第1143回淡青評論

七徳堂鬼瓦

研究室、宇宙、オンライン空間

4月中旬のある日、私は文学部の中国思想文化学研究室に本を借りに行った。卒業して以来、閲覧やコピーで研究室に行ったことはあるが、本を借りるのは久しぶりである。自分の貸出カードを箱から取り出す。最後に借りたのは2012年であるが、驚いたことに、先週授業で使った本と同じ本を借りている。10年間、私の研究に進歩がないことを示唆しているが、それよりも、自分の筆跡で書かれたその本のタイトルを見た時、私はまざまざと、当時の研究室と、そこに座っていた自分を思い出した。

大学院生の頃、研究室に居場所を作ろうとしていた私は、授業のない日も午前中から来て、閉室の時間にようやく帰宅した。落ち着く位置を決めて机に向かって座り、先生に論文の進捗を聞かれたくない時は本棚に隠れながら、中国の音楽や天文暦法について、私は確かに考え続けていた。その時に考えていたことが、貸出カードを見た時に、場の記憶とともに一気に蘇る。

私が借りていたのは、東アジア科学史が専門の山田慶児氏の本である。山田氏は、360日を一太陽年の近似値とし、周天度数を360度に固定したバビロニア天文学に対し、中国天文学では、一太陽年を決め、その数値に等しく周天度数を選んだという。すなわち、中国の天文学者たちは、あくまでも太陽年に即して考え、認識を構成物として抽象化し、自然から完全に独立させようとしなかった(『朱子の自然学』、岩波書店、1978、p.231)。それが彼らの空間認識であり、自分たちを包む天や宇宙に対し、そうあってほしいと願うあり方なのであろう。

この日は、東洋文化研究所のオンライン歓迎会で司会を務めた日でもあった。コロナ禍の二年前に着任した私だが、新しく来た方をお迎えする役回りとなったのである。ここ数年の間に馴染んできたオンライン空間を、私たちはどう認識してきたのだろうか。あくまでも自分の実際の生活の延長として捉えようと試行錯誤した人もいるだろうし、抽象化された空間の特徴を授業や会議に生かそうとした人もいるだろう。

研究室、宇宙、そしてオンライン空間。いずれにおいても私たちは、そこで過ごし、考えるために、場をかたちづくろうとする。また十年後に、この時を振り返った際、私たちがこの時、どのような場を作ろうとし、世界にどのようにあってほしいと考えたのか、オンライン空間の経験は何かを教えてくれるかもしれない。

田中有紀
(東洋文化研究所)

夜の獅子像と背後の月
東文研入り口にて:獅子像の背中から月を望む