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箱根駅伝に出場した2選手と給水係を務めた陸上運動部長「給水おじさん」に聞く 淡青色の襷リレーの舞台裏

1月3日、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)第101回大会に、東京大学から2選手が出場。第96回大会に続き、関東学生連合に選ばれた東大のランナーが箱根路を駆けました。東大から東大へ。栄誉の襷リレーを実現した2選手に、箱根にかけた思い、本番までの道のり、当日の手ごたえ、今後の展望についてうかがいました。大会に彩りを添えた陸上運動部長の言葉もお届けします。

総合文化研究科 博士課程4年 古川大晃さん,工学部3年 秋吉拓真さん
「東京大学大学院」の水色のユニフォーム。「清里町」の名前入りの「東京大学」の白と水色のユニフォーム。「関東学生連合」のタスキ、ゼッケン、ジャージ
胸の清里町は、陸上部が合宿でお世話になっている北海道知床半島の根元に位置する町。レース当日、清里町の皆さんも応援に駆けつけてくれました。
建物や車がある道路を走る古川選手 林がある道路を走る秋吉選手
箱根路を力走する古川選手と秋吉選手。

ギリギリだったメンバー入り

――関東学生連合チームには、本大会の出場権がない大学の選手のうち、予選会の上位16人が選ばれるわけですね。

古川 10月の予選会では、関東学生連合チームに入る目安は80~90位で、本番を走る10人に入るには70位以内が必要と踏んでいました。目標は30番内でしたが結果は60番。連合チームでは5番でした。

秋吉 自分は連合チーム内1位、全体の20位内を狙って、77位。当日の暑さに適応できず、大失敗です。ギリギリ16人枠に入りましたが、過去2回は予選会だけで選考していたので出場は無理だと思いました。でも、今回はあと2回追加選考をやって3回の合計点で決めることになり、絶対に取り返すぞ、と。11月16日の1万m記録会でトップタイムを記録し、出場を決めました。

古川 自分は1万m記録会でも最後の16km単独走(12月9日)でも振るわず、絶望的でした。過去2大会も補欠で、結局「走れなかった人」になると覚悟しました。でも、合計点でなんとか10番に入り、走れることに。監督の方針があり、当日エントリー変更での出場となりました。

――迎えた本番。秋吉選手は最初のチェックポイントを区間1位で通過しました。

秋吉 やってやろうとは思いましたが、それほど飛ばしている感覚はなかったです。15.5kmあたりの遊行寺の登り坂がきついのは織り込み済でしたが、その後が意外に大変で。平坦と思いきや少し登っていて、後半にタイムが伸びませんでした。序盤に飛ばして疲れたのではなく、コースを少し見誤りました。目標は区間新でした。箱根路は少し特殊で、上り下りが多くて直線も長い。合格ラインがわからず、区間新なら文句なしだと思って目標にしましたが、そうはいきませんでした。ラスト1kmがハードでしたが、古川さんを見て元気が出て、襷を渡すときは楽しい気持ちでした。「頼みます」と言った気がします。

古川 秋吉が途中をトップで通過したと聞いて笑っちゃいました。わくわくして待っていたら笑顔で迫ってきました。晴れやかに襷を受け、勢いをもらって序盤飛ばしてしまい、まずいと思って緩めました。10km地点では高校の恩師から給水を受けました。八田先生の給水は横浜駅近くの14.7km地点です。熊本大学の学部生時代から交流があり、大学院進学を考えた頃に挨拶にも行っていた先生から力をもらおうと思って打診しました。走る自信がないと言われたので、立ち止まった状態で給水してもいいから、と頼んだんです。

箱根を走るなら東大だ!

――昔から箱根を目指していたんですか。

秋吉 東大に来た理由の一つです。高校は兵庫で、周りの多くは京大や阪大を志望しましたが、箱根を走るなら関東だ、と。勉強もできて箱根も走れる可能性がある大学といえば、東大です。高校時代は強豪には歯が立たないレベルでしたが、自分はノーテンキな性格です。陸上を始めたのは高校からなので、もう少しがんばれば何とかなると思いました。大学入学時は箱根駅伝など論外でしたが、「自分ならいける」と思ってやっていたら実力が伸びてきたんです。

古川 箱根駅伝は小学校の頃から憧れでした。速く走る人がいること、周りの盛り上がりのすごさに魅力を感じ、出るチャンスがある大学に行きたいと思いました。私立の実力校からお誘いいただきましたが、将来を考えて勉強もと親の説得を受け、広島大学を受けて落ちて、一浪でまた落ちてから熊本大学に入学。東大は大学院からです。

――学業ではどんなことを?

古川 身体運動科学の研究室で追尾走を研究しています。追尾走をすると楽に感じる理由を探ってきました。今後は、集団走に拡張した研究を行います。どういう集団構造だと走りやすいのか、集団形成のメカニズムと共に探っていきます。

秋吉 自分は機械情報工学科の3年生で、研究室配属はまだです。昔からロボットやものづくりに興味がありますが、具体的にこれというのはまだないです。動いて人の役に立つものを作ることに関わりたいです。

――お互いの特徴をどう見ていますか。

古川 ノーテンキで集団の影響を受けにくいのが強みです。集団内の位置を気にする人が多いですが、彼は「ゴーイングマイウェイ」。高い目標を立て、実現に向けて行動できる人。選手としては絶対ラストで勝つという気迫が強い。自分も自信があったんですが、競ってもほぼ勝てませんでした。

秋吉 8歳も歳上で、普通なら恐れ多い差なのに、学部生とも打ち解けてくれるのが古川さんのすごさ。経験が豊富で走力も高い選手が同じ視点で話してくれるのは大きかったです。走りでは、粘り強さがすごい。追尾走の研究をしているのに、けっこう飛び出すんですよ(笑)。無謀な飛び出しをする選手の多くはずるずる落ちますが、古川さんは粘る。自分も身につけたいです。

――第95回大会で箱根を走った近藤秀一さんがコーチをされているんですね。

秋吉 はい。練習メニューをたててもらい、助言をいただいています。本番の評価を聞いたら、区間5位以内なら「優」だけど7位だから「良」だなと言われました(笑)。

古川 実は同年代で、熊本大学時代から交流がありました。彼が箱根を走ったときはテレビで応援しました。いろいろ話してきたので、最後にハグしてくれてうれしかったです。八田先生には、すごいことをやり遂げたと後々わかるぞと言われました。

――今後について教えてください。

古川 京都工芸繊維大学で研究員になります。もちろん競技も続けます。目標は世界一マラソンが速いPh.D.。いまはマシュー・マットという人の2時間9分49秒がPh.D.の最高記録なので、それを破りたいですね。

秋吉 いまは「東大生なのに速い」という評価ですが、「東大生なのに」を外して単にトップランナーと言わせたい。足りない部分が多いですが、一つでも上を狙います。

直筆の署名が書かれた白いタスキ
つないだ襷の裏には選手とマネージャー18人の直筆署名が。「当日のどさくさで持ってきちゃいましたが……」(古川)。「主将だからいいんですよ!」(秋吉)。
秋吉選手(奥)と古川選手(手前)。秋吉選手が近づいている様子 秋吉選手がタスキを手渡す様子 古川選手がタスキを受け取る様子 古川選手が前を向く様子 古川選手が走り始める様子 古川選手が走る様子
◉表紙のような一枚が撮りたいというリクエストに快く応じ、学生支援センターのテラスで8区→9区の襷リレーの再現をしてくれた両選手!

寄稿八田秀雄(陸上運動部長・総合文化研究科教授)

給水係もまた幸せでした

2人とも出走の可能性が高くなってきた頃は、往路と復路とにそれぞれが走れば、両方応援しやすくてよいか、などと考えたりしていました。しかし結局復路の連続区間となり、襷リレーが実現して、この方がはるかによかったと思います。特に秋吉君の区間7位相当は、これまで東大生が計15人走った中での区間最高順位となる、素晴らしい快走でした。

そして戸塚中継所での41年ぶりの襷リレーの時、私は横浜駅前ですでに待機していて、周りから「東大、襷渡った」と聞き、感激しました。それから45分後、いよいよ古川君の姿が見えてきました。「古川、本当に箱根走れた!」と思ったものの、感動している暇はありません。並走を開始し給水ボトルを2つ渡しました。そして最後に激励しようとして、思わず後ろ姿に向けてガッツポーズになっていました。彼を見送ったら、ホッとしてなんともいえない幸せ感のようなものが湧き上がりました。

この給水の様子がテレビに映っているとはわからず、その後の反響は全く予想外のことです。ただ、以前に私の授業をとったという卒業生が、私を思い出してくれたということも多かったようです。理系文系問わず前期課程の授業を担当する者として、それはうれしいことでした。

走った2人は本当によく頑張ってくれ、一生の宝になる経験だったでしょう。結果的に私にとってもそうなりました。多くの方々に応援いただきありがとうございました。

❶八田先生(左)、古川選手(中央)、工藤先生(右)の3人が並ぶ様子。古川選手と工藤先生は「古川大晃」と書かれた青いタオルを広げている
❷走っている古川選手の先で八田先生が待ち構えている様子
❸ペットボトルの水を飲んで走る古川選手と八田先生が並走している様子 ❹八田先生がテレビカメラマンの取材を受ける様子
❶鶴見中継所で古川選手を労った八田先生。隣は古川選手の指導教員、工藤和俊先生。
❷14.7km地点で古川選手を迎える。
❸給水!
❹報道陣の取材に応じる。
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東大構成員なら食べなきゃソンソン! ぶらり構内ショップの旅SPECIAL 写真で見るキャンパスグルメ

2022年から本誌のコラムページで連載してきた「ぶらり構内ショップの旅」。前号で連載がひと休みとなったのを機に、これまでに登場した飲食店のなかから、お店ごとのメニューの写真をまとめて紹介します。いずれ劣らぬ東大キャンパスグルメの数々。もしまだ食べたことがないものがあったら、迷わずお店にGo!

駒場 1557号 「ルヴェソンヴェール駒場」 魚、肉、ラタトゥイユから選ぶ日替りランチ本郷 1558号 「カポ・ペリカーノ」 ランチコースの前菜サラダ本郷 1559号 「U-gohan」 一番人気のザンギ弁当柏 1560号 「お魚倶楽部はま」 海鮮丼+握りのはまスペシャル本郷 1561号 「UT cafe BERTHOLLET Rouge」 ズッキーニの冷製スープ本郷 1562号 「かどやてらす」 宇和島鯛めし膳駒場 1563号 「カッフェヴィゴーレ」 illyの豆を使ったハニーカフェラテ小石川 1564号 「小石川植物園内売店」 人気のおはぎ本郷 1565号 「サブウェイ」 インフィニート・デストロイヤー駒場 1566号 「食堂コマニ」 無添加サバの定食本郷 1568号 「焙煎所カフェ」 キャラメルチーズケーキ駒場 1569号 「Bio cafe ape」 パスタとサラダのランチセット本郷 1571号 「ドトールコーヒー」 ジャーマンドック本郷 1573号 「日比谷松本楼」 日替わりのシェフズランチ本郷 1574号 「鉄門カフェ」 ふわっと握られたおにぎり白金台 1577号 「Girolomoni cafe di ape」 日替わりパスタと有機サラダのセット本郷 1578号 「T-Lounge CREDO」 じゃがバターとサラダがついた欧風ビーフカレー本郷 1579号 「こなかふぇdeごはん」 うずら卵がのったマグロたたき丼本郷 1581号 「やよい軒」 特に人気の生姜焼き定食本郷 1582号 「カッフェヴィゴーレ」 7種野菜のサラダパスタ本郷 1583号 「Panes House」 定番のパーネズハウスビーフバーガー本郷 1584号 「魚河岸本郷」 マグロがメインの海鮮丼駒場 1586号 「Cafeteria KOMOREBI」 KOMABA FRUITY 2024柏 1587号 「プラザ憩い」 人気のグラムデリの一例柏 1588号 「カフェテリア」 グリーンカレーとムルギーカレー本郷 1589号 「カフェアグリ101」 若鶏の甘酢煮弁当本郷 1590号 「カフェ・フォレスタ」 デミグラスビーフのオムライス

2022年の3月から始まった「ぶらり構内ショップの旅」のこれまでの連載回数は32回。そのうち、飲食店ではないお店やなくなってしまったお店などを除いた27店の料理写真をまとめて掲載しました。日替わりで出される料理など、現在は提供していない場合ももちろんあります。

「ぶらり構内ショップの旅」のバックナンバーのQRコード

お店の詳しい情報は、本誌バックナンバー(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/public-relations/kouhou.html)の該当号や、右のQRコードから飛べるまとめリンクページからご覧ください。

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1999年創刊の広報誌が通巻50号に 『淡青』の25年

1999年に創刊した『淡青』が節目の50号を迎えます。創刊時に広報委員会(現・広報室)で編集に携わった谷口将紀先生に当時の様子を教えてもらいました。キャンパスの一端を切り取ってきた表紙を一覧しながら、25年の歩みをご確認ください。

谷口将紀
公共政策大学院
教授
谷口将紀

1999年4月、全学の広報委員会に加わったのが、当時助教授の谷口先生です。この頃の広報誌といえば広報委員会が編集を担う『学内広報』。主に学生運動の動向を教職員が共有するため、1969年に生まれた冊子です。この媒体の編集が念頭にあった谷口先生ですが、第1回委員会では広報委員長の大塚柳太郎先生から意外な宣言がありました。

「学外向けの新広報誌を作る、と。大変そうで担当になりたくないと思っていたら、真っ先にチームに指名されたのが私で……。まだ国立大学が文部省の一機関だった時代ですが、これからは学外への広報が重要だと言われました」

当時の広報委員長は現在の広報担当執行役に近い要職。新広報誌構想は大塚先生のリーダーシップによるものでした。半年後の創刊を託されたチームは、突貫で作業を開始。巻頭は蓮實重彦総長の対談記事となり、お相手には卒業生で前文部大臣の町村信孝さんを提案。懐徳館での取材は大塚先生が仕切りました。大特集は、学生生活実態調査も活用する形で「東大生のいま、むかし」に。誌面には、本郷構内の時計店主や33年間駒場で働いた職員、後に総長となる佐々木毅先生も登場しています。

「元指導教員だったので、すぐに話を聞けたのです。記事も自分で書きました。他の企画も同様で、各委員が身近なところから手作りで進めていました」

誌名については、東大を象徴する名が模索されました。ただ、「赤門」だと駒場や柏が入らない、「銀杏」は同窓生組織がすでに使っている、引用する校歌もない……と決定打は出ず。残ったのが、スクールカラーの「淡青」でした。

「他にないからまぁいいか、という感じでした。多忙で大変でしたが、編集を通して自分も知らなかった東大の姿を学ぶことができました」

谷口先生が専門とする政治コミュニケーションの分野では、硬派な話題を人々にどう伝えるかが問題になるそう。健康のため野菜を食べさせるには、焼肉定食にサラダをつけたり、ハンバーグに野菜を混ぜ込んだりするのと似た工夫が必要です。

「大学広報誌も事情は同じ。UTokyo Compassだけでは一般の人の興味は引きにくい。でも、たとえば総長が大谷翔平選手と対談して、あなたのように世界で活躍する人を育てるための指針だと言えば、食いつきもよくなるでしょう」

節目の50号で予定する特集テーマ「悩める東大」を伝えると、学生時代に入学式の式辞で、当時の有馬朗人総長が、東大には金がないと話したことを思い出したという谷口先生。最後に気になる指摘もくれました。

「『淡青』は、大学のよい部分やきれいな部分ばかりを強調して、悩みや苦しみを伝えきれなかった面もあるかもしれませんね」

『淡青』1号の表紙『淡青』2号の表紙『淡青』3号の表紙『淡青』4号の表紙『淡青』5号の表紙『淡青』6号の表紙『淡青』7号の表紙『淡青』8号の表紙『淡青』9号の表紙『淡青』10号の表紙『淡青』11号の表紙『淡青』12号の表紙『淡青』13号の表紙『淡青』14号の表紙『淡青』15号の表紙『淡青』16号の表紙『淡青』17号の表紙『淡青』18号の表紙『淡青』19号の表紙『淡青』20号の表紙『淡青』21号の表紙『淡青』22号の表紙『淡青』23号の表紙『淡青』24号の表紙『淡青』25号の表紙『淡青』26号の表紙『淡青』27号の表紙『淡青』28号の表紙『淡青』29号の表紙『淡青』30号の表紙『淡青』31号の表紙『淡青』32号の表紙『淡青』33号の表紙『淡青』34号の表紙『淡青』35号の表紙『淡青』36号の表紙『淡青』37号の表紙『淡青』38号の表紙『淡青』39号の表紙『淡青』40号の表紙『淡青』41号の表紙『淡青』42号の表紙『淡青』43号の表紙『淡青』44号の表紙『淡青』45号の表紙『淡青』46号の表紙『淡青』47号の表紙『淡青』48号の表紙『淡青』49号の表紙? 第50号は3月17日刊行です
特集の変遷●東大生のいま、むかし→大学院を重点とする大学→東京大学における教育→社会の中の東京大学→21世紀の東京大学→21世紀の東京大学Ⅱ→産学連携→教育→ニュートリノ天体物理学の誕生→東大生の課外活動→21世紀COEプログラム→法人化を迎えて→医学部附属病院→UTフォーラム2004→小宮山宏新総長就任→UTフォーラム2005→卒業生→法人化2年→本と東大→創立130周年→変革をめぐる想像力→濱田純一総長就任→実験→変わりゆく森のゆくえ→学問と時間→スポーツと東大→イノベーションと東大→東大生は「タフ」になったのか?→動き始めた知の森→五神新体制、始動→「協創」と「振動」のノーベル賞→東大の「文系」→世界と東大→地域と東大→画像でたどる東大140年→猫と東大→東大のアート→淡青色の三十代たち→オリンピック・パラリンピックと東大→コロナ禍と東大→五神総長の6年→藤井輝夫総長就任→UTokyo映画祭→素朴な疑問vs東大→GX入門〜身近な疑問vs東大→犬と東大→トイレと東大→知の冒険者たち