群馬県沼田市の玉原高原には、数理科学研究科が2005年から研究・教育に活用してきた合宿施設があります。コロナ禍の影響で2020年から休館していましたが、関係者の皆さんの尽力が実を結び、本格再開への道が拓かれました。8月4日に現地で行われた開所式の模様と、豊かな自然に包まれたロッジの様子を紹介します。
日本の数学系研究合宿の本場
開所式は現研究科長の辻雄先生による挨拶で始まりました。辻先生は、特に数学の分野では、宿泊型施設での合宿が新しいアイデアや共同研究を生む源泉とされてきたことを紹介。滞在型の環境で知られるドイツのオーベルヴォルファッハ数学研究所のような施設を日本にもという機運が2000年頃から高まり、研究科として関係各所に働きかけた結果、森林文化協会からロッジを譲り受ける形で2005年に始まったという当施設の歴史を概観しました。2007年に開催した研究集会に海外から参加した研究者には今も親近感を覚えており、寝食をともにする交流の価値を実感すると辻先生。第5代研究科長の坪井俊先生から明かされた、大きなプロジェクトの際は沼田の霊峰として知られる迦葉山の大天狗に祈願してきたとの逸話を踏まえ、今後も大天狗に見守られながら運営を進めたいと語りました。
続いて登壇した相原博昭理事は、国立大学法人化から間もない時期の開所だったことに触れ、短期的成果が求められた当時の改革は、長い時間軸を要する分野には逆風だったかもしれないと指摘。コロナ禍以降に閉鎖を含めた検討を余儀なくされた点を大学本部の財務責任者として詫びるとともに、社会課題の構造を記述・解析する言葉として数学がますます重要になると指摘し、施設が全学の研究教育を支える基盤として発展することへの期待を述べました。
市最大の行事「沼田まつり」と日程が重なってしまった星野稔市長の代理で登壇したのは、沼田市の武井昭彦観光交流課長。人と自然が触れ合う街という理念を象徴する玉原の施設が教育研究の場として再開されることを喜ぶとともに、研究科が地元の中高生向けに活発なアウトリーチを進めてきたことへの謝意をお示しいただきました。
「黒い森」より明るい玉原の森
続いて、副研究科長として施設再開に奔走してきた小林俊行先生が登壇。施設の存続をめぐって、研究・教育拠点としての価値と将来の持続性についての議論が重ねられた末に再開が決定されたという経緯を振り返り、「こうして開所式を迎えたことに感激している」と語りました。オーベルヴォルファッハのあるシュヴァルツバルト(黒い森)は針葉樹が多くて暗いが玉原高原は広葉樹のブナが多くて明るいこと、研究のアイデアを泊まり込みでぶつけ合うミッションは両者に共通であること、しかし予算には大きな隔たりがあることを紹介。玉原を若手鍛錬の場として十数年間使ってきた小林先生は、早朝に始めた勉強会が翌日の夜明けまで続く合宿生活の実例を引き、森の中で雑念を払って数学を考える時間には教室や自宅で考えるのとは違う価値があり、多くの方々に明るい森に包まれながらの探求を続けてほしいと語りました。
第2部の昼食会では、3人の歴代研究科長が登壇しました。第4代研究科長として2005年の開所式を迎えた桂利行先生は、当初は別のエリアも候補だったが、玉原を見学して惚れ込んだ、と当時を回想。開所式に参加した小宮山宏総長(当時)が、ゴードン会議のように寝食をともにして共同研究できる施設として本部が支援しないといけないと話し、自ら強力な支援者を見つけてくれたとのエピソードを紹介しました。
解体の危機を乗り越えて
第7代研究科長としてコロナ禍下の休館に立ち会った河野俊丈先生は、谷口数学国際シンポジウムの例を出し、他分野に比べれば少額でよいものの支援はやはり常に必要だと話しました。玉原はときに異分野との交流機会となってきたことにも言及。物理学や天文学の若手と数学の若手が合宿すると、最初は全然話が通じないのに3日もたつと話がどんどん噛み合って新展開が生まれていた、と合宿の意義を語りました。
最後に登壇したのは、前研究科長の平地健吾先生。副研究科長時代に玉原を担当し、施設の処遇について構成員のアンケート結果をまとめたり解体の見積を取ったりした結果、一時は解体する選択肢に傾いていたものの、研究科長に就任して小林先生が副研究科長となったのを機に路線変更を決意し、じわじわと周囲の説得を進めたとのこと。沼田市と協力して運営を安定させていこうと呼びかけて、会を締め括りました。
研究科内での試用を経て、2027年度には全学に使用機会を広げる予定の玉原国際セミナーハウス。続報をお待ちください。
◉開所式・昼食会に登壇した皆さん◉
連絡先/数理科学研究科総務チーム
℡:03-5465-7001 ウェブサイト: https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/tambara/

