第1183回淡青評論

七徳堂鬼瓦

「脇見運転」のすすめ

タイトルを見て、おっとそれはアウトだろうとお思いになった方々が多いだろう。いえいえ、車の脇見運転ではない、あくまでも「」付きである。

昭和が終わった年、インターネットも携帯もない時代、私はアメリカの大学院に留学した。唯一ほっとする空間は、図書館の新聞コーナーで日本の新聞を読むことだった。ふと脇を見ると10カ国語くらいある。天安門事件、ベルリンの壁崩壊、同じニュースでも写真が微妙に違う。解釈とメッセージの違いに直面した。「脇見運転」が教えてくれた国際社会の本質である。

アメリカで研究を始めて1年目、図書館で雑誌をペラペラとめくってると、ふと目についた論文「嗅覚受容体遺伝子候補の発見」。『時をかける少女』でラベンダーの香りの“力”を知り、大学時代の恩師が教えてくれたB級グルメの美味しさ。これだ!においだ、私の心で温めていたやりたかったことは。雑誌の「脇見運転」が示唆してくれた私の生涯研究である。

「脇見運転」にも種類がいろいろある。隣の庭は青い、の脇見ではいけない。あくまでも、その時の目標は定まっていて、「たまたま」の寄り道、である。人生は全て「たまたま」が好転機になる。効率を追求して無駄をなくす作業だけでなく、「たまたま」の脇見ができる余裕、「たまたま」の脇見から生まれる出会いをものにする力も大切だ。

最近教育研究をしていると、あれやこれやと忙しく、「脇見運転」ができない。それどころか、前を見ていても、入ってくる車窓が本物なのかバーチャルかも見極めることも難しくなっている。Society 5.0の中で、運転している自分を見失いがちだ。ロジックのない不確実性に対応できる身体感覚を鍛えなくてはと思う。

7月の研究分野アンケートでは、これから25年で必要と思う分野は「感覚・感性」と書いた。大学全体としては、の問いには、「脇見運転」がしにくいトップダウン研究でなく、分野を指定しない「新芽を育むボトムアップ研究」と書いた。「脇見運転」ができる精神的時間的余裕をつくれば、アイデア豊富で新芽をだせる優秀な教員が東大にはたくさんいる。

東原和成
(農学生命科学研究科)