
4月14日、総長応接室にて。
全学的な見地から国際的な場での本学の情報の発信と意見の表明を行う者として、2024年4月に新しく設置された総長特使。現在この職を務めている道田豊先生と石井菜穂子先生に、それぞれのミッションとこれまでの活動内容について、対談を通して紹介していただきました。司会はコミュニケーション戦略本部(旧・広報戦略本部)長の河村知彦先生です。
産官学で地球の課題に向かう
河村 総長特使就任にあたり、総長からはどのような話があったのでしょうか。
石井 私は2012年から地球環境ファシリティのCEOを務めていましたが、2020年に東大に来て、グローバル・コモンズ・センターのダイレクターとなりました。グローバル・コモンズ(以下GC)とは、安定的でレジリエントな地球システムです。現在の経済システムは地球システムの限界と衝突してあちこちで地球環境の破壊をもたらしていますが、GCを守るガバナンスのメカニズムを構築できずにいます。GCをどうやって守るのかを考える組織が必要ではないかと当時の五神真総長に提案したのがきっかけでした。その方針を藤井輝夫総長が発展させてくれた結果が総長特使だと思います。環境に限らず、地球規模の課題が切羽詰まってきています。産官学の協創でGCを守るべきで、大学はそこで積極的な役割を果たせるはず。総長特使としてその任を担う気持ちを持っています。
道田 私は2023年からユネスコ政府間海洋学委員会(IOC)の議長を務めています。2017年の国連総会で、2021~2030年を「国連海洋科学の10年」とすることが決まりましたが、これを発案したのはIOCでした。関係する国々がいろいろな活動を進めていますが、その認知度は高くないという認識が総長にあったようです。私は「国連海洋科学の10年」日本国内委員会の幹事でもあります。総長特使の話をいただいたのは、アカデミアでできることがもっとあるので、特に日本国内の活動を促進するために尽力せよということだと思います。
河村 石井先生、GCセンターの活動を紹介してくださいますか。
石井 活動の一つが、日本企業の有志とともに2021年に設立した ETI-CGC(Energy Transition Initiative – Center for Global Commons)です。日本の脱炭素のパスウェイを描くための産学連携プラットフォームです。七転八倒しながら進めていますが、海外で試みられている枠組みを日本でも試すという意義は大きかったと思います。また、Nature on the Balance Sheetという、自然資本の価値づけに関するルール作りにも力を入れています。経済システムが地球システムの限界を超えつつあるなか、自然資本の価値を経済の意思決定に統合する必要があります。いま国際社会ではそのルール作りが進行中ですが、そこに日本がどう関わるのかを議論し、GCを守るルール作りに積極的に貢献しようというものです。
スポーツじゃないほうのIOC
河村 道田先生は五輪ではないほうのIOCの議長に日本から初めて就任されています。
道田 最近の課題は、国際情勢が不安定なことです。IOCは海洋科学を議論する組織ですが、政府間組織なので、決まったことについて政府が強く関与します。科学の議論をすると言いつつ国際情勢に無縁ではいられません。150の加盟国の投票で40の執行理事国が決まりますが、2023年の総会でロシアが史上初めて落選しました。そうした情勢下でのマネジメントに苦慮しています。「国連海洋科学の10年」の推進では、国連公海等生物多様性協定(BBNJ協定)が国際強制力を持ったことが大きな出来事でした。海の生物多様性に関するデータはIOCが担っているので、そこに対応するのが喫緊の課題です。
河村 GCとしての海洋は、陸のGCと比べるとどんな特徴があるのでしょうか。
石井 GCのなかでも海洋は特に重要です。地球システムの非常に大きなバッファであり、人類は相当部分を海に助けられてきましたが、そのツケがたまりすぎました。いまもGCの中枢ですが、危ない状況にある。人間と地球の衝突のツケが全部流れ着くのが海洋です。
道田 広さでも水の量でも、海のキャパシティが非常に大きいことが本質的です。キャパが大きいから変化が見えにくい結果、ここまで毀損が進んでしまった。海は海だけでなく陸の生態系もフィードしています。危機感の共有を経て「国連海洋科学の10年」が動き出しました。研究者はがんばっていますが、一般の人と危機感を共有し、幅広く参画を求めないといけません。
石井 そこは大きな悩みです。GCのコミュニティはこの10年、行ったり来たりを繰り返しています。もっと一般の人を脅かさないとだめだ、脅かしても萎縮するだけだ、希望を伝えないといけない、いや、やはり脅かさないと……そんなこんなのうちに時間切れになります。科学のメッセージはどうして人々を動かせないのかと強く感じます。地球環境に携わる人は皆手詰まり感を持っているなかで米国にトランプ政権が現れ、さらに仕事がし難くなっています。
道田 危機を煽るばかりだと人が来なくなりますが、関わる人がいないと海は守れません。危機を煽るだけではない方法で人を巻き込みたい。プラごみを減らそう、は皆が理解してくれます。でも、その先まで踏み込む人たちの存在が必要です。


知の提供だけでは不十分
石井 まさに産学官協創のゴールですね。大学は知を提供するだけではもういけません。知を政策につなぎ、政治とともに社会を動かさないといけない。
道田 皆が課題解決型の研究を進める必要はありませんが、複合領域を本気でやる人材を育成しないといけないと思います。いまも育成していますが、もう一段か二段、力を入れる必要があるのでは。
石井 あまりそうした学生が出てきていないように見えるのはどうしてでしょう。
河村 サイエンスをやると専門分野に深く入りこみ、そして楽しくなります。そういう人と地球規模の課題解決を目指す人が分断されているのが問題かもしれません。両方を理解し、中継ぎする人が従来は少なかった。UTokyo College of Designはそこを目指しているわけです。
道田 たとえば、海洋では沿岸域の管理・活用の課題があります。環境を守りつつ洋上風力発電をやるといったことは一筋縄ではいきません。そのため、沿岸の海洋空間計画(Marine Spatial Planning)を作る動きがヨーロッパではここ10年で進みました。各国は海岸線で接しているので、近隣国としっかり調整する必要があります。そこでEUが旗を振り、汎ヨーロッパの海洋空間計画を作る動きが進んでいます。
石井 政治が指針を示したわけですね。
道田 資金を投じてもいます。プロジェクトがあれば働き場が生まれ、人材育成も進みます。ヨーロッパではそこがまずまずうまくいっているようです。
河村 日本の海では漁業権の問題がネックだと思います。漁業者が権利を有していて、国も簡単には手が出せません。
石井 そこはやはり国のリーダーシップに尽きるのではないでしょうか。
道田 政府の第4期海洋基本計画には、海洋空間計画を作ることが明記されました。河村先生の言う論点も承知の上で、納得できる解を見つけようということです。漁業大国のノルウェーだって当事者と調整して計画を作っています。日本もできないはずはありません。できそうな地域から始めて成功事例を増やすことが重要です。
石井 心ある漁業者は、魚を獲りすぎたら来年まずいぞと考えて、自分たちで漁獲量を調整してきたと思います。そういう工夫はできるはずですよね。
道田 人口減で漁業人口も減っています。そこが一つの突破口になるかもしれません。漁業権を認めたうえで海を活かす議論ができる可能性はある。規模の小さいものから大きいものまで、海洋空間計画を重層的に作り、経済がどう回るかの評価も入れることにアカデミアの意義があります。3月の第12回世界海洋サミットで石井先生が紹介した自然資本の価値化の話です。
Pricing the Priceless
石井 GCが荒れるのは、経済システムがGCの価値づけをできていないからです。GCによいことをした人に恩恵が回らないといけません。GCセンターはそのための仕組みづくりを進めています。いまや「Pricing the Priceless」の時代です。うまく価格づけをしない限り、人間は自然を食い潰してしまうでしょう。
道田 そこには交換可能性が伴わないといけませんね。交換可能性がないプライスづけに意味はないので。
石井 はい。そして、自然資本が財務諸表に載らないといけません。トリガーは、取引であり、契約です。アカデミアは、自然資本にプライスをつけて組織の財務諸表に載せることを担う人材を育てるべきです。学問の複合領域だけでなく、実社会との複合領域も重要。マーケット・インフラを支えるプロ、たとえば公認会計士や格付け機関、規制担当者のような人とも丁々発止できる人が増えないといけません。
道田 志を持った学生は必ずいます。うまく伸ばすのが大学の役目ですね。
石井 大きな方向性をリーダーが示すことが重要です。2015年のパリ協定の後、世界は脱炭素に向けて技術開発を進めました。この方向に進みそうだと多くの人が思ったからです。ネイチャーポジティブについては、まだそうした大きな動きにはなっていません。こうやれば先に進むという大きな指針が、気候変動問題のときほどは簡単に見い出せていません。自然資本を価値化する道をきちんと示せれば、社会は大きく動き出すと私は考えています。
道田 好奇心駆動型の研究はもちろん大事ですが、課題解決型の研究に取り組む人材の育成に相応のリソースが投入されないといけません。大学としての決断が必要です。
石井 総長のリーダーシップで決断してもらわないといけないわけですね。
河村 そこを促すのも総長特使の任務ということになるでしょうか……。本日はありがとうございました。
