歴史的に重要な文書や絵画などを保護するユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」※。その国内候補として、昨年11月、観世宗家伝来 世阿弥能楽論『風姿花伝』が選定されました。本学が公開する「観世アーカイブ」※で閲覧できる、日本が世界に誇る貴重文書です。その概要と今後の展望について、能楽研究の第一人者と今回の選定に尽力した研究者に解説をお願いしました。登録の可否は2027年4月頃に発表される予定です。
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斯道文庫 教授
能と狂言をあわせて能楽といいます。能はシリアスに異界や死者を描き、狂言はコミカルに現世の話題を扱うのが特徴。かつて三島由紀夫は、能楽をダムに喩えました。大量の文化が蓄積し、そこから放流が起きて新しい文化が生まれる。能楽とはそうした機能を持つ装置です。『千と千尋の神隠し』※ではカオナシや龍といった異界の住人や能舞台風の湯屋が登場します。『すずめの戸締まり』※で描かれた後ろ戸は能楽の「翁」という演目と結びつきます。現代の作品にも能楽の世界観は息づいているのです。
おそらく世界初の総合的演劇書
能楽を大成した世阿弥(1363-1443)の前期の主著が、おそらく世界初の総合的演劇書である『風姿花伝』です。役者であり劇作家であり演出家でも批評家でもあった世阿弥は、フランスの研究者ルネ・シフェールが「舞台のダ・ヴィンチ」と評した通り、空前絶後の演劇人でした。活躍から約600年。その作品はいまも演じられており、私もいつも感動させられます。こうした総合演劇が日本にあるのは奇跡だと思います。
世阿弥の父・観阿弥を初代とし、現在は26世の観世清和さんが当主を務める観世宗家には、世阿弥直筆のものを含む『風姿花伝』が残ります。全7編の文書は大夫やそれに準じる弟子だけに見せた秘伝書。1909年に吉田東伍という学者が本で紹介して初めて世に知られるようになりました。
第6編『花伝第六花修』の冒頭には、「能の本を書く事、この道の命なり」と書かれており(→画像❷)、世阿弥の本質を表しています。世阿弥にとって、観客をいかに感動させるかが一番の関心事。観客をどう喜ばせるかにこだわった彼は、演劇でマーケティングを追求するなかで次々に新作を書き多くの演劇論を残しました。『風姿花伝』で論じたのは、芸の神髄「花」について。有名な「秘すれば花」という言葉は第7編に出てきます。隠していたものを披露することで、観客は驚き、感動するという意味です。
観世宗家の貴重文書をデジタル化
「世界の記憶」の申請に関しては、2025年3月に産経新聞に掲載された観世清和さんの記事が大きなきっかけでした。界隈で申請の機運が高まり、旧知のご縁から相談をいただいた形です。私だけでは大変なので、かつての学生の高橋悠介さんを推薦し、申請書の準備に尽力してもらいました。
1991年設立の観世文庫には4500点ほどの資料があります。私は2006年から科研費を活用して資料のデジタル化と目録作成を続けてきました。その成果をもとに、附属図書館の協力を得て2009年に「観世アーカイブ」を公開し、駒場コミュニケーション・プラザで記念の薪能を、駒場博物館では特別展示を行いました。文庫の世阿弥直筆本を全て揃える空前の展示でした。「世界の記憶」選定の暁には、いろいろな企画を通し、能楽の魅力をより多くの皆さんに伝えたいと思っています。
※これまでの選定例は、ベートーベンの交響曲第9番の直筆譜、アンネの日記、グーテンベルク聖書など。日本からは御堂関白記、東寺百合文書など9点が選ばれています。
※https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/collection/kanze
※宮崎駿監督のアニメ映画(2001年)
※新海誠監督のアニメ映画(2022年)



