第1170回淡青評論

七徳堂鬼瓦

「言葉の逆風」ポスターを見て

つい先日まで東大構内のいたるところに掲示されていた「言葉の逆風」ポスターには、ジェンダーバイアスを助長するような言葉の例が並んでいる。私もジェンダー・エクイティ推進オフィス員なので一通り目を通し、改めて、自分は幸運にも、ジェンダーバイアスからかなり自由な環境で育ってきたことを自覚し、自戒しなければならないなと思った。

私の両親は大学の同級生だから学歴に差はないし、共働きだったから私自身も子供を産んでも仕事を続けるのが当然だと思ってきた。高校も共学の進学校だったので、女の子も男の子と同じように一生懸命受験勉強するべきとされていた。「女の子はお嫁さんになるんだから勉強しなくていい」なんて昭和の話だと若いころは本気で思っていた。

しかし、15年も大学教員をやっていれば、自分より若い女性研究者から相談を受ける機会がそれなりにある。私が勝手に過去の遺物にしていたジェンダー規範はまだまだ現役であることがだんだんわかってきた。

私が専門とする経済学は、理系並みに女性研究者比率が低い。しかし自分が女性であることによる抵抗を全く感じてこなかったために、どこにハードルがあるのか、私には本気でわからない。しかしなんらかのハードルがあるからこそ女性比率が伸び悩んでいるのだろう。

幸運にもハードルを感じないままキャリアを積むことができた私にできることは、自分が大丈夫だったからと言って他の人も大丈夫とは限らないことを、せめて頭では理解して、現に壁にぶつかっている人の声をきちんと聞くことなのだろう。おそらくは、研究者として生き残ってきた女性には私のようにジェンダー規範をあまり内面化していないタイプが多い。それを自覚したうえで、自分には見えていない壁を取り除くにはどうすればいいか考えていかなければならない。

そうして壁を取り除いていくことで、自分のようにハードルを感じないままで済む若い世代を増やすことに貢献できればいいなと思う。

近藤絢子
(社会科学研究所)