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東大卒初の真打誕生!春風亭昇吉師匠が安田講堂で昇進披露落語会を開催

東京大学と落語芸術協会は、SDGsを基盤に協定等を視野に入れた連携を模索しています。8月18日には、 両組織の交流を象徴するイベントとして、2006年度総長大賞を受賞した本学卒業生、春風亭昇吉さんの真打昇進披露落語会を安田講堂で行いました。ご本人の敬愛する3人の師匠が並んで口上を述べ、落語を披露した会の模様と、当日行った記念座談会の内容を紹介します。

春風亭昇吉と書かれためくり
春風亭昇吉師匠 立川志らく師匠 東大落語研究会の後輩 春風亭昇太師匠 桂文枝師匠 記念撮影
❶春風亭昇吉師匠。❷愛弟子の成長を見届けた春風亭昇太師匠。❸俳句より落語の名人になるよう後輩へアドバイスした立川志らく師匠。❹「笑点」より「新婚さんいらっしゃい!」を勧めた桂文枝師匠。❺東大落語研究会の後輩二人が司会を担当しました。❻落語会終了後には藤井総長も含めて一同で記念撮影。

春風亭昇吉こと國枝明弘さんは、岡山大学を経て本学の文科二類に入学し、2007年に経済学部を卒業しました。在学中には落語研究会(落研)で活動し、その目覚ましい活躍により、2006年度の学生表彰総長賞で総長大賞を受賞しています。真打になったら安田講堂でお披露目をやってほしいと卒業式で当時の副学長の先生に声をかけられ、その言葉を胸に、弟子入りした春風亭昇太師匠の下で修業と研鑽を重ねてきたという昇吉さんは、今年5月に本学卒業生として初めて真打に昇進。師匠と呼ばれる身となっての凱旋公演を前に「この安田講堂で落語ができることは、自分にとって非常に深い意味があります。夢がかなった思いがします」と心境を語りました。

会では、所属事務所の先輩でテレビ番組でも親交の深い立川志らく師匠、2007年の入門から指導を受けてきた春風亭昇太師匠というゆかりの深いお二人が落語を披露。弟弟子である春風亭昇羊さんが司会を務めた真打昇進披露口上、口上の前後には昇吉師匠と準備を重ねてきた社会連携本部長の津田敦先生による挨拶、江戸文学を研究している人文社会系研究科の佐藤至子先生によるミニ解説があり、続いて学生時代からアドバイスを仰いできた桂文枝師匠が落語を披露した後、トリとして昇吉師匠が登場。両国橋における職人と侍のいざこざを描いた古典落語「たが屋」を熱演しました。

会の模様はライブ配信され、学生、教職員、卒業生など2000名超が、出囃子が響き幟が翻る大講堂で展開された真打たちの話芸に耳を傾けました。

記念座談会

春風亭昇吉(落語芸術協会真打・本学卒業生)×津田 敦(執行役・社会連携本部長)×佐藤至子(人文社会系研究科准教授)×佐藤健二(執行役)

実は以前から深かった落語と東大の関係性

津田 昇吉師匠は2007年経済学部のご卒業で、在学中の落語の活動が評価されて2006年度の総長大賞を受賞されました※1。学生落語選手権「策伝大賞」での優勝と、落語に関するボランティア活動が評価されたそうですね。

昇吉 「策伝大賞」は落語の甲子園のような大会で、審査委員長が桂文枝師匠でした。3年次にこの賞をいただき、落語は荒削りやけど枕がおもろいと講評されたのが嬉しかったんです。4年次には高齢者施設、少年院、盲学校などで落語の公演活動を行いました。耳の感度が抜群の盲学校の生徒さんから声がとても聞きやすいと言われたのも涙が出るほど嬉しくて。こうしたことが後押しとなって落語家になったんです。

津田 本日は文学部の佐藤至子先生にも参加してもらいました。

佐藤至子ゆきこ 主な研究対象は草双紙ですが、落語も学生時代から大好きで、岩波書店の『円朝全集』をお手伝いしたり、延広真治※2先生にお導きいただいて落語の研究も少しずつ続けています。

津田 そもそも真打とはどういうものですか?

昇吉 見習い期間を経て、前座として約4年、二つ目として約10年の修行生活を送り、それから真打になります。真打になってできることは、弟子をとれる、寄席でトリをとれる、呼称が「師匠」になる、の3つです。

津田 佐藤至子先生には真打の語源について調べていただきましたね。

授与式と一席

※1 総長賞に総長大賞が新設されたのがこの回。数理科学研究科棟大講義室で行われた授与式で小宮山宏総長(当時)から表彰状を受け取った後、受賞者プレゼンの段では落語を一席披露しました。

※2 落語史の研究で知られる本学名誉教授。著書に『江戸落語 誕生と発展』(講談社学術文庫/2011年)など。

真打は話しつつ蠟燭の芯を切る?

至子 寄席の最後の出演者が蠟燭の芯を打って消すことによるという説が知られますが、資料を見てもよく分かりません。昭和11年に岡本綺堂が『日本及日本人』という雑誌に明治時代の寄席に関する随筆を寄せていて、そこには「高座に出ている芸人は途中で蠟燭の芯を切らなければならない。落語家などが自分の話を続けながら蠟燭の芯を切るのはすこぶる難しく、それが満足にできるようになれば一人前の芸人であると言われていた」とあります。昔は明るさを保つために蠟燭の芯を切る必要がありました。次第に音に引っ張られて「真を打つ」が「芯を打つ」だと思われるようになったのでしょう。

津田 師匠の学生生活についても聞きたいです。

取りやすい単位を狙った駒場時代

昇吉 最初はボクシング部でしたが、その後、落研に入りました。教養学部では単位が取りやすい授業ばかり履修する学生でした。経済学部では岡崎哲二※3先生のゼミに所属していました。先生が毎回30頁ほど英語の論文を印刷して配り、学生が読み込んで発表するんですが、ゼミ生が3人しかおらず、3週に一度発表があってしんどかったです。あとは家庭教師のバイトと落語を頑張りました。落語は朝から晩まで受験勉強のようにずっと勉強していましたね。

津田 今日は佐藤健二先生もいらっしゃいます。

佐藤健二 私は社会学が専門で、携帯電話がコミュニケーションをどう変えるかなどの問題を考えてきました。落語は一ファンです。

昇吉 私は大学で落語がメディアの変遷のなかでどう広まったかを教えています。仏僧が難しい教えを伝えようと寺で話した※4のが落語の始まりで、それが辻講釈となり、戦いの陣中で無聊を慰めるために御伽衆が話すようになった。メディアは本からラジオ、テレビ、レコード、CDなどと移り変わり、いまはZoomですね。

健二 近世から近代にかけて東京には寄席が多くありました。当時は寄席がメディアの役割を果たしていたことが分かります。落語はその頃に社会と深く重なったと思います。

昇吉 メディアによって落語の話し方も変わったし、落語によってメディアが変わった面もありますね。円朝の口演を記したのが講談本のはしりで、講談本で成長したのが講談社だとか。

津田 落語と東大は縁が深いとも聞きました。

※3 岡崎哲二先生の談話「國枝明弘さんは、経済学部で2年間、私のゼミに所属していました。当時はゼミの学生が少なく、勉強の負担が大きかったと思います。それでも彼は落研のかたわら、まじめに取り組んでくれました。2016年のゼミOB会で都知事選挙の争点だった豊洲市場問題とドングリコロコロの歌をからめてドジョウが出てきて今日はという小話を語ってくれたことが忘れられません」

※4高座という言い方を使ったり、手ぬぐいを曼荼羅と呼んだりするのはその名残です」と昇吉師匠。

東大落研のOBが重要文献を編集

至子 夏目漱石の落語好きは有名ですね。「三四郎」では、三四郎が九州から上京する際、車内で知り合った女性と名古屋の宿に泊まります。その場面は落語の「宮戸川」によく似ています。三四郎たちが寄席に行って三代目小さんを聞く場面もあります。正岡子規は円朝の落語を聞いていましたし、漱石と子規が親しくなったのも落語がきっかけだそうです。東大落語会が編集した『落語事典』※5という本もあります。東大落語会は東大落語研究会のOBで構成される会です。芸能史研究で知られる山本進先生が昭和25年に東大に入学して日本文化研究会落語部を前身に落研を創設されました。

津田 落語家にとっては必携の本ですか?

昇吉 そうですね。上方との言い方の違いを調べたり、同じ題名で別の話を調べたり。違う題名で同じ話を調べたりするときに重宝します。

津田 一つ伺いたいことがあります。落語は古典芸能ですが、いま聞いても古いと感じないし、常に今日的であり続けています。どうしてでしょうか。実は東大も、先端部分だけではなく、歴史や伝統も大事にしないといけません。目指すものが落語と共通しているように思います。

昇吉 言い方や言葉使いといったインターフェイスは時代に応じて変わりますが、笑いの本質の部分に普遍的な要素を含むから、でしょうか。

至子 笑いだけでなく、悲しい、切ない、恐ろしいなど、人間の感情を伝える落語が心をつかみます。昔の話でも感情の部分は同じだから現代の人も共感できるのだと思います。

津田 学術の世界と通じるかもしれませんね。

健二 昔、米朝は「地獄八景亡者戯じごくばっけいもうじゃのたわむれ」を得意としましたが、晩年にはできないとやめる。くすぐりの部分を現代的に入れられなくなったという自覚ゆえです。落語には現在の面白さを敏感に捉える必要がある一方で、話の基本構造を維持し洗練すべき部分もある。両方必要ですね。

昇吉 古い落語をやる場合も現代の息吹を入れてフレッシュにしないといけません。そうするからこそ喜んでもらえるのだと思います。

※5 初版は1969年刊。版元・青蛙房せいあぼうの社名は岡本綺堂の『青蛙堂鬼談』に由来。

机の上の本
佐藤至子先生が座談会のために持ってきた書物。『増補落語事典』のほか、山本進先生の『図説 落語の歴史』(河出書房新社)、延広真治先生の『江戸落語 誕生と発展』(講談社学術文庫)、昇吉師匠の『東大生に最も向かない職業』(祥伝社)などが見えています。

落語から見える時代ごとのリアリティ

健二 学生時代、延広真治先生の授業に出たら、味噌のかわりに土が雑炊に入っている話※6を解説していました。荒唐無稽ですが、実は飢饉時に土をどう食べるかという話が当時の文献に出てきます。湯屋で息子の背中と間違えて板を洗う話※7もあります。現代の感覚だとありえないですが、当時の風呂の暗さを考慮しなければならない。その時代のリアリティが落語から見えるのが、社会学的にも面白いんです。

昇吉 飯は箸と茶碗で食うものだと言われて「ライスカレーは匙で食う」と応じる話には、当時珍しかったカレーが取り入れられています。落語は時代考証的な要素も含んでいますね。

津田 東大と落語でどんな連携ができますか?

昇吉 落語の時代考証的な要素を考えるとか、落語をプレゼンに役立てるとか、ワークショップはいくつかやれるのではないかと思います。

津田 落語の口上は講義が上手な先生と雰囲気が近いと思いました。人に訴える技は共通ですね。最後に学生へのメッセージもお願いします。

昇吉 学生時代の友人たちはどんどん年収が上がり、収入格差が広がる一方です。決して落語家を目指さないように、と言いたいです。その分、寄席の入口に昇吉の名があったらぜひチケットを買っていただきたいと思います。

津田 「令和の名人」の誕生を待っています。

※6 「七度狐」。

※7 「堀之内」。

マンガでわかる落語
昇吉師匠が落語についてあまり詳しくない方を意識しながら著した『マンガでわかる落語』(誠文堂新光社/2020年2月刊)。
距離をとった座談会の様子
座談会は安田講堂2階の特別会議室で落語会の直前に行われ、同席した報道陣との質疑応答も行われました。
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UTokyoNY(東京大学ニューヨークオフィス)が全学の国際活動拠点に 全面リニューアルで開所式典を開催 カンファレンスルーム(DOMA)

東京とNYを結んで式典を開催

8月4日、東京大学ニューヨークオフィス(UTokyoNY)のリニューアル開所式典・記念講演をオンラインで開催しました。朝の伊藤謝恩ホールと夜のニューヨークオフィスの双方を結び、13時間の時差を越えて配信するという初の試みでした。UTokyoNYは、医科学研究所と生産技術研究所が主体となり、教育研究活動の情報発信拠点として2015年に設立されましたが、大学所管施設への変更に伴い、昨年2月にオフィス機能の拡張と充実を図るため、改装工事に着工しました。途中、コロナ禍による工事の中断もあり、昨年末にようやく竣工となり、この度の開所式典となりました。

開所式典は、相原博昭社会連携担当理事、藤井輝夫総長の挨拶に続き、津田敦執行役・副学長より工事に貢献いただいた企業への感謝状贈呈を行いました。その後、オフィスから増山正晴UTokyoNY理事長による現地同窓会や関連企業等の来賓のご紹介、乾杯、オフィス内案内がありました。

続いて、林香里国際担当理事、岡部徹生産技術研究所長、山梨裕司医科学研究所長、川添善行生産技術研究所准教授の4名が講演を行いました。林理事は、知ることは変身することだという本学出身の美学者・伊藤亜紗さんの言葉を引きながら、留学する日本人学生が他国に比べて少ないことには知の触発の観点から見て大きな問題があると指摘。国籍やジェンダーに限らず東大生の属性の偏りを危惧せざるを得ないが、学生がこれまで会ったことのないような他者と対話して想像力を磨くためにUTokyoNYが大きな役割を果たすはずだと期待を述べました。岡部所長は、オフィス立ち上げから今に至るまでの様々なエピソードと、関係した多くの教職員への感謝の念を語りました。山梨所長は、FUTI(東大友の会)、NY銀杏会、さつき会アメリカなどUTokyoNYに尽力してきた同窓会組織について紹介し、今後のネットワーク構築への期待について語りました。川添先生は、コロナ禍のため現場に行かずに完成を目指す特別なプロジェクトになったこと、各々の木の由来を説明することがコミュニケーションのきっかけになると期待して「知の棚」を設置したこと、建築は作品ではないので今後はオフィスを自由に使い倒してほしいことなど、設計者としての思いを伝えました。

式典に続いて、河岡義裕医科学研究所特任教授による記念講演「新型コロナウイルスの征圧に向けて」が配信されました。

UTokyo NYは、全学の国際活動拠点です。最大50名程度のセミナー、ワークショップを開催できるオープンスペースを備えた、日米の研究者・学生・卒業生等の研究・交流の場です。今後、活動の範囲を広げ、研究助成事業や奨学金の支給等、研究・教育活動のサポートも行い、北米における本学のプレゼンスの向上を目指しています。オフィス利用や助成事業等については、本部社会連携推進課までご相談ください。

nyo.adm@gs.mail.u-tokyo.ac.jp

ホールのスクリーンに映っている感謝状贈呈式の参加者
上:リモートで行われた感謝状贈呈。感謝状は後日NYへ。
オフィスに並んでいる式典の関係者
中:夜のNY会場に集まった関係者の皆さん。
ホールに並んでいる7名の先生
下:本郷会場で登壇した7先生。

UTokyoNY、これまでの経緯

2015年11月 医科学研究所と生産技術研究所が主体となってオフィスを開設し、開所式典とオープニングイベントを実施
2017年11月 第1回 UTokyo Global Advisory Board MeetingでUTokyoNY等の海外拠点の活用が推奨される
2018年11月 第2回 UTokyo Global Advisory Board MeetingでUTokyoNYを活用した米国における資金調達の方策が議論される
2019年3月 海外での資金調達の方向性を科所長会議で提示
2020年2月 UTokyoNY運営協議会を設置
2020年2月
~12月下旬
オフィス改装工事(途中、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による工事中断あり)
2021年8月 リニューアル開所式典・記念講演
ミーティングルーム
「知の棚」
←陸前高田で被災した松、一高の教室にあった机、岩国の錦帯橋や東京駅の駅舎に使われた木材……。オフィスの名物は本学とゆかりのある様々な地域の木材で作った棚。サステナビリティの概念を発信し、世界に対する日本の貢献を示唆しようという思いが込められています。