第1159回淡青評論

七徳堂鬼瓦

トイレをめぐる30年

私が駒場キャンパスで新入生だった頃、女子トイレは薄暗くあまり気持ちが良くなくて、しかも時々トイレを探すこと自体に苦労した。トイレに生理用品の自販機もなかったから、突然生理が始まったりしたらそれだけでもう割とその日は詰んだ。

1980年代末の当時、東大の女子合格者が増えたともっぱらの評判で、文三だと実際女子比率はそれなりに高かった。生理用品自販機の設置を自治委員としてクラスから自治会に要望した記憶がある。それが直接の契機かどうかは知らないが、じきに駒場の女子トイレの一部に生理用品の自販機が入った。

それから30年以上が経ち、キャンパスのトイレに関する学生達からの要望に、学部側の人間として向き合うことになった。驚いたのは、自分たちの不便で頭がいっぱいだった当時の私たちに比べ、現在の学生たちが実に「社会的に」トイレについて考えていることだ。

学部が試験的に生理用品無償配布を始めると、学生自治会も学部と連絡をとりつつ、学部が設置しなかった場所、とりわけ男子トイレでの試験的配布を開始した。生理用品があると助かるのは女子トイレ利用者に限らない、という学生の声に応えたものだという。この試みは学生からも好評で、今年度からは学部が引き継いで配布を続けている。改築や新築の予定される教室棟に、男女別のトイレだけではなくオールジェンダートイレも設置して欲しい、という要望も、学生から上がってきたものだ。自治会に限らずさまざまな学生団体が、学生の要望を取りまとめたり、学部に申し入れをしたり、実現に尽力してきた。

この学生たちは、無論自分たちの不便について考えているだろうが、それにとどまらず、トイレというとてもシンプルだが極めてクルーシャルな場の設定を、大学のD&Iに直接関わる問題として、正確に理解しているように見える。それは30数年前の私たちにはなかった視点だ。

東大構成員の女性比率は明らかに低すぎる。D&Iに関わる体制整備もようやくスタート地点といったところだ。けれどもキャンパスを構成する学生たちの知識や常識は着実に変化しているし、視点も刷新されている。希望はそこにある。

清水晶子
(総合文化研究科)