第1138回淡青評論

七徳堂鬼瓦

情報理工学系研究科20周年に想う

筆者が所属する情報理工学系研究科は、2021年4月で設立20周年を迎えた。11月25日には記念シンポジウムを実施した。実行委員会の準備はすばらしかったが、残念ながらコロナ感染防止のため、オンライン配信のみとなった。ご挨拶いただいた藤井総長、またご覧いただいた多くの方々に深く感謝を申し上げたい。

コロナ禍は情報技術の活用を促進させた。情報技術は、世界を結び、人と人の新たな関係を築く。むろん、情報技術が何でも解決するわけではないが、地球温暖化対策においても、情報技術を活用する場面があちこちに現れよう。情報技術と異分野の連携による創発がいま求められている。

しかし懸念がいくつかある。1つめは「情報他人事意識」、すなわち「情報のことは情報屋に任せればよい」という誤解である。情報システムは注文建築である。間取りとかバリアフリーとかトイレは2つとか、利用者の具体的な意見が必要である。また、意見はことばで伝えられるので、出来上がりの確認は利用者が行う必要がある。発注する者が情報技術を知らないと、使い物にならないシステムができる。

懸念の2つめは「情報自給率」である。今や情報機器は社会基盤だが、ハードもソフトもおおかた輸入品である。これに甘んじていると、例えば他国どうしの紛争の際、余波を受けて日本の情報基盤すべてが止まりかねない。幸い日本は、ハードからソフトまで自力で情報システムを構築する能力をまだ有している。この能力を維持するために、しかるべき人々の決断が必要である。

最大の懸念は、構造的人材不足である。大学入試に情報が入るのに、他国に数十年遅れた。新興国でも、当研究科より1桁大きい情報系学部等は今や珍しくない。国内需要を満たすにも情報の専門教育を受けていない人材に頼っている。優れた発想も、マンパワー不足ゆえに世界では埋没してしまう。研究科設立時にも懸念されていたが、20年経った今、むしろ世界との差は広がった。しかも、同じ構造の根深い問題が日本にはもっといろいろあるらしい。未来を見据えた機動性が、我々には不足しているのではないだろうか。

須田礼仁
(情報理工学系研究科)