
昨年10月に始まった博士課程学生支援プロジェクト、SPRING GX。科学技術振興機構(JST)の次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)に採択されて東大が進めるこのプロジェクトでは、600人の学生が経済的支援を受け、グリーントランスフォーメーション(GX)を先導すべき高度人材として育成されています。ここでは、事業統括としてSPRING GXを牽引する大越慎一先生に、企画の背景、開始に至る経緯、学生たちへの思い、現況などについて紹介いただきました。SPRING GXで学ぶ学生の研究事例の一部も共有します。

40回超の会議で企画を立案
昨年6月、齊藤延人理事からSPRINGプログラムについてお話があったのが発端でした。博士課程進学者が減っている現状を慮って国が始めた170億円規模の支援策です。執行部で議論し、大学ごとに一人しか出せない事業統括の候補として選んだので、GXをテーマに考えてみてほしいとのことでした。長く関われる、国際的ビジョンがある、産学連携や教育活動の実績があるなどの要件を満たす教員とのことで要請をいただきましたが、支援対象として600人を考えていると聞いて愕然としました。申請期限まで3週間しかなく、タスクフォース※1を組んで大急ぎで書類作りに入り、採択までに40回以上の打ち合わせを重ねました。
CO2削減技術を軸に温暖化を抑制し社会を変革する本来のGXには少し科学技術寄りの印象もあります。議論するうち、貧困やダイバーシティまで含めて考えないとGXは困難だと気づきました。たとえばアフリカの子どもの就学率を調べると、女性は男性の半分以下。人類の課題に立ち向かうのに教育は不可欠ですし、IoTやDX、法整備や哲学も重要です。つまりGXには全ての学術が関係すると考え、全部局の学生が参加できるという骨格を決めました。
一人年間250万円以上の支援※2を受けるわけですから、自覚をもって研究に没頭するのが学生の務めです。負荷が増えて学位取得が遅れては本末転倒なので、最小限のデューティを課すようにしました。学生は安心して専門性を深め、多分野の専門家が議論する場に参加しながらネットワークを構築し、地球規模の課題に対する解決方法を提案する、というシナリオです。
必修の基幹プログラムとして、GXを牽引する専門家によるGX俯瞰講義、GXに貢献した創発的研究者によるGXインスパイア講義、600名でブレーンストーミングを行うグリーン未来交流会の3つを用意しました。講師の講演の後、600人の学生をランダムに10グループに分けて議論する時間を設けているのが特徴。統括オフィスのスタッフがモデレーターを務め、約3割ほどいる英語話者のために同時通訳と自動翻訳も活用して議論しています。
興味に応じて学生が選択するプログラムとして、自発的融合プロジェクト研究、国際会議派遣、海外派遣、産学連携インターンシップ、セルフプロモーションビデオ制作も実施しています。ブレーンストーミングなどから生まれた挑戦的・分野融合的なアイデアに基づく共同研究提案に最大50万円を支援する自発的融合プロジェクト研究や、海外で行われる研究や学会への参加、YouTubeで自分の研究を紹介するなどの活動を展開してもらいます。海外派遣プログラムでは年200人の派遣を見込んでいましたが、コロナ禍の影響でまだ50人程度に留まっており、その点だけは残念です。
学生選考については、19のWINGS※3にご協力いただいています。SPRING GXは博士課程の3年間が基本のため、学生はWINGSのどれかに準会員として申請し、各WINGSが第一段階選抜を、統括オフィスが第二段階選抜を行います。WINGSが運用する産学連携ラボインターンや国際キャリア研修やダイバーシティ教育などのコンテンツも提供いただき、高度スキル養成プログラムの枠で学生が選んで参加しています。WINGSの協力あってのSPRING GXです。おかげさまで1回目の募集では1000人の応募があり、今秋の募集でも定員の3倍を超える申請をいただいています。
※1 SPRING GXタスクフォースメンバー齊藤延人理事・副学長、川﨑雅司教授(工学系)、山本智教授(理学系)、津本浩平教授(工学系)、徳永朋祥教授(新領域)、熊田亜紀子教授(工学系)
※2 研究奨励費(生活費相当額)216万円+研究費34万円
※3 修博一貫の国際卓越大学院教育プログラム

安心して基礎研究を進めよう
各講義で行う議論からは、学生たちの高いモチベーションが伝わります。先日GXインスパイア講義に登壇した薬学系の後藤由季子先生は、違う分野の学生から刺激を受けたと話していました。体内時計の話の際に、宇宙の研究をしている学生が、細胞は放射性崩壊を知っているのではないかと指摘したり。嫌な記憶を消す薬の話の際には、悪い記憶をポジティブなものに変えるような心理学的制御はあり得る、と哲学畑の学生が発言したり。専門性を持つ者同士の議論が新しい学術や課題解決につながるかもしれない、と手応えを感じています。
基礎研究は基本的に狭く深く進めるものですが、社会からは役に立つ研究を求められがちで、博士課程の学生はそこに不安を抱えています。自分の研究が役立つとは思えない場合、このままがんばっていいのかと悩んでしまうものです。私も基礎研究者の一人です。化学の基礎研究から生まれた新材料の中にたまたま使えるものがあったので、結果的に応用研究や産学連携も進めましたが、最初から役立つものを作ろうと思っていたわけではありません。SPRING GXという横のネットワークで社会とのつながりを保ち、安心して専門性を深めてもらいたいのです。社会の課題についてはSPRING GXで話す仲間がいるから、あとは自分の専門分野の研究をひたすら進めればいい、研究をがんばっていれば話を聞いてくれる人はいるんだ、という状況を学生に提供し続けたいと思います。

SPRING GX生の研究紹介事例
SPRING GXで学ぶ学生が自分の研究内容を約3分で紹介する動画や、大越先生や熊田先生がプログラムで開催した講義の一部をYouTubeで配信中です。その中からお二人の事例をダイジェストで紹介します。

公式YouTubeチャンネルでご確認ください→

在宅看取りにおける
多職種連携の鍵とは?

日本では約6割の方が自宅で最期を迎えることを希望していますが、実際に最後まで自宅で過ごせている方の割合は約1割程度で、7割を超える方が病院で最期を迎えています。この状況に変革をもたらすには、自宅で質の高いケアを提供できる体制の構築が必要です。そのための鍵が、ケアを提供する専門職間での連携です。私は、自宅で療養する人々をケアする専門職同士が互いの専門性を発揮して適切で質の高いケアを提供するにはどのように連携すればいいかを研究しています。住み慣れた地域で最期まで過ごしたいと希望する人が思いを実現できる世の中を作りたいです。
自宅療養者をケアする専門職同士が互いの専門性を発揮しながら適切で質の高いケアを提供するための新たな知見が得られれば、自宅で最後まで過ごしたいと希望する方々の思いを実現できる世の中を作る一助となると考えています。これはSDGsの優先課題である健康・長寿の達成に位置付けられます。SPRING GXを通じて、多様な分野の専門家と協働しながら、たとえば経験の浅い専門職であっても質の高いケアを提供できる新たな方策を提案したいと考えています。
災害につながる寒冷渦の
維持メカニズムの解明

私の研究対象は寒冷渦と呼ばれる渦の維持メカニズムです。寒冷渦は上空を流れる偏西風の蛇行が深まることで発生する低気圧で、ほとんどの場合その内部に寒気が伴います。上層では明瞭ですが、地上付近では不明瞭なため、普段ニュースで見る天気図にはあまり明瞭に現れません。寒冷渦が接近すると、大気が不安定になりしばしば激しい雷雨になります。寒冷渦が同じ地域に長く居座ることは災害リスクが続くことを意味します。寒冷渦の維持メカニズムの解明は喫緊の課題ですが、完全には理解されていません。私はデータ解析や数値計算を用いてこのメカニズムの解明に取り組んでいます。
私の研究では地球環境を直接的に扱うため、GXの推進に大きく寄与することが期待されます。いまは「現在気候」における解析を進めていますが、今後は「将来気候」下における大気のシミュレーションチェックをもとにした解析も行う予定です。近年、気候変動に伴う気象災害の激甚化が懸念されています。「将来気候」下において寒冷渦の挙動がどのように変わるのかにも着目し、全世界に新たな知見を提供することを目標に掲げ、SPRING GXを通してGXに貢献していきます。