
東京大学が全学をあげて推進してきたリベラル・アーツ教育。その実践を担う現場では、いま、次々に新しい取組みが始まっています。この隔月連載のコラムでは、本学の構成員に知っておいてほしい教養教育の最前線の姿を、現場にいる推進者の皆さんへの取材でお届けします。
「多様性」と「安全」の緊張関係
/KOMEXシンポジウム2025「多様性と安全 Diversity and Safety」
准教授 福永玄弥
特任講師 飯田麻結

DEIを掲げる大学として
福永 3月に「多様性と安全」をテーマにシンポジウムを行いました。「多様性」の推進は部門の重要な任務ですが、それを推進する過程で社会や組織の「安全」が損なわれるといった懸念が表明されることがあります。特にマイノリティの権利を否定する文脈で「安全」が持ち出されるのは世界的にも喫緊の課題です。DEIを掲げる大学としてそうした現象を考えるべきだと思い、「多様性」と「安全」の間の緊張関係に対する一つの応答として公開シンポジウムを実施しました。
第1部と第2部では内外の研究者6人が登壇しました。D&I科目でも非常勤を担当する岡真理先生は、イスラエルによってパレスチナで引き起こされているジェノサイドについての講演でした。「ジェノサイド」の語源をたどりながら、パレスチナでは生命の抹消だけでなく文化や教育を根こそぎ破壊することで人間の「生」を根絶やしにするプロジェクトが進行しているというお話です。お茶の水女子大学の本山央子先生は、岡先生の講演とも関連して、軍隊をはじめとする安全保障の分野でもマイノリティを「活用」する動きが起きていることに対して警鐘を鳴らします。一見すると「良いこと」をしているようで、それが新自由主義と結びつきながら軍事的暴力を覆い隠してしまう点を批判されました。
関西大学の井谷聡子先生は「トランスジェンダーとスポーツ」の問題がテーマでした。トランスジェンダーが「女子スポーツ」に問題を引き起こすと言われ、米国では複数の州でトランスジェンダーの女子チーム参加を禁じる法律が成立。多様性の推進でマジョリティが脅威を受けると危惧する声が反DEIの文脈で言及され、政治化しています。
飯田 第3部の基調講演はジュディス・バトラー先生にお願いしました。第二次トランプ政権の発足により、民主主義だけでなくトランスジェンダーや移民の人々の生が脅かされている状況に触れ、その背後にあるファシスト的な激情に抵抗する術に関する講演でした。もちろん、このような状況は米国でのみ生じているわけではありません。特定の集団に対する恐怖を恣意的に動員する極右や白人至上主義者の戦略に対し、「対抗的な想像力」、つまりあらゆる生の相互依存や哀悼可能性に基づいた異なる世界のあり方を集合的に想像する力をバトラー先生は提案します。この視点は第2部の発表とも密接に関わるものであり、「多様性と安全」を論じる際に不可欠だと感じました。
福永 世界中で同様の問題が形を変えて起きていて、各々の現場で抵抗する人たちがいます。個別の抵抗だけでなく、問題を交差させながら共に抵抗するというアプローチに可能性を感じる講演でした。
情報保障導入でアクセシブルに
飯田 今回、情報保障を導入し、すべての発言をテキスト化して画面上に表示しました。事前にいただいた発表原稿をもとに用語リストを共有し、自動変換にではなく文字通訳者が発言を即時入力する方法を選択したことで、専門用語を含めてより精確に内容を伝えることができました。今後は学内で情報保障に関するノウハウを共有し、全学でアクセシブルなイベントが広がるよう協力していければと思います。また、今回のシンポジウムは東大TVによって後日公開される予定ですので、ぜひご覧ください。
第1部 講演 |
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原 和之(KOMEX機構長)「精神分析と性的多様性:『理論』の果たす役割」 |
岡 真理(早稲田大学)「Genos-Cideに抗して、あるいは《未来》というホームランド」 |
第2部 問題提起 |
井芹真紀子(KOMEX)「〈リスク〉のロジックに抗して:セイフティ、コミュニティ、アクセス」 |
井谷聡子(関西大学)「女子スポーツの安全を脅かすのは誰か」 |
高谷 幸(人文社会系研究科)「『共生』と安全をめぐる政治」 |
本山央子(お茶の水女子大学)「安全保障における多様性と包摂の推進ーー何のために?」 |
第3部 基調講演 |
ジュディス・バトラー(UC Berkeley) |
参加者数:対面79人+オンライン496人



