12月2日~3日、現代社会が直面する課題と未来の人類社会のあり方について話し合うTokyo Forum 2021 Shaping the Futureが開催されました。藤井総長就任後初の開催となった今回のテーマは、Science and the Human Mind。40人以上の識者がオンラインで集い議論を展開しました。2日間で12を数えたプログラムから、初日に行われたハイレベルトークセッション「サイエンスとヒューマニティ」の模様を抜粋して紹介します。
藤垣 本セッションのテーマはscienceとhumanityです。後者には人類と人間性という2つの意味がありますが、人間性が特に重要でしょう。ラッセル=アインシュタイン宣言に基づいて兵器のリスクや科学の平和利用を考えるパグウォッシュ会議の第61回が、2015年に長崎で開かれました。この宣言には「Remember your humanity」と記されています。本日は長崎の会議で講演した吉川弘之先生をお招きしました。人類は新技術との共存について考えないといけません。そのための考え方がELSI※1であり、upstream engagement※2であり、RRI(Responsible Research & Innovation)です。RRIは市民や研究者や行政や企業などの社会的主体が研究とイノベーションのプロセスで協力することを意味します。ゲストのもうお一方はRRIに詳しいフェルト先生です。まず吉川先生、お願いいたします。
※1 Ethical, Legal and Social Issues
※2 政策等への市民による上流からの関与
Remenber your humanityとは?
吉川 ラッセル=アインシュタイン宣言が出たのは1955年です。広島と長崎に落ちた原爆の数千倍の力を持つ水爆が開発された頃で、科学者がその恐ろしさを知らせないといけないというメッセージでした。「Remember your humanity」とは何か。humanityは人類全般で人類は皆同胞だから戦争はだめだということになりますが、それでは単純すぎます。私は少し違う解釈をしました。thinkではなくrememberであることが重要だと思うんです。振り返れば人類はずっと平和を求めてきました。古代ギリシャの哲学者、『ユートピア』のモア、『ニュー・アトランティス』のベーコン、『永遠平和のために』のカント……。先人たちはどうやって戦争を避けて平和を得るかを考えてきました。それを思い出せということではないでしょうか。過去に何をやってきたかを思い起こせば、戦争をなくすための原理を発見できる。人類が歴史上何に困り何を努力してきたかを捉えよという意味での宣言だったと思います。
藤垣 難問に一つの解を提供していただきました。科学者の責任に関して、日本では主に物理学者が注目されましたが、ヨーロッパでは核兵器以外にも焦点があてられてきたように思います。フェルト先生、RRIについて教えてください。フェルト 倫理的・法的・社会的な課題を意味するELSIは、1990年代から科学を考える上での重要な概念で、もとは生命科学や医療の分野のものでした。ただ、ELSIのアプローチには批判もありました。科学の技術的変遷を見通せない、包摂的でないという見方です。そうした背景のなか、研究とイノベーションを支援するEU「ホライズン2020」計画にRRIが導入され、予想外の影響をより積極的に回避することが目指されました。ポイントは、市民がイノベーション開発と未来への形成に関わり、エンゲージすることです。目指されたのは倫理的で持続可能なイノベーション。進む先を市場に決めさせるのではなく市民社会で議論するやり方です。予見性、再帰性、包摂性、応答性の4つを重視しながら科学技術の原則を作ろうというのがRRIでした。
藤垣 核兵器に関する科学者の責任の話とRRIの話との相違点を吉川先生はどのように見ているでしょうか。
人類の3つの脅威に対するRRI
吉川 人類の脅威には三つあります。一つは人類がサバンナを出たときに味わった自然の脅威です。それを克服し安全な生活を営むようになったのは科学のおかげです。二つめは人工の脅威。科学はよい生活に繋がる一方で脅威ともなってきました。三つめは戦争です。人間の対立が生んだ邪悪な存在です。RRIはこの三つをカバーするもので、力点を置くのは人工の脅威でしょう。科学が進むとイノベーションが生まれますが、異なるイノベーションが重なると違う脅威を生み出してしまう。温暖化はその典型です。これは原爆と同じような恐ろしさを持つかもしれない。しかし、いま人類は皆で温暖化に対抗しようとしています。1985年のフィラハ会議では、科学者と政治家がともに温暖化を考え、声明を発表しました。それが国連に届き、気候変動枠組条約ができた。条約締約国会議が始まり、京都議定書やパリ協定もできた。人類は協働して脅威に立ち向かうようになったのです。あらゆる分野の科学者が協力した結果でした。RRIはそこに通じます。原爆が投下された時代とは変わってきていると思います。
藤垣 次の質問です。科学技術が社会に与える影響を考える際に、人文社会科学の役割とは何でしょうか。欧州では特に人文社会科学に力を入れて投資していると聞きますが。
解決策にも問題にもなる科学
フェルト 文化的な文脈を広く振り返る必要性があります。あらゆる国は各々の歴史を持ちます。重要なのは、違いを認め、常に歴史を振り返り、共存すること。遺伝子操作も原発も国によって違う受け止め方をされています。どう違いを認めて共存するか、どう様々な文化を振り返るかにおいて、RRIと社会科学は大きく貢献してきました。EUには、単に技術開発を評価するだけでなくイノベーションにつなげようという考え方があります。どういう世界を目指すべきなのかを示すのも人文社会科学の重要な役割です。傍観するだけではいけません。人文社会科学が技術開発や科学プロジェクトに関わることで継続的に振り返りを行い、ビジョンとソリューションの枠を広げる必要がある。気候変動以外にも技術だけでは解決できない問題は多々あります。科学技術は解決策にも問題にもなりえます。人文社会科学者はこれらを考慮しながら社会に貢献していかないといけません。
藤垣 市民の関与(public engagement)についても示唆を一言いただけますか。
フェルト エンゲージメントの部分を真摯に捉えないといけません。市民の声に耳を傾けるだけでは後手に回ります。市民が科学技術開発の初期から関わるほうがよく、社会レベルでともに考える時間と空間をつくらないといけません。エンゲージメントとは、新しい視点やラジカルな考えや枠組みを外れた意見も聞くということ。科学は社会から、社会は科学から、互いに学ぶことができるはずです。
藤垣 最後の質問です。AI、量子コンピュータなど、新技術は常に展開されています。scienceとhumanityは21世紀にどういう示唆を与えるでしょうか。
「科学の使い方」こそ重要に
吉川 1999年のブタペスト会議では、科学の使い方の重要性を指摘する宣言が出ました。その点を明らかにするには、「ものを作る」ことの科学を追求しないといけません。私はそれをデザイン学と捉えて研究してきました。そして気づいたのは、デザインは自然科学だけではできないことです。人間の行動と幸せを扱うのが人文社会科学。人文社会科学と自然科学の対話が必要であり、社会をデザインするところでの協力が必要です。それには自然科学者と人文社会科学者が市民とも対話しないといけません。市民参加型の科学は科学が細分化したことや空白地帯を作ったことの反省を前提としています。原点は原爆における科学者の責任の議論と繋がる。そこをわかりやすく伝えるのが我々の責任だと考えています。
フェルト 気候変動、医療、パンデミック、食糧など、社会が抱える諸問題は科学につながります。科学は解決策であるだけでなく問題の一部でもあります。たとえばプラスチックによる環境汚染は人々が何も考えず大量消費の生活を重ねたことに起因します。人文社会科学と自然科学の協働が重要です。技術を生んだ後に責任を果たすというよりも事前に責任を果たすことが必要なのです。私はresponsibleではなくresponse-ableと言うようにしています。研究者は社会との関連を自ら考えるべきで大学はそのための場を確保して若者の教育に反映させることが必要です。世界的にそこには大きな改善の余地があると思います。(抜)