大江健三郎文庫が9月1日にオープンしました。1.8万枚におよぶ自筆原稿のデジタルアーカイブ、4000点に迫る関連資料、60年をかけて整備された独自の書誌情報データベースからなる、研究者のためのプラットフォーム。文庫運営委員長への取材から、日本の大学で初となる試みについて紹介します。
沼野充義先生が橋渡し役に
2018年に講談社が全15巻の全集の刊行を始めた際、各巻の装丁には出版社や編集者から託された多くの自筆原稿が使われました。その後、これらの原稿をどうするかを全集の編集者と解説者が検討した結果、母校の東大に寄託する案が浮上。お二人と旧知の沼野充義先生(現・名誉教授)に打診があったことから、文学部での検討が始まりました。沼野先生が在籍する現代文芸論、大江さんが在籍したフランス文学、そして国文学。3つの研究室が中心となって、大江文庫設立準備委員会が発足しました。
「光栄なお話でしたが、作家の何万枚もの自筆原稿を預かった例はありません。早稲田大学の村上春樹ライブラリーのように立派な部屋を用意する余裕もありません。どう着地すればいいのか、悩ましい問題でした」
そう振り返るのは、現代文芸論研究室の阿部賢一先生です。折しも、情報学の大向一輝先生が国立情報学研究所から文学部の次世代人文学開発センターに着任していました。紙のままだと限られた人しか見られませんが、デジタル化すれば多くの人がアクセスできることになります。大江文庫は、デジタルアーカイブの新しい形を探る人文情報学のプロジェクトとして位置付けられました。
2021年1月に寄託契約を締結し、自筆原稿などが文学部に。デジタル化作業が進められた一方で、著作権の問題もありました。実は、著作権が切れていない著名作家のデジタルアーカイブは日本では稀。阿部先生によれば、かごしま近代文学館による島尾敏雄自筆原稿の画像公開例がある程度です。
「今回は著作権継承者であるご家族が最後まで丁寧にやりとりを続けてくれました。寄託はもちろん大江さん本人の明確な意志によるものです。3月に訃報を聞いた際には、しっかりやれと託された気がしました」
「見せ消ち」が伝える推敲の跡
手書きを貫いた大江さんが残した18023枚の自筆原稿の端々から、推敲を繰り返しながら作品を仕上げた軌跡が伝わります。万年筆で第一稿を書いた後、削除や加筆の指示を何か所も書き入れた原稿用紙の多くは、修正が多いのに読みにくくありません。
「画数が多い字でも省略せず丁寧に書いていて、字の読みやすさは最後まで変わりません。「悪」を「惡」と書くなど旧字体を選び続けたのも特徴的。初期は万年筆、90年代以降は青や緑の色鉛筆を使って消した上に言葉を紡いでいます。この「見せ消ち」のおかげで創作過程を辿ることができます」
作家に限らず、完成形だけ見せたいと思うのが人情のはず。舞台裏まで見てよいとした点に作家の大きさが見えるようです。手書きを数十年にわたって続ける作家が今後も現れるとはなかなか考えにくいことです。大江文庫の自筆原稿コレクションは、一人の作家と戦後文学の軌跡だけでなく、筆記媒体の変遷をも示す文化資産となるでしょう。
60年集め続けた資料が文庫に
大江文庫のもう一つのコレクションを構成するのは、森昭夫さんの寄贈資料です。石川県の高校教師だった森さんは、大江さんと同世代。デビュー時に注目して以来、60年以上も一番の読者であり続けてきました。
「著作はもちろん、大江さんが帯文を書いた本、登場した雑誌、誰かが大江さんに言及した媒体までを集め、それらの情報を独自様式でまとめ続けました。もちろんインターネットのない時代から。ものすごいことです」
その成果を編纂した私家版の書籍『大江健三郎書誌稿』は、著作の初版日、関連図書、帯文の内容、掲載時の文字級数など、一般的な書誌情報には入らない研究者垂涎の情報を網羅。森さんが集めた1360点の図書と2528点の雑誌類に加え、このデータベースも大江文庫に寄贈されました。図書・雑誌は文庫に来ないと見られませんが、書誌情報データベースは誰でもウェブサイトから閲覧することが可能です。
「文学部が資料を囲い込むのではなく、研究のプラットフォームを目指しています。障害、ケア、ヒロシマ、沖縄、核兵器、想像力など、多様なテーマを内包し、狭い意味の文学研究だけではない広がりを持つのが大江作品。ホームページやセミナーなどを通じてその一端を発信することも行っていきます」