
創立以来、東京大学が全学をあげて推進してきたリベラル・アーツ教育。その実践を担う現場では、いま、次々に新しい取組みが始まっています。この隔月連載のコラムでは、本学の構成員に知っておいてほしい教養教育の最前線の姿を、現場にいる推進者の皆さんへの取材でお届けします。
前期教養教育の一環としてのD&I授業
/講義科目「人種とジェンダー」「フェミニズム科学論」
准教授 福永玄弥
特任講師 飯田麻結


福永 4月発足の当部門の任務はKOSS※1の運営と前期課程のD&I関連授業の提供で、後者を担うのが私たちです。部門長の清水晶子先生の下で活動しています。
飯田 初年度は講義科目と自由演習科目の計12科目を展開しています。講義科目で基礎的な知識を学び、より専門的な関連事項に関して、ゼミ形式でディスカッションを行いたい学生には自由演習科目を、という設計です。
福永 私を含めてジェンダー・セクシュアリティ分野の研究者が多いですが、障害学や他のマイノリティや差別・権力の問題も関連づけながら学んでもらいます。
フェミニズムから科学を読み解く
飯田 私の授業※2はフェミニズムと科学論を関連づけて考えるものです。女性科学者がいかに知の生産に携わってきたか、フェミニズムの視座からの「客観性」概念の問い直しや、エイズ危機に見られるような感染と他者化をめぐるメタファーの問題、科学の「怪物性」など、幅広いトピックを論じます。AI、生殖技術、人新世といった日頃見聞きする話題について、科学とジェンダー・セクシュアリティの関わりから学生が自分で問いを立てる契機にしてほしいと思っています。
福永 私の授業※3では、人種差別と性差別という二つの権力を繋げて考えます。東アジアの歴史的文脈の中で両者はどんな問題を起こしてきたのか。一つの重要な事例として「慰安婦」問題を扱います。多くの学生が偏った知識を持ち、問題自体を否定するような情報を取り込んでいます。歴史学の知見を説明しても週刊誌の記事を根拠に嘘だと主張する。こうした状況がなぜ当たり前になったのかを考える上では、性差別だけ見ても足りません。植民地主義と性差別が交差する権力の下で「慰安婦」制度が作られた歴史があり、その複雑な状況を単純化せず複雑なまま理解する視点を持ってほしいのです。当初、受講者は多くて100人程度かと予想していましたが、結果は約300人。D&I授業のニーズは高いと実感しました。
飯田 私の授業も当初は30人程度と予想しましたが、約100人が受講しています。将来の専門分野とは違うけれど重要と感じるテーマを前期課程の時点で学んでおこうという思いがあるのかもしれません。
福永 他大でジェンダーの授業を行うと女性の受講者が多いですが、東大の授業では男性が7割ほど。フェミニズムに対して挑発的な人も一定数いて、そういう学生とどう向き合うかは難題です。挑発はマイノリティの学生にも向かってしまうため、教員がある程度強く言わないと安全が担保できません。でも強く言いすぎるのも問題で、その塩梅がとても難しい。東大ならではの状況と言えると思います。
「割合的にはどれくらいですか?」
飯田 だからこそD&Iの授業を行う意義があるのだとは言えるかもしれません。
福永 男子が多数の大学で女子学生が困っている事例を紹介すると、毎回出る質問が「それって割合的にはどれくらいですか?」です。少数派の困難に目を向ける意義を認めず、マイノリティの主張を根底から覆そうとする。これほどひどいとは思いませんでしたが、授業を続けることがD&Iに繋がると信じて教えていきます。
飯田 ここまで授業を進めてきて、学生の葛藤の過程が少し見えてきたのは収穫です。私たちの授業が今後の大学生活に重要となるクリティカル・シンキングの実践に繋がることを期待しています。




※2
テーマ:「フェミニズムと科学的言説の接続」 |
イントロダクション |
科学史における女性 |
科学革命と科学のパラダイム |
「ジェンダー化」される科学 |
「怪物」の表象と科学知・SF |
科学とメタファー:エイズ危機と「感染」の政治 |
客観性とは何か?:スタンドポイント理論から「状況に置かれた知」へ |
ダナ・ハラウェイ再考 |
〈教材視聴〉Donna Haraway: Storytelling for Earthly Survival |
デジタル・テクノロジーとフェミニズム:エンボディメント概念 |
フェミニズムと量子力学?:物質性をめぐる問い |
人新世とフェミニズム |
科学の亡霊とデジタル・アーカイヴ |
※3
テーマ:「脱植民地主義と性の政治」 |
イントロダクション |
ネーション、エスニシティ、ナショナリズム |
〈人種〉の構築とレイシズム |
近代社会と性政治 |
帝国主義・植民地主義(1) |
帝国主義・植民地主義(2) |
「買春する帝国」の誕生 |
「慰安婦」問題(1)映画鑑賞 |
「慰安婦」問題(2)日本軍性奴隷制度とは何か |
「慰安婦」問題(3)「慰安婦」問題と右派のバックラッシュ |
歴史否定論/歴史修正主義を批判する |
フェミニズムとインターセクショナリティ |
脱帝国主義あるいは東アジアの〈和解〉のために |