column corner

第29回海と希望の学校―震災復興の先へ―

岩手県大槌町にある大気海洋研究所・大槌沿岸センターを舞台に、社会科学研究所とタッグを組んで行う地域連携プロジェクト―海をベースにしたローカルアイデンティティの再構築を通じ、地域の希望となる人材の育成を目指す文理融合型の取組み―です。研究機関であると同時に地域社会の一員としての役割を果たすべく、活動を展開しています。

未来に繋がる希望

大気海洋研究所
海洋生命科学部門 教授
佐藤克文
佐藤克文
装置からの信号を待つ楢崎友子さん
展望台の中でアンテナを手に持ち外に向けている女性

2005年8月1日早朝、私たちは大槌湾を見下ろす展望台で、一心不乱に八木アンテナを振っていた。数日前に湾内に放流したアカウミガメから装置が切り離される予定時刻が迫り、装置からの電波を緊張しつつ待っていたその時、大学院生の携帯電話に妻から着信が入った。当時私は携帯電話を持っていなかったので、緊急の連絡は学生の携帯にかかってくるのだ。学生曰く「奥さんのママ友のおじいちゃんが朝湾内で漁をしていたら変な赤い装置が浮かんでいて、東大の名前が書いてあったから、たぶん先生の仕業だろうと思って拾ってきたそうです。ブツは今日幼稚園で奥さんに引き渡されるとのことです」。かくして、世界初のアカウミガメ亜成体の採餌海域における行動データは、鵜住居幼稚園を経由して無事研究者の手元に届いたのであった。

2004年に家族と共に釜石市に移り住んだ後、私は公私共にどっぷりと地元に浸かった。例えば、幼稚園の運動会で息子をビデオカメラで狙っていると、目の前で若いお母さん二人がなにやら話している。

「ねえ、ちょっとあの男の子見て。腰に変な機械がついている」

「あれはバイオロギングよ」

先月幼稚園で行った講演の成果を目の当たりにし私は大満足。息子と娘に定期的に加速度ロガーを付けて、ハイハイからたどたどしく歩く様子、そして徒競走で走る時のデータを取ってきたが、小学校高学年から装着を拒絶される様になった。研究室のHDに入れてあったそのデータは残念ながら2011年の津波で失われてしまった。津波を機に、職場は千葉県柏市に移ったが、毎年夏には大学院生とともに大槌町にこもった。約20年間で、国内外から来た計40人のポスドクと大学院生が、大槌周辺海域でウミガメ・オオミズナギドリ・マンボウ・シロザケの調査に勤しんできた。

海と希望の学校は、大学から地元へ働きかけるアウトリーチ的要素が強い活動だ。一方で、私たちもまた大きく影響を受けている。大槌とは縁もゆかりも無かった若者が、多感な20代の夏を大槌周辺海域で2年から5年以上も過ごすのだ。特に、学位を取得する程深く現地と関わった者ほど、三陸への思い入れは強いようで、調査だけでなくプライベート旅行でもしばしばやって来る。ウミガメ調査を立ち上げた楢崎友子さんや、津波直後にヒッチハイクで盛岡までたどりつき東大本部に教職員学生が無事であるという第一報を入れた青木かがりさんは、いずれも大学の先生になった。今でも共同利用研究制度を利用して、子連れで大槌にやって来る。やがて大学生を連れて来るに違いない。私自身も大きく変わった。世の中のIT化に抗う昔気質のスタイルを悔い改め、クラウド上に全てのデータをバックアップするようになった。当然スマホも最新モデルを所持している。さらには、誰でも使えるデータベースを構築し、バイオロギングデータのオープン化を進めている。私にとって、人とデータこそ未来に繋がる希望なのである。

https://www.bip-earth.com

運動場で腰に装置を着けた少年が右足をタイヤに置いて立つ様子
腰に加速度ロガーをつけられた少年
水槽を泳ぐマンボウとその背後で手を広げる少女
マンボウと戯れる少女(特に本文中には出てきませんが……)

「海と希望の学校 in 三陸」公式XのQRコード「海と希望の学校」公式X(@umitokibo)

制作:大気海洋研究所広報戦略室(内線:66430)メーユ

column corner

ぶらり構内ショップの旅第20回

Girolomoni cafe di ape@白金キャンパスの巻

こだわりのオーガニックランチ

11月に白金キャンパスの近代医科学記念館内にリニューアルオープンしたオーガニックカフェ「ジロロモーニ カフェ ディ アーペ」。駒場リサーチキャンパスにある「アーペ クチーナ ナチュラーレ」の姉妹店で、有機野菜や天然魚介などの厳選食材を使った島田伸幸シェフの料理を味わうことができます。

田辺幸子さん
店長の田辺幸子さん

メインメニューは2種類のソースから選べる日替わりパスタ(単品¥600)と有機野菜サラダ(単品¥600)。パスタは店名にもなっている、イタリアオーガニック農業の先駆者ジーノ・ジロロモーニ氏の有機ブランドを使っています。パスタソースには新鮮なブリ、ハーブを含む植物性飼料で育てた「ハーブ豚」やシラスとネギのオリーブオイルソースなど、その時々の旬の食材が登場します。有機栽培の野菜をたっぷり食べられるサラダは、グリーンリーフと4種類の惣菜、そして自家製のドレッシングが付いたもの。パスタとサラダのお得なセットは¥1,000。一番人気は、これにコーヒーやルイボスティーなどの飲み物が付いたドリンクセット(¥1,300)です。店で提供されている水はハーブやフルーツが入った「デトックスウォーター」。お代わり自由です。他にも国産の有機小麦で作ったフォッカッチャ(¥100)や焼き菓子(¥300)なども店頭で購入できます。

今後はピザやカレーなどメニューを増やしていく予定で、ゆくゆくはワインなども提供できるようにしたいと話す店長の田辺幸子さん。天気が良い日にはぜひテラス席で木々を見ながら、身体が喜ぶご飯を食べて欲しいと言います。「今後第一線で活躍するであろう学生さんに食べていただき、身体も心も健康になってもらえたらと思っています」

白いお皿に野菜とトマトベースのパスタが乗っている様子 「Girolomoni cafe di ape」のInstagramのQRコード
日替わりパスタと有機サラダのセット。営業日はインスタグラムのストーリーで配信しています
column corner

デジタル万華鏡 東大の多様な「学術資産」を再確認しよう第38回

附属図書館情報サービス課
情報サービスチーム調査支援担当
小島裕美子

図書館復興と寄贈資料

関東大震災によりほぼすべての蔵書を焼失し、建物ごと灰燼に帰した東京帝国大学附属図書館。その後の復興運動により国内外から数多くのご支援を受け、再興されたのが、現在の総合図書館です。

当時寄贈された資料の中でも「南葵なんき文庫」は、質・量ともに今なお総合図書館の根幹を成すコレクションの一つです。1階の記念室には徳川慶喜による同文庫の扁額が飾られており、その名がよく知られています。

南葵文庫は、紀州の「南紀」と徳川家家紋の「葵」をかけて命名された私設図書館でした。運営していたのは、紀州徳川家の当主であった徳川頼倫よりみち。頼倫は震災発生のわずか1ヵ月後に図書館復興のための寄贈を決定します。紀州徳川家伝来の2万冊を中心に、その後収集された資料をあわせた国内でも類を見ない貴重な資料群から、約96,000点が翌年7月に寄贈されました。

現在総合図書館では資料の電子化を進めており、南葵文庫も貴重図書を中心にデジタルアーカイブで閲覧することができます。鎌倉殿に関連して『吾妻鏡』、根強い人気の『信長記』、藤原道長なら『栄花物語』というように、ご自宅で年末年始に見ていただくのも一興。場所や時間を問わず貴重な資料を閲覧できるのも、元を正せば頼倫の英断によるものです。

さて扁額といえば、もう一つ。地下の貴重図書閲覧室に飾られている「青洲文庫」の扁額はご存じでしょうか。初代内閣総理大臣の伊藤博文が揮毫したもので、復興のため同文庫を購入した際、扁額が寄贈されました。青洲文庫も『源氏物語』写本を筆頭にデジタル画像を公開しています。こちらも是非ご覧ください。

様々な想いが込められた資料を受け継ぎ、守り、供し、未来へ、世界へつなぐため、図書館は進化し続けます。これまでも、これからも。

「東京帝国大学図書館」の印が押された『栄花物語』を開いた様子。「月の宴」と書かれている
『栄花物語』第1巻
column corner

ワタシのオシゴト RELAY COLUMN第211回

地震研究所
財務チーム(契約担当)
前田美貴子

緑とグランドに囲まれた職場で

前田美貴子
貴重な波形と一緒に

弥生キャンパスの農学部グランドを越えた先にある地震研究所1号館で今年の4月より勤務しています。こちらの建物は大地震の中でも防災拠点として情報を発信できる安全な免震構造となっています。

私の担当部署では、地震・火山に関する研究機器の調達や調査契約、支払業務などを行っています。海洋調査は天候によって金額が大きく変るため、ハラハラすることもありますが、チームの方々や教員の方々に支えられながら楽しく勤務しています。

地震研究所は事務と教員との距離が近く、中でも8月に行われた暑気払いは盛大で、教員・学生・事務だけでなく、卒業生・OBなど200名を超える方の参加がありました。ケータリングの他、所内の方が腕を振るった美味しい料理を堪能しながら、様々な方と親睦を深められる貴重な場となりました。

食事やビールを持って並んでいる4人。中央の2人は民族衣装を着ている
暑気払いでのお気に入りの写真です
得意ワザ:
健康で寝つきが早い
自分の性格:
心配性ですが、すぐに忘れます
次回執筆者のご指名:
大久保早織さん
次回執筆者との関係:
前職でお世話になった同僚です
次回執筆者の紹介:
周りを笑顔にしてくれる素敵な方
column corner

蔵出し!文書館 The University of Tokyo Archives第47回

収蔵する貴重な学内資料から
140年を超える東大の歴史の一部をご紹介

隕石ノ冩眞

今回の蔵出し資料は、「明治四十二年七月二十四日岐阜縣武儀山縣二郡ニ落下セシ隕石ノ冩眞 其一」と書かれた隕石の写真です。

左上から下方向に1~4、右上から下方向に5~8の番号が書かれている隕石の写真

今から114年前の1909(明治42)年7月24日午前5時44分頃、岐阜県美濃市を中心とする広い地域に隕石が降り注ぎました。この隕石は後に美濃隕石と呼ばれ、これまでに29個確認されています。当時の新聞によると、隕石が落下した地域では火山が破裂したような爆音が響き、また揺れが長く続いたため地震かと屋外に飛び出した人々によって、たらい程の大きさの怪光が尾を引き飛んでいくところが目撃されました。20km離れた大垣でも、大砲や雷が鳴ったような音を聞いていた人物がいました。大垣出身で、農科大学地質学・土壌学講座(現在の土壌圏科学研究室)助教授脇水鉄五郎(1867-1942)です。たまたま現場近くに居た脇水は、翌日の新聞で音の正体が隕石によるものだったと分かると、その日のうちに現場へ行き数個の隕石を採取しました。

改めて蔵出し資料を見てみましょう。隕石名が明記され、下にはスケールが貼ってある台紙付写真は、大判のアルバム(F0227/SF01/0001)に挟みこまれています。アルバムには写真の隕石(6個、8カット)を含め計23個の美濃隕石と、隕石名が記されていない4カット(1個の隕石を4方向から撮ったものか)、そして調査風景(ただし、いつの調査か不明)の写真が収められています。2年後に脇水が著した『美濃隕石:附・日本隕石略説』には、日本でそれまでに確認されていた隕石24個に対し、それを一挙に上回る25個を確認した美濃隕石降下について、「日本隕石史に取りては未曾有の大事件たりしなり」と記しています。

100年以上前の隕石の写真。未曾有の大事件にたまたま遭遇した研究者の「ワクワク」が伝わってきませんか。

(主事員:村上こずえ)

参考:『東京日日新聞』(明治42年7月27日)、『読売新聞』(明治42年12月16日)

column corner

インタープリターズ・バイブル第196回

生産技術研究所/情報学環 准教授
科学技術コミュニケーション部門
川越至桜

宇宙と地球と社会と私

冬本番、日の入りが早くなり、帰宅する時間帯でも星がキラキラと綺麗に見える季節になった。最近は、研究室を出る頃に土星が真正面(西の空)に見えているが、月が北寄りの方角や空高くに見えたり、オリオン座や冬のダイヤモンドといった星の並びを見つけたりすると、冬だなあと実感する。

空を見るときは、自分の足元(の安全)を確認するようにしているが、私たちの足元の地球は、自転をしながら太陽の周りを回っていて、太陽も天の川銀河(銀河系)の中を動いていて、その天の川銀河も、広大な宇宙の中を動いている。宇宙規模で考えた時、自分はどちらの方向に動いているのだろうか。そう考えると、平衡感覚を失ってクラクラするような感覚が生まれる。一方で、広い宇宙の中に地球があり、そこに自分が存在しているということを認識し、広い意味での自分の立ち位置がわかってくる様な気もする。

全体を広く捉えるという視点(神様視点とも言えるのだろうか?)と、自分という視点を行き来することは、実はとても難しいことなのではないだろうか。例えば、地球環境が変化していることは理解できても、それを自分事として捉えられているのか?と言い換えると、少なくとも私自身は難しいなと感じている。

空に月と木星が見えており、道路が街灯で照らされている様子
今年2月駒場IIリサーチキャンパス西門からの空。このときは月と木星が見えている

複雑かつ予測困難な時代において、私たちは様々な社会課題や地球規模の課題に直面している。その課題には唯一解はなく、最適解を探し出すことが必要であり、多様な状況において、多様な立場の人たち同士で合意形成していくことが求められている。その際、自分事としての視点、多様な人々の視点、社会全体として広く捉える視点を往還することが重要になると考えられる。複雑な社会の中、たまには自然の中に身を置き、宇宙の中の自分を見つめ、自分の足元と位置付けをゆっくり考える時間を持ちたいと思う今日この頃である。

科学技術インタープリター養成プログラム

column corner

ききんの「き」 寄附でつくる東大の未来第50回

社会連携本部渉外部門
副部門長
高橋麻子

「MeからWeへ」がミライをつくる

寄付月間の初日12月1日に、駒場Ⅱキャンパス食堂コマニにて「教えて、渋澤さん!お金はミライをどう変えるの?UTokyo Future TV寄付月間スペシャル」をハイブリッド開催しました。ナビゲーターの渋澤健さんと東大生2名がズバリ「お金」について、会場や視聴参加者も交えてディスカッションをしました。その対話のなかから、印象に残ったことをご紹介します。まず渋澤さんから「いま日本の各家庭に眠るタンス貯金ってどれだけあると思う?」との問いに対し東大生2人とも「たくさん?かな」とイメージがつかないようでした。渋澤さんが「正解はなんと、30~50兆円です!」と言ったときには会場もざわつきました。すごい金額ですね。日本は状況が悪くなっている、お金がない、と言いながら、実は世界で最もお金を持つ国だそうです。ただし問題はそのお金がタンスで眠ってしまっている、つまり全く使われていないことです。なぜならシニア世代などが「心配で」「安心するために」持っているから。でもいくら持っても不安は解消しません。

渋澤さんは、高祖父である渋沢栄一の『論語と算盤』の一節「よく集めよく散ぜよ」の必要性を語ります。散ずるとは散財することではなく、社会にお金を回し還元すること。お金には「使う(買う)」「貯める」「寄付する」「投資する」の4つの使い方があります。「使う」と「貯める」は「自分(Me)」に対してお金を使うことですが、「寄付」や「投資」はMがひっくり返ってW(We)になるお金の流れです(ここで東大生2人からなるほど~の声が)。寄付や投資は敬遠する人もいますが、応援する気持ちや感謝が集まったものであり、ちょっとだけ「自分だけからWeへ」と視野を広げることで身近なものになると言います。東大生2人は対話の終わりに「もっと寄付しようと思った」「投資は怖いイメージだったけどやってみたい」との感想を述べていました。

少しずつ「MeからWeへ」が広がることで、善意のお金が社会に回りミライはきっと良くなっていくはず。2024年はあなたも「MeからWe」を始めてみませんか?

食堂の棚近くで椅子に座って対談する3人
左から渋澤健さん、川崎莉音さん(法学部4年)、竹内誠一さん(農学部・運動会総務部・洋弓部4年)
動画が視聴できます→
「UTokyo Future TV」のYouTubeのQRコード

東京大学基金事務局(本部渉外課)