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海と希望の学校 in 三陸第18回

岩手県大槌町にある大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センターを舞台に、社会科学研究所とタッグを組んで行う地域連携プロジェクト―海をベースに三陸各地の地域アイデンティティを再構築し、地域の希望となる人材の育成を目指す文理融合型の取組み―です。4年目を迎えたわれわれの活動や地域の取組みなどを紹介します。

三鉄・三煙突ものがたり

北川貴士
北川貴士
大気海洋研究所附属国際沿岸海洋研究センター
准教授
閉伊川橋梁を渡る三陸鉄道の車両と「ラサの煙突」 甲子川橋梁を渡る三陸鉄道の車両と製鉄会社の煙突
盛川橋梁を渡る三陸鉄道の車両とセメント工場の煙突
❶宮古市・閉伊へい川を渡る三鉄車両と「煙突山」に凛とそびえる「ラサの煙突」(冨手淳氏撮影) ❷釜石市・甲子かっし川を渡る三鉄車両と製鉄会社の煙突(釜石市提供) ❸大船渡市・さかり川を渡る三鉄車両とセメント工場の煙突(神吉隆行氏撮影)。三鉄には煙突もよく似合う

少し時間が経ってしまいましたが、今年度も9月12日(日)に目玉イベントのひとつ「海と希望の学校 on 三鉄」を開催いたしました。今回も協定を結んでいる宮古市立重茂おもえ中学校から3年生12人と引率の先生に乗車していただき、宮古駅を発着とし鵜住居うのすまい駅(釜石市)を折り返しの行程で行いました(昨年度は鵜住居駅発着、田老駅(宮古市)の折り返しでした(第11回no.1541参照))。「動く教室」の中で、車窓から見える三陸の自然とくに地形・地質について、地質学が専門の山口飛鳥准教授(大気海洋研究所)が講義してくださいました。鉄道のレールは地形などを考えて敷かれていること、地形や地質によって恩恵を受ける産業などについて、生徒らは学んでくれました。

今回、テーマを三陸の地形・地質にしたのですが、そのわけは三陸鉄道(三鉄)の車窓から見えるある煙突にあります。その煙突は、宮古駅から釜石方面に向かい最初の橋梁を渡るときに右手に見えてきます。通称「煙突山」にそびえたつこの煙突、元ラサ工業宮古工場の「ラサの煙突」と呼ばれ、高さは160m、根元の直径は10m、先端は5mもあります。この工場ではかつて、近くの田老鉱山や海外で採掘されて運ばれてきた銅鉱石の精錬を行っていました。1936年に採掘が開始され、1939年に精錬所と一緒に当時東洋一の煙突が完成しました。1971年に鉱山が閉山し溶鉱炉の火も消えましたが、この煙突は今も宮古のランドマークとなっています。生徒らには、宮古の産業を支えた自然的背景を知ってもらいたかったのです。

実は、鵜住居駅がある釜石市や、三鉄の南の終着駅・さかり駅のある大船渡市にも立派な煙突があります。釜石にある煙突は、お察しの通り製鉄会社の煙突で(注:発電施設の煙突です)、大船渡はセメント工場の煙突です。山口准教授によると、三陸を含む北上山地は5種類ほどの地質から成り立っていて、これらが複雑に分布しているのだそうです。また、石は種類によって侵食への強さが異なります。地質の多様性が、それぞれの町の産業を支え、石の硬さが、それぞれの湾第18回を形作ります。三陸沿岸の豊かさ、産業や生活様式の地域差は、地形と地質によって生みだされ、三鉄はこういった岩手沿岸の町々のローカル・アイデンティティを繋いでいるというわけです。

本稿をもって今年度の「海と希望の学校 in 三陸」は最後となります。この一年、おつきあいいただき、ありがとうございました。こういったご時世ではあるのですが、来年度もコンテンツをさらに増やすことを目指して、煙突よろしく静かに熱く活動していきたいと思います。報告を楽しみにしていてください。

「海と希望の学校 in 三陸」公式 TwitterのQRコード「海と希望の学校 in 三陸」公式Twitter(@umitokibo)

制作:大気海洋研究所広報室(内線:66430)メーユ

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あちこちそちこち東京大学 本郷・駒場・柏以外の本学を現場の教職員が紹介第30回

検見川総合運動場の巻
本部学生支援課
小倉聡司

検見川の最後の現地職員として

セミナーハウスの外観
運動場入口正面にあるセミナーハウス。食堂や宿泊施設を備える

検見川総合運動場セミナーハウスは千葉県千葉市に所在する26万平方メートル(東京ドーム5.5個分以上)の面積をもつ総合運動施設で、5面あるサッカー場をはじめ、ラグビー場、アメフト場、ゴルフ場、クロスカントリー場、野球場、体育館、テニスコートと多様な競技施設を有してます。併設されているセミナーハウスは、本学出身の著名な建築家である原 広司先生によるもので、座学利用が可能なセミナー室や合宿用の宿泊施設を備えています。

特にサッカー場は日本代表の合宿地となったことで有名で、1968年のメキシコオリンピック開催前に日本代表が当グラウンドで練習し、見事銅メダルを獲得しました。また、クロスカントリー場も起伏に富んだコースとなっており、現在も日本代表の陸上競技選手や実業団ランナー達の練習場として盛んに利用されています。

このような素晴らしい運動施設ではありますが、都心からやや離れた立地のためか一部の施設は利用率が低迷しており、また広大な敷地故に十分な維持管理が難しい側面もありました。そこで、2020年4月から本運動場の管理運営業務を民間事業者に委託し、施設の稼働率向上と持続的な運営を目指すこととなりました。委託開始初年度は過渡期として委託事業者と本学職員が現地に同時勤務することとなり、私はそのときの最後の現地職員となりました。

検見川は目下、本学と委託事業者が協力しさらなる発展を目指しております。皆さんも是非一度、この広大なスケールの運動施設を体験しに来てください。

1.サッカー場、2.クロスカントリーコース、3.テニスコート、4.食堂
1. 代表も走り回った第1サッカー場
2. 起伏のあるクロスカントリーコース
3. 4面あるテニスコート
4. 食堂
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UTokyo バリアフリー最前線!第30回

バリアフリー支援室
中津真美
ことだまくん

オンラインイベントでの情報保障

2016年の「障害者差別解消法」施行以降、本学で主催するシンポジウム等に手話通訳や字幕といったいわゆる「情報保障」がつく機会が増えてきました!
今回は、2月9日に開催した「東京大学バリアフリーシンポジウム」の情報保障について、担当の山本篤さんと松下眞弓さんに尋ねました。

――最もこだわった点は?

上部の左上にスライド、右上に演者、右下に手話通訳者、下部に字幕が配置されたシンポジウムの画面
今回のシンポジウムの画面

スライド・演者・手話通訳・字幕を全て1画面に設定した点です(写真参照)。字幕や手話通訳が、シンポジウム画面とは別の端末で表示される形式もありますが、聴覚障害のある参加者にとっては視線の動きが大きくなってしまい疲れやすくなります。字幕を見ている間にスライドや手話通訳が先に進んでしまい見逃してしまうこともあります。全てが同一画面内に収まっていれば、視線を大きく逸らさず全体を把握しやすくなります。そのための最も容易な方法は、表示画像を4つに絞っての固定表示(画面上は4分割)です。ただし、Zoomなどでは、参加者の発言等で画面の位置が入れ替わるという難点があります。そこで、ソフトウェア(OBS等)や専用機器を使い、画面の配置を固定する方法があります。この方法では、今回のように、個々の枠を調整して見やすいレイアウトにすることが可能です。スライドや手話通訳を大きく取り、字幕は画面下に横長に表示させる等、状況に合わせて調整できます。

――ポイントは?

スライド・演者・手話通訳・字幕の大きさのバランスに悩みました。情報保障の分だけスライドの表示領域が小さくなるため、バランスの調整と、実際の表示画面を考慮したスライドの作成が重要と感じました。

――スライド作成段階からの工夫ですね?

はい、画面レイアウトに合わせたスライドサイズを選択する必要があります。フォントや配色もユニバーサルデザインが推奨されます。聴覚障害のある参加者にとって、スライドが複雑で情報量が多いとスライドを注視しなければならず、字幕や手話通訳を見落としがちになります。情報量のバランスは大事であり、パッと全体を把握できるようなスライドが望ましいと思います。

以上、情報保障などの配慮は、ご本人と相談の上、決定しましょう! イベント開催時には、是非バリアフリー支援室にご相談ください。

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ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第189回

教養学部等学生支援課
学生支援チーム
高野竜太

対話と学生支援

高野竜太
2021年度学部交渉での一コマ

教養学部には年に一度、学部執行部と学生自治会が公開の場で討論を行う「学部交渉」というイベントがあります。事前に論点を整理し互いの主張を確認する予備折衝を何度も重ね、その上で公開討論の場に臨むのですが、主張が対立する問題については予備折衝の場でも学生側は核心的なことを言いません。私は学部側の回答を作成する立場でしたが、これに大変苦労しました。しかし、発せられる言葉の端々や普段の学生自治会とのやり取りにヒントが隠されており、そこから本番の回答や想定問答を作成していきます。相手への理解を深め、その結果として行われる「学部交渉」は、まさに“対話の芸術”であると実感しました。

これ以外にも、教養学部では様々な立場の学生と議論する機会が数多くあります。その一つ一つが気を抜けません。「将来、目の前にいる学生は我が国のリーダー的立場になるかもしれない」、そう考えると、決して気を抜くことができないのです。

野球チームのメンバー12人と「在京国立大学等職員懇親野球大会」の優勝旗を持つ女性
2019年在京国立大等職員野球大会優勝!
得意ワザ:
野球(新チームのメンバー募集中!)
自分の性格:
熱しやすく冷めにくい
次回執筆者のご指名:
吉田美緒さん
次回執筆者との関係:
入職同期の野球仲間
次回執筆者の紹介:
とにかく笑顔が素敵!
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デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう第27回

総合文化研究科教授アルヴィ宮本なほ子

海を渡ったシェリーの手稿

東京大学総合図書館所蔵の多くの貴重な文献の中に、海外では一握りの研究者にのみその存在が知られつつも、誰も見たことがなかった文献があります。パーシィ・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley 1792-1822)の自筆の原稿で、出版されたことはありません。2019年に附属資料とともにデジタル化され、世界中の誰にでもアクセスできるようになりました。

シェリーの手稿の見開き
シェリーの草稿

シェリーは、日本では、「冬来たりなば春遠からじ」の一節がある「西風へのオード」などの美しい抒情詩で知られる詩人ですが、この草稿は、彼がユダヤ人について書いたものとして現在知られている唯一の文献であり、また、シェリーの手稿で唯一アジアにあります。シェリーが残した資料の管理を任された詩人ガーネット(Richard Garnett 1835-1906)から“Mr. R. Tsuchii”(土井林吉=土井晩翠 1871-1952)に贈られ、はるばる海を越えて日本に渡りました。

総合図書館に「A100: 1590(Shelley, Percy Bysshe. A manuscript, written in his own hand)」として収められたこの作品は、欧米の研究者には「東京の草稿」、あるいは、“On Zionism”として知られていました。断片的な草稿が名称を変えることは時々あり、この草稿も、デジタル公開にあたって、内容がわかるように、“Fragment of an Address to the Jews”と名付けられました。

いるかのウォーターマークが見えるシェリーの手稿の透過光画像 「ANT.FORTI」と「C」のウォーターマークが見えるシェリーの手稿の透過光画像
ウォーターマーク

シェリーの没後200年の記念の年である2022年には、世界中で多くの催しが開かれます。デジタル化にあたって、ウォーターマークを示す工夫がされ、附属資料もともにアップロードされています。シェリー研究に新しい光を当てることになるでしょう。

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インタープリターズ・バイブル第174回

カブリ数物連携宇宙研究機構 教授
科学技術インタープリター養成部門
横山広美

安全と安心の近くて遠い関係

安全は数値で決めることができる科学であり、科学者の仕事である。一方で安心は、人の心の状態であるからこの2つは混ぜてはいけない。特に安心を誘導する科学者は、その意図を疑われ、信頼を損なうことが多いので注意が必要だ。

数年前に異なる分野の研究者たちと安心について議論をした。ある哲学者は、政府が安心を説くことは人の心まで操ることであり、それは国家権力の拡大で許してはいけないと言った。対してある社会心理学者は、人の心配はそのままにしておくのが良い、リスクの程度は人によって違うし心配が必要で対策を取らなければいけない人たちがいるとし、人々を安心させようとする科学者や政府をおせっかいだと断じた。さらにある物理学者はそうした意見を総括し、セーフティネットは必要だよねと言った。

安心をさせたいのは、マクロには対応を批判されたくないからという政府の事情に加え、ミクロには相手を自律した存在ではなく、導かなければいけないという態度がある。医療現場などでは確かにそれが必要な時もあるだろう。しかしこれに同調圧力が合わさって、心配をしなければいけないときに、無理に安心をする方が賢いという雰囲気があるのも問題だ。不安な人を貶める発言は、自分の安心を担保するためだと知られている。

気を付けなければならないのは、科学者は、科学者ならではの安全バイアスにかかっていることである。安全情報に囲まれる科学者は、社会の中のリスクを必ずしも的確に捉えているわけではない。90年代の通称「白人男性効果」と呼ばれる研究成果では、一部の白人男性だけがハザードに対し強く安心していることを明らかにした。その理由は、社会的立場が優位である人が安心をすることを表していると考えられている。

日本はもともと高いレベルの安心社会だった。震災後もリスクとの付き合い方は難しかった。しかしその経験が十分に活かされているとは言えない。この原稿を書いている第6波の現在は、コロナによる日々の死者数がデルタ株の第5波の時を越えている。東京都では80人にひとりが療養中である。それであるのに、多数に感染しても重症化は低いということにとらわれ、なんとなく安心をしている状況は、どこか歪んでいるのではないか。特に学校現場が休校になっていないことが心配だ。安全の基準や提示は、科学者の責任であることに思いを馳せ、安全を呼び掛けていく必要があるのではないか。

科学技術インタープリター養成プログラム

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蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第36回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

枯木に花咲く大学臼

新型コロナウイルス感染症の影響により、年末に集まっての餅つき大会や初詣での振る舞い酒など、飲食を伴った新年行事が難しくなった昨今ですが、本学では過去のある時期に復興を願った特別な餅つきが行われたことをご存じですか。

時は大正14(1925)年の5月。その2年前に発生した関東大震災で甚大な被害を負った構内では様々な復旧作業が進められ、その一環として震災の際に枯れてしまった三四郎池畔の大きな椋木が伐採されたそうです。切った断面からは469の年輪が確認され、歴史ある樹木が処分されることを哀れに思った当時の学生監は、「永く記念として保存し学生のために使用したい」と関係部局等にうったえ、その木から臼と杵をこしらえて「復興餅」を作ることになりました。

木の根から上の最も太い部分を切ったところ、自然に桜花の形となったため、その形に添って一つの切り株に大小二つの臼を掘ることになりました。同じ木から3本の杵も作られました。そして、枯れた木から花が咲く願いを込めて「枯木に花咲く大学臼」と名付けられました。

一つの切り株に親臼と子臼を配置した設計図

この画像は、一つの木に親子の二つの臼ができるように設計された当時の記録です(S0005/26/0118『部局往復 大正十三年 大正十四年』「池ノ端椋ニヨル臼作成並同臼ニヨル餅配布ノ件」)。全周が5m以上、高さが60cm程度で、重量30kg以上の立派な切り株から出来上がった臼はなんと、親臼で5~6升、子臼で2升程度のお餅をつくことができるものでした。

『帝國大學新聞』(大正14年5月11日付3面)には、杵を持つ3人の写真が掲載されており、大学臼の姿を確認することができます。学生監室では紅白のお餅を作り、由来記とともに学内に配ったと報じられています。

残念ながら大学臼のその後の行方を知ることはできませんが、一日も早くコロナ禍が収束し、再びお祝いの餅つきの音が聞こえることを願ってやみません。

(助教・元ナミ)

東京大学文書館

学生の生活の管理・監督を担当していた職員。『東京大学百年史 通史一』参照