第1193回淡青評論

七徳堂鬼瓦

そうではない可能性

研究に携わる者としては恐らく一般的と思いますが、なるべく多くの関連事項に適合する「そうではない可能性」を重視してきました。もちろん、数多くの徒労を経験しましたが、他者の原著論文の誤りに気づいたことが端緒となり、それが遺伝性疾患の発見と、関連疾患等を含む予防・治療法開発の推進に結びつくこともありました。

先日、その予防・治療法開発に重要な細胞シグナルに関する生成AIの報告書をみたところ、過去の様々な論文発表の内容を簡潔に纏めてはいましたが、個々の論点・見解を扱う論文の数や発信力の影響を感じました。そこで、より詳しい情報を求めたところ、筆者がより適切と考える見解が提示され、少し安堵しました。やはり、人知にも生成AIにもそれぞれの限界があることを考えれば、「そうではない可能性」を意識することは、これまで通りに重要と思います。

他方、人々の生活や尊厳、時には命そのものにも関わる裁判制度にも、あってはならない可能性に備える再審制度が存在するように、「そうではない可能性」に備えることは研究のみに限られたことではないと思います。しかしながら、筆者の誤解かもしれませんが、「そうではない可能性」を排除するような言説に触れる頻度の増加を日々の生活の中で感じています。もちろん、「そうではない可能性」に囚われ過ぎると身動きが取れない困難に陥りそうですが、その余地を捨て去ることは危ういと思います。過つは人の常であればこそ「そうではない可能性」を意識することは重要と思います。

例えば、診断・予防・治療法開発の現場では「そうではない可能性」を徹底的に意識しながら、必要とされる医療を1日でも早く社会に届けるための、ぎりぎりの努力がなされています。このように、医療実装を希求する推進力と「そうではない可能性」を踏まえた制動・制御力の両者を生かした、緻密で多面的、多層的な努力が実際に行われ、また、それが新たな発見・発展の基盤にもなることを知る者として、同様の努力が、我が国や世界の様々な課題に対してより多くなされることを願ってやみません。

山梨裕司
(医科学研究所)

Challengers for Changes