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沼田の高原に佇む数学・数理科学の研究合宿拠点 玉原国際セミナーハウスが再開

「国立大学法人 東京大学玉原国際セミナーハウス」と書かれた木の看板

群馬県沼田市の玉原高原には、数理科学研究科が2005年から研究・教育に活用してきた合宿施設があります。コロナ禍の影響で2020年から休館していましたが、関係者の皆さんの尽力が実を結び、本格再開への道が拓かれました。8月4日に現地で行われた開所式の模様と、豊かな自然に包まれたロッジの様子を紹介します。

霧のかかった森の中にあるロッジ。下部の左から、表示板、模型、浴槽、本棚、鳥
フロントにはここでしか買えない特製グッズが。(下)平地先生のスケッチをプリントしたマグカップは、数理科学研究科基金の謝意として贈られる記念品でもあります。(右)つる舞う形の群馬県方位磁石 1600円。(左)分度器 800円。 昼食会が行われた食堂。壁絵の題は「武尊黄焼」。 開所式が行われたセミナー室。晴れた夜には窓から満点の星空が見渡せます。
標高約1200mの自然林内にあるセミナーハウスの前身は、戦後最大級の木造平屋建築として1987年に竣工した「朝日の森ロッジ」。主柱に使われているのは、地元の営林署が選び抜いたという樹齢80年超のカラマツです。
最大30人程度が泊まれる宿泊棟。小林先生は、この棟の入口の石段に座って考えているときに対称性破れの変形を整数論に使うためのヒントが閃いたそうです。 多くの先生がお気に入りのスペースに挙げた2階ラウンジ。夜にはギターが活躍することも。

日本の数学系研究合宿の本場

開所式は現研究科長の辻雄先生による挨拶で始まりました。辻先生は、特に数学の分野では、宿泊型施設での合宿が新しいアイデアや共同研究を生む源泉とされてきたことを紹介。滞在型の環境で知られるドイツのオーベルヴォルファッハ数学研究所のような施設を日本にもという機運が2000年頃から高まり、研究科として関係各所に働きかけた結果、森林文化協会からロッジを譲り受ける形で2005年に始まったという当施設の歴史を概観しました。2007年に開催した研究集会に海外から参加した研究者には今も親近感を覚えており、寝食をともにする交流の価値を実感すると辻先生。第5代研究科長の坪井俊先生から明かされた、大きなプロジェクトの際は沼田の霊峰として知られる迦葉山かしょうざんの大天狗に祈願してきたとの逸話を踏まえ、今後も大天狗に見守られながら運営を進めたいと語りました。

続いて登壇した相原博昭理事は、国立大学法人化から間もない時期の開所だったことに触れ、短期的成果が求められた当時の改革は、長い時間軸を要する分野には逆風だったかもしれないと指摘。コロナ禍以降に閉鎖を含めた検討を余儀なくされた点を大学本部の財務責任者として詫びるとともに、社会課題の構造を記述・解析する言葉として数学がますます重要になると指摘し、施設が全学の研究教育を支える基盤として発展することへの期待を述べました。

市最大の行事「沼田まつり」と日程が重なってしまった星野稔市長の代理で登壇したのは、沼田市の武井昭彦観光交流課長。人と自然が触れ合う街という理念を象徴する玉原の施設が教育研究の場として再開されることを喜ぶとともに、研究科が地元の中高生向けに活発なアウトリーチを進めてきたことへの謝意をお示しいただきました。

「黒い森」より明るい玉原の森

続いて、副研究科長として施設再開に奔走してきた小林俊行先生が登壇。施設の存続をめぐって、研究・教育拠点としての価値と将来の持続性についての議論が重ねられた末に再開が決定されたという経緯を振り返り、「こうして開所式を迎えたことに感激している」と語りました。オーベルヴォルファッハのあるシュヴァルツバルト(黒い森)は針葉樹が多くて暗いが玉原高原は広葉樹のブナが多くて明るいこと、研究のアイデアを泊まり込みでぶつけ合うミッションは両者に共通であること、しかし予算には大きな隔たりがあることを紹介。玉原を若手鍛錬の場として十数年間使ってきた小林先生は、早朝に始めた勉強会が翌日の夜明けまで続く合宿生活の実例を引き、森の中で雑念を払って数学を考える時間には教室や自宅で考えるのとは違う価値があり、多くの方々に明るい森に包まれながらの探求を続けてほしいと語りました。

第2部の昼食会では、3人の歴代研究科長が登壇しました。第4代研究科長として2005年の開所式を迎えた桂利行先生は、当初は別のエリアも候補だったが、玉原を見学して惚れ込んだ、と当時を回想。開所式に参加した小宮山宏総長(当時)が、ゴードン会議のように寝食をともにして共同研究できる施設として本部が支援しないといけないと話し、自ら強力な支援者を見つけてくれたとのエピソードを紹介しました。

解体の危機を乗り越えて

第7代研究科長としてコロナ禍下の休館に立ち会った河野俊丈先生は、谷口数学国際シンポジウムの例を出し、他分野に比べれば少額でよいものの支援はやはり常に必要だと話しました。玉原はときに異分野との交流機会となってきたことにも言及。物理学や天文学の若手と数学の若手が合宿すると、最初は全然話が通じないのに3日もたつと話がどんどん噛み合って新展開が生まれていた、と合宿の意義を語りました。

最後に登壇したのは、前研究科長の平地健吾先生。副研究科長時代に玉原を担当し、施設の処遇について構成員のアンケート結果をまとめたり解体の見積を取ったりした結果、一時は解体する選択肢に傾いていたものの、研究科長に就任して小林先生が副研究科長となったのを機に路線変更を決意し、じわじわと周囲の説得を進めたとのこと。沼田市と協力して運営を安定させていこうと呼びかけて、会を締め括りました。

研究科内での試用を経て、2027年度には全学に使用機会を広げる予定の玉原国際セミナーハウス。続報をお待ちください。

◉開所式・昼食会に登壇した皆さん◉

❶ ❷ ❸ ❹ ❺ ❻ ❼
❶開所式で開会の挨拶を述べた辻雄 数理科学研究科長(第11代) ❷本部を代表して挨拶を述べた相原博昭 理事・副学長 ❸星野稔 沼田市長の来賓祝辞を代読した武井昭彦 沼田市経済部観光交流課長 ❹閉会挨拶を述べた小林俊行 副研究科長 ❺昼食会で乾杯の挨拶を述べた桂利行 第4代研究科長 ❻挨拶に登壇した河野俊丈 第7代研究科長 ❼挨拶に登壇した平地健吾 第10代研究科長

連絡先/数理科学研究科総務チーム 
℡:03-5465-7001 ウェブサイト: https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/tambara/

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赤門(旧加賀屋敷御守殿門)、令和の大改修が進展中

9月5日~6日、赤門改修工事現場見学会が行われました(主催:本部施設企画課、本部ディベロップメント課)。卒業生、近隣の皆さん、教職員を対象に、これまで仮囲いに覆われていた赤門工事の現況をお知らせする貴重な機会として企画されたもの。改修の監修を務めている研究者、設計・監理の担当者、施工会社の工事長という3人のエキスパートが解説を担った報道陣向け見学会(5日午前)の様子を、いましか見られない工事中の写真を中心にお知らせします。

構内側から見た現場 本郷通り側から見た現場
仮囲いの内側(9月5日現在)
黒い材料で補修した朱色の柱
控柱の根継ぎ部を補強する炭素繊維(青黒色)と、地面下に埋めた鉄筋コンクリートの錘と門をつなぐ引張材の金物(黒色)。
壁を解体して格子状になっている様子
耐震診断により番所でも地震に対する耐力不足が判明。構造用合板を内部に設置して補強するため、壁を解体しています。
茶色い屋根の下地
屋根の下地となる薄板(土居葺き)。ほぼ健全でしたが、降棟鬼瓦の下などに少し傷みがあり、番所の古材で補修しています。
壁から延びる袖塀
番所から延びる袖塀は控柱の腐朽・劣化が著しいため、板金追加も含めた検討を行っています。
「令和七~九年度修補」の焼き印を押した木材
後世の人にいつの改修で追加された部材なのかを伝えるため、改修年の焼印を刻された木材。
台の上に置かれた釘
門と番所で使われていた釘類を分類して整理。検査して問題がなければ再利用されます。

3人の専門家が現場で解説

当日の午前はあいにくの空模様でしたが、事前に申し込んでいた報道陣約20人が赤門前に集合。通常は工事関係者しか入れない仮囲いの中をヘルメット姿で進み、解説を受けながら工事の現場を見学しました。

今回の改修を監修する工学系研究科の海野聡先生は、将軍家の姫を迎えるための御守殿門として建てられた赤門の沿革を解説。御守殿門は姫の逝去を機に壊されるのが常だったものの、溶姫は明治維新後もしばらく存命だったため、取り壊しを免れて時代をつなぐ重要な役割を担ったのが赤門であると話しました。過去に4回行われた改修についても概説し、文化財では過去の修理の痕跡自体に価値があることを紹介。多くの人が通行する大学の門として安全性の確保は必須だが、かといって鉄骨を入れるわけにはいかず、文化財としての価値と現代に見合う安全性を備えるために、慎重に改修方法を検討してきたと語りました。

屋根と錘と柱と番所が肝に

続いて、文化財建造物保存技術協会の江見歩さんが、屋根の軽量化、錘おもりの設置、柱の補強、番所の耐震化の4点に整理して、今回の改修内容を説明しました。土で瓦を固定する「土葺き」では屋根が重くなるため釘などで瓦を固定する「空葺き」に変更すること、風や地震による転倒を防ぐため学内側の地中にコンクリートの錘を埋めて鋼棒で柱脚を下に引っ張る手当てを施すこと、過去の改修で行われた柱の「根継ぎ」部分を炭素繊維で補強したこと、番所の土壁をやめて構造用合板の枠を入れることなどを解説。昭和の改修で外された明治期の部材に残る棟梁名の墨書を初めて見て、当時の現場の息遣いを感じたとも話しました。

その後、一同は仮設足場の上階へ移動し、工事を司る清水建設の尾形晃弘さんによる屋根回りの解説を傾聴。工事長は、建物を解体してわかったこととして、「土葺き」だが瓦の中央部にだけ土を盛る「筋葺き」になっており、過去の改修でも軽量化の工夫がなされていたこと、瓦の下地である薄板(土居葺き)は非常に状態がよかったことなどを紹介。現代では入手が困難である良質なサワラ材が使われており、問題がない部分は防腐処理を加えて今後も使い続けていく方針だと語りました。

今回の改修では漆の塗替えは一部のみのため、見た目はほぼ改修前と同じですが、より安全でたのもしい存在に生まれ変わる赤門。工事は2027年秋に完了の予定です。

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❶軒丸瓦の文様。創建時の門には全て徳川家の三葉葵文、番所・塀には汎用文の連珠巴文が使われました。明治の改修を経て連珠「學」文が増え、関東大震災後に門・番所は全て前田家の剣梅鉢文に。❷三葉葵文には陽刻(葉脈が凸)と陰刻が。仕様の小異をあわせて4種が混在します。❸4回目の改修では新造瓦に改修年が刻されました。❹大鬼瓦の中央にある連珠「學」文は再利用の予定。❺大棟を構成する青海波瓦と小菊瓦。構内側と国道側でサイズが2種あると判明。❻解体で外した瓦は約1.1万枚。寸法毎に分類しています(新規瓦は8寸6分に)。
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❼赤門のこれまでの歴史と文化財としての見どころについて解説した工学系研究科の海野聡准教授(日本建築史・文化財保存)。❽工事の設計・監理を担う文化財建造物保存技術協会の江見歩さん。国道側と構内側で青海波の数が違うことが今回の解体で判明したと紹介しました。❾工事長を務める清水建設の尾形晃弘さん。安田講堂大改修でも工事長でした(→本誌1464号参照)。

赤門をくぐれなかった代の卒業生たちも現場を見学

工事中の赤門の下でヘルメットをかぶった見学者

9月5日午後と6日には、赤門が閉鎖された2021年2月以降の卒業生を含めた見学会を実施し、卒業生(本年度卒業予定者を含む)117名が参加。

「門を通れただけでも嬉しかったのですが、歴史の解説を聞いた上で家紋入りの瓦など普段は近くで見られないパーツを間近で観察できたのが興味深かったです」

ヘルメットをかぶった見学者の2ショット

「歴史のことを全然知らなかったのですが、深い意味がある場所だとわかりました」などとコメントしてくれました(実はこの特集を担当したカメラマンも同時期の卒業生でした)。