2月7日から3月22日まで、茨城県立歴史館で開催された企画展「史料を集め、伝え、そして編む̶̶東京大学史料編纂所の過去と現在」。2025年に編纂所に新設された史料学協創センター開設を記念した展覧会です。史料編纂所が外部機関と共催で所蔵品を展示するのは25年ぶりのこと。国宝、重要文化財を含む約80点が一同に展示された企画展について紹介します。
本能寺の変の翌日の秀吉書状
史料編纂所と地域の博物館や文書館との連携強化の第1弾として開催された今回の企画展。編纂所が所蔵する膨大な史料の中から、国宝「島津家文書」をはじめ、代表的な古文書や絵巻、茨城ゆかりの史料などが水戸の茨城県立歴史館で公開されました。
なかでも大きな注目を集めたのが、初公開の「羽柴秀吉起請文」です。織田信長の命を受けて備中国高松城(岡山県岡山市)で毛利氏と戦っていた秀吉が、寝返った毛利方の武将に報奨を約束した誓約状で、日付は天正10年(1582)6月3日。信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」の翌日にあたり、秀吉がまだ信長の死を知らない時点で書かれたことが分かる極めて貴重な史料です。昨年10月に史料編纂所の村井祐樹准教授がネットオークションで発見し、筆跡などの鑑定を経て本物と判断されました。
同じく初公開の「織田信長自筆書状」は、天正6年(1578)に、信長が重臣の荒木村重に向けて、叛意の噂の真偽を問いただそうと書いたもの。墨が乾かないうちに巻かれたため、裏面に墨が移った痕跡が確認でき、信長の苛立ちなどがうかがえる史料です。このほか、安政2年(1855)の江戸地震前後の様子を描いた絵巻「江戸大地震之図」、重要文化財「光厳上皇自筆書状」など、史料編纂所の貴重な史料が並びました。
会場には史料学協創センターの新たな試みを紹介するコーナーも。その関連で展示されたのが、室町時代に描かれた「洛中洛外図屏風」の復元模写です。原本の科学調査結果を踏まえ、当時と同じ材料や道具を可能な限り用いて、原本の色彩を再現したもの。原本の上に紙を置き、筆勢や墨のにじみまで忠実に映し取る「影写」技術の紹介展示もありました。「織田信長自筆書状」を影写した宮﨑肇特任研究員は、「随分とすり減った筆が使われている」と話し、その再現のために毛先を切り、サンドペーパーで傷ませた筆を使ったと説明しました。
信長の印象を変える「絹衣相論」
会期中には史料編纂所教員による講演も行われました。2月22日に開催された金子拓教授の講演では、常陸国の天台宗と真言宗の僧侶が「絹衣」という法服の着用をめぐって争い、やがて朝廷、さらには織田信長を巻き込む大問題に発展した「絹衣相論」について、展示史料とともに解説しました。信長は、朝廷が天台優位・真言優位と判断を揺らし続ける状況に危機感を抱き、合議による体制整備を求めたのではないかと説明。従来は、信長が朝廷を支配しようとして介入したとする見方が一般的でしたが、近年の研究では、むしろ協力関係にあったという見解もあり、絹衣相論は信長像を再考するうえで重要な事例だと話しました。
地域の博物館や文書館との連携は今後も継続予定で、第2弾として沖縄県立博物館・美術館との企画展も計画されています。