンライン授業移行の仕事をしたので、その経験を伝えるのが役割かなと思いました。当初から対話や人を大事にすることを強調する総長に共感を持ち、後押ししたいと思いました※4。
村本 お声がけいただいた時は青天の霹靂でした。候補者リストのなかに総長補佐同期の岩田忠久先生のお名前があったので、その日のうちに相談しました。どのように指針作りを進めるのか、そもそも私に何ができるのか、と不安に感じたことを覚えています。
佐藤 発足にあたって、総長が細かく指示を出したわけではなく、対話、多様性、デジタル化といった重視したい項目を提示して、どうふくらませるかはTFに託すというスタイルでした。なので、総長も会議に参加してともに考える形にしましょうと提案しました。
※3 座談会に参加した5先生のほか、稲見昌彦、芦原聡、齋藤希史、岩田覚、岩田忠久、岡田由紀、武藤香織の7先生がTFのメンバー
※4 鶴見先生は去年10月に渋谷キューズのQWSアカデミア「東京大学でオンライン授業はどう行われたか」で講演。その際に藤井先生も会場にいて、講演後に話す機会があったそうです。
総長自身もTFに参加しています
有馬 毎週月曜に定例会議を行っていますが、総長はほとんど毎回参加していますね。1月末から始めてもう20回ほどやっています。
佐藤 コンパスという名前は早いうちに挙がりました。総長の研究の場が海洋だったことから、海や指針のイメージは初期から共有していて、ほかに「ナビゲーション」「ウェイポイント」といった案もありました。歴史上、大航海時代を象徴するコンパスは、西洋の植民地支配を開いたという意見もありましたが、この語の意味はそれだけには限られない。受験産業でよく使われる言葉だがいいのか、という指摘もありました。よく使われる言葉ほどプラスもマイナスも帯びていますが、一方で知られた言葉でないと弱い。慎重に選ぶ必要がありますが、最後はいまどんな意味を込めて使うかの問題だと思います。
熊田 私はTFに参加して、言葉一つひとつをこれだけ精査して選ぶのかと驚かされました。
村本 対話と共感、誰もが来たくなる大学といったコンセプトを総長は当初から示されました。それらを共有するのが序盤のTFでした。
熊田 東京にある一大学の話ではなく、日本全体、世界全体を変えるという大枠で考えないといけないことを実感しました。いろいろな分野の先生と話せたのもよかったです。私の分野だと、たとえば安心で便利な電力システムをつくる場合に、技術的な課題を解決していくのと同時に、いくらまでお金をかけるのがいいのか、というところまでは考えます。絶対停電を起こしてはいけないという考え方でやると、‶軽自動車を注文したはずなのに頑丈な戦車ができてしまった”ということになってしまうからです。ただ、なかなかそれ以上の、人間の幸福と結びつけた議論や考察などはやったことがない。なぜ経済性どまりでいてはいけないかを考える好機でした。
佐藤 熊田先生は「研究は料理である」ということを検討の中で提案してくれましたね。コンパスに入れようとしたけど難しかった。
有馬 牛乳がヨーグルトになる話は入学式の式辞に入りました※5。指針を作るTFですが、総長の最初の発信ということで式辞も考える場となり、混同しそうでしたが、佐藤先生が数多の材料を料理してまとめてくれました。
※5(スイスに1年滞在した際の自炊生活を振り返り)「無殺菌の牛乳は日が経てばヨーグルトになります。ヨーグルトは、さらに日が経てばカビが生えてきます。そんなことがとても新鮮でした。現地の食や素材に関する考え方に触れ、生活者としての視点を得たことは、そこで人びとと共に仕事をする上でも役に立ったように思います」(令和3年度入学式総長式辞より)
OMNIの事例でイメージを共有
村本 式辞のお手伝いをするなかでイメージが具体化し、総長の生研デザインラボ※での実践がまさに対話なのだと腑に落ちました。研究者、デザイナー、海好きの市民、高校生など、多様な人たちが関心を共有することで新しいものが生まれたという「OMNIプロジェクト」です。そうしたエピソードに、TFの様々な分野の先生の話が組み合わさって骨子ができてきた感じです。たとえば対話については鶴見先生から多くのインプットがありましたね。
鶴見 対話は大学と本来的に相性がいい概念ですが、その実践は難しい。オンライン生活ではさらに難しくなります。普通に会話することも含むので簡単に言えるし軽い意味で終わりがちですが、広がりをもたせてどう実践するかを定義づけしようと思いました。「対話しよう」には誰も反対しませんが、どこまでやるのか、どうやれば効果的に対話を継続できるのかとなると、簡単ではありません。式辞では対話の3つの定義をしました※6。2つ目の定義では、言いたいことを言う前に相手のことをよく知ろうと書いています。相手に伝わる言葉を使わないといけないという側面に注目する。それが知ろうとする実践です。知らないことを知ろうとするのは大学では基本の「き」。大学の得意分野を大々的に進めるということでもあります。
佐藤 主体が積極的に対象と関わって相手の声を聞かないといけないし、相手と対面して話し合う関係を維持しなければ対話になりません。単純に仲良く話すだけではないんです。なぜ「知ろうとする」のか。コミュニケーションで終わるものでも、合意すればいいわけでもない。ポリフォニーとしての対話は、一致だけを最初から目指さない多様な声の響き合いを受容すること。大学では、答に早くたどりつくことでなく、問いを共有してともに探求することが重要です。そういう場として大学を位置付けたいのです。
※p.7の中段をご参照ください
※6「第1の意味は、向かいあって話すことによって、ある問題に対する理解を深め、解を探っていく。いわば、真理に到達するための対話です」「第2の意味は、すなわち答えを探るよりも、まず対話の相手を全体として受け止め、対話の相手として信頼し、そこから自分に向けられた声を聞き取るという、共感的理解のための対話」「第3の「対話」は、「ポリフォニー」としての対話である」(令和3年度入学式総長式辞より)
Perspectiveが3つになった理由
有馬 対話の重要性は、知、人、場のパースペクティブ、すべてにつながる話ですね。3つのパースペクティブは、わかりやすいと感じる人とわかりにくいと感じる人がいるようです。4象限にわけて分析的に考えるか、画像の3原色分解のように同じものを違う角度から見るかの違いだと思います。佐藤先生は3という数に当初からこだわっていましたね。
佐藤 1は平板、2だと閉鎖的で対立的、4だと二項対立2つに分裂し、5つ以上は整理しにくい。最小の数で動きや多様性を示せるのが3です。あと、研究、教育、経営といった機能的な概念より、具体的な事物を指す言葉のほうがいいと思いました。知、人、場の具体性に焦点をあてたかった。この3つは東大の構成要素を分類する箱ではありません。知の生産という側面から東大を見たらどうなるか、人を育てる側面から見たらどうか、場をつくる側面から見たらどうか、という視角です。場の部分に、空間や制度の話と、経営のように大きくて抽象的なものとが両方入っているのがわかりにくさの原因かもしれません。後者は3つのパースペクティブから離そうか、という議論をしているところです。
有馬 たとえば今回、アクションの部分で新しい基金の構想を記しました。簡単に言えば、目的を指定しない寄附を受けて、より自由度の高い経営を行うための基金です。大学には、世界のすばらしい未来を語る面とは別に、自律的な経営体としての面もあります。従来の国立大学法人モデルからはみ出る部分が生じるので、新たな会計手法を作るなど技術的な面における努力も必要です。ここは組織のプラットフォームという位置付けにしたほうがよさそうです。
佐藤 たとえば、大学債を人件費に使えないといった制度的な課題がありますが、これもプラットフォームの問題ですね。
有馬 8つのWG※7のうち、MXには総長や学外有識者も入って、6年間でいくらあると何ができるのかを検討しています。今回のWGの設定には大きな特徴があります。タテに切るのではなく複数の分野を組み合わせた形です。総長がデザインラボで手応えを感じたやり方を応用して導入したのだと思います。
※7 設定されているWGは、研究、教育、協創、DX(デジタルトランスフォーメーション)、GX(グリーン~)、CX(コーポレート~)、Diversity & Global、MX(マネージメント~)の8つ
対話の実践としての指針策定
佐藤 総長対話シリーズ※8を通してこのVer.0をお示しし、部局での検討をお願いしています。アクション部分の表現など、意見を集めて10月のVer.1に反映させたい。決まったものを発表するのでなく、作成中のものを共有して高めるやり方を試みています。
有馬 ビジョン2020では「公表にあたって」の完成版を10月に発表しましたが、今回は6月に案の段階で示しました。大きな特徴だと思います。
佐藤 これは対話の実践です。Ver.1が出ても終わりではなく、2年に1回ぐらいの頻度で更新していくイメージがあります。
有馬 今年は株主総会を11月にやる予定で、ホームページで公表する以外の学外向け発表としてはそれが最初になりそうです。
佐藤 中期目標中期計画の提出をにらみながらコンパスを形にするのもTFの役割でした。
有馬 コンパスは藤井総長の6年間の任期中の話が主ですが、より長い目で見た方向性も示したいという面もあります。ビジョン2020は総長の在任期間のビジョンでしたが、コンパスでは年次を入れていません。
佐藤 任期で実現できることを書くのでは長期的な自律性につながらないので、長期的視野の下での6年間という意味をこめました。
村本 私のような一教員がTFに参加していることも含め、あらゆるプロセスで様々な人との対話を重視しながらつくる姿勢が貫かれていると実感します。ただ同時に、ボトムアップだけがよいわけではないとも思いました。実施したいアクションが多くあっても、どこまでやるべきか、本気でやってよいのか、現場はその指針を求めています。トップダウンとボトムアップの良いバランスを見出すためにも、立場の違いを超えて対話の場でリクエストできることが大事ですね。
※8 総長対話シリーズは、5月13日に開催した総合文化研究科(363名が参加)を皮切りに、7月27日まで12回行われる予定です。1回目は総合文化研究科長の森山工先生が、2回目以降は広報戦略本部長の武田洋幸先生と広報室長の横山広美先生が司会を務めています。教職員との対話の後、学生との総長対話も実施することが検討されています
自分から対話を求めることの意義
鶴見 日本社会では特別視されがちな東大が対話に出かけて同じ目線でコミュニケーションすることは、東大の可能性を広げるでしょう。社会との関わりは、理系の産学連携が主で、文系の連携は限定的でしたが、たとえば公共の部分で文系が機能を果たせる領域があるはず。人々の幸福につながるような領域を探しに出ることが重要だと思います。学内では、本部が部局と対話することで広がりのある判断ができるようになるはずです。潜在的な需要や困りごとを自分から聞きに行くことが大事です。大学は一つの目標に全員で突き進む企業とは違い、個々の構成員が各々創造的に活動するための媒介になるのが役割です。いまはオンラインで知識伝達がやっとですが、教員が知を伝えるだけでなく、学生同士がつながるための媒介としての役割を果たせるとよいのですが。
佐藤 大学の「経営」はまさにその意味で再検討されるべきですね。企業と違う大学の役割のデザインと捉えてもいいでしょう。知や人や場の構築を通じた公共性への貢献を大学としてどう打ち出すのか、コンパスの作成過程でも問われているように思います。