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本郷のシンボルなのにあまり構成員から愛されていない? 三四郎池(育徳園心字池)について学生&教員有志と考える

草木が生い茂る池。水面に草木が反射し、錦鯉が泳いでいる

◉三四郎池は正しくは心字池。一帯は加賀藩前田家の屋敷だった頃の名称で育徳園といいます

「錦鯉が仲間に加わりました。」などと書かれた白い看板
◉現在は設置されていません

4月、広報室に1通のメールが左の看板の画像付きで届きました。送信者は農学部の4年生。「生態系構築」という表現を錦鯉に用いるのは適切なのかと問題を提起し、三四郎池についてあらためて考える企画をと訴える内容でした。そこで広報室では、生き物を愛する学生たち、三四郎池周辺を調査してきた生態学の研究者、「育徳園のあり方検討WG」の座長を務めた都市工学の研究者、学生たちが参加する教育プログラムの運営教員にもお声がけして座談会を企画。三四郎池について自由に話し合ってもらいました(6月25日)。錦鯉文化に詳しい研究者の言葉もあわせて紹介します。150周年を前に三四郎池について考えてみませんか?

総括プロジェクト 特任教授 横張 真
2015年度から「育徳園のあり方検討WG」主査を務める。専門は都市工学、緑地環境計画。
農学生命科学研究科 教授 池田紘士
森林動物学研究室主宰。専門は昆虫を中心とした無脊椎動物に関する進化生態学、群集生態学。
農学生命科学研究科 准教授 中西もも
One Earth Guardians育成機構アドミニストレーター、東京大学認定URA。

中西 順に自己紹介をしていきましょう。私はOne Earth Guardians育成プログラム(OEGs)※1を担当しています。100年後も人と他の生物が共存するために行動を起こす科学者を育成しようというプログラムです。農学は人が自然の恵みを活用する必要から始まり、人が他の生物や環境とどう関係するのかを扱う学問です。今回の話もそうしたテーマに関するものだと思います。

錦鯉の「生態系構築」に疑問が

長尾 農学部獣医学専修の4年生です。高校時代、構内に来た際にこの看板を見てオヤッと思い、入学後も三四郎池に来るたび違和感を覚えていました。錦鯉に「生態系構築」という言葉を使うのは外来種を広めるのを是とすることにならないか、それが農学部を持つ大学にあってよいのか、という問題意識です。モヤモヤしていて、OEGsの活動のなかで中西先生に相談した際に、本部広報に連絡するよう助言され、メールを送ったという次第でした。

水野 私は工学部都市工学科です。UTokyo GXSN※2の一員ですが、生物に詳しいわけではなく、OEGs同期の長尾さんに詳しくない人の例として誘われたと思います。茶道部に所属し、五月祭の際に三四郎池の畔で茶会を開催しています。

田中 所属は農学部保全生態学研究室です。長尾くんはOEGsと生物研究会※3の同期です。自分も看板が気になっていましたが、何かしようとは考えていませんでした。

菅原 所属は農学部森林動物学研究室です。爬虫類が好きで、三四郎池を調査地の一つとして、カメなどの調査を進めています。三四郎池は構内の名所というより調査場所の一つだと思っています。

池田 農学部森林動物学研究室の教授を務めています。生き物マニアというわけではなく、生き物マニアが多い研究室を運営しています。今日は前にOEGsで昆虫のワークショップに携わった縁で参加しています。

自然と歴史と保健休養の価値

横張 私は工学系研究科都市工学専攻で教育研究生活を送り、特に都市の緑地環境を考えてきました。2014年、育徳園の将来計画を考えるWGが発足し、私が主査を務めました。農、工、理、文、埋文の教員にお声がけし、約1年の議論を経て、2016年に報告書※4を出しました。そのなかでは育徳園の価値を3つに整理しました。自然環境、歴史の重層性、保健休養です。貴重な生き物がいるのでその保全が重要だ、江戸時代から残る歴史遺産が重要だ、特定の生物種でなく人と自然の関係性が重要だ……。様々な主張が出ましたが、皆で一致したのは、育徳園を覆い尽くすように繁茂していたシュロの扱いでした。どの立場から見てもまずいと一致し、その多くを取り除きました。しかし予算的な難しさもあり、報告書の提言で具体的に実施できた施策は限られ、以降は日常的な管理にとどまったように思います。ちなみに、この看板は知りませんでした。2016年にはなかったものです。

中西 報告書が時間スケールを積層して整理されているのが印象的でした。大名屋敷の庭池、防災、教育・研究……と機能が変化しながらレイヤーが重なった上に現在の三四郎池があり、池にどう向き合うかはその時代ごとの人々に開かれているという整理に腑が落ちる思いがしました。

横張 生態学の分野では最近、Novel ecosystemという考え方が提唱されつつあります。人間の影響で改変された自然も一つの生態系として認めようというもので、都市の生態系に関してよく言及されます。たとえば、明治期の東京の年平均気温は現在より約4度も低く、現在の仙台に相当します。一方、現在の東京の年平均気温は大分と同程度。130年で仙台から大分まで移ったようなものです。在来種の保全というと、人の影響が小さい時代にいた生物をリファレンスとするのが一般的ですが、その前提には、気候や地形など、地となる自然環境に変化がなく、人為影響だけが変化していることがあります。大分の生態系を考える際に、仙台にいる生物をリファレンスにすることが概念的に正しいのか。私は少々疑問です。

中西 確かに、外来種も変わりゆく生態系を構築する一員と捉えることもできるかもしれませんね。では、最近の三四郎池の生物相について教えてください。

農学部4年 長尾佳介さん
本企画の提案者。OEGs 7期生。野外生物系の学生サークル・生物研究会(略称、生研)に所属。
工学部4年 水野那奈子さん
OEGs 7期生。4つの学生環境団体によって2021年に組織されたUTokyo GXSNの一員。
農学部4年 田中宏樹さん
OEGs 7期生。1993年発足の学生サークル・環境三四郎のメンバー。保全生態学研究室に所属。
農学部4年 菅原瑞生さん
森林動物学研究室で「観光客による餌付けが外来カメに与える影響」を研究中。爬虫類が好き。

三四郎池の水は……「臭い」

菅原 胴長(胴付長靴)を着て池に入った際の印象は「臭い」でした。周辺の陸域の生態系は豊かです。爬虫類だとニホンカナヘビやヒガシニホントカゲやアオダイショウやシマヘビがいました。絶滅危惧I・II類が見つかるのは文京区だと小石川かここくらいでしょう。一方、水域の生態系は貧相です。見かけるのはコイ、アカミミガメ、クサガメ、ブラックバス、ブルーギル、アメリカザリガニなど。自分としてはバスやギルは駆除したい気持ちです。チョウやトンボはいますが、ゲンゴロウやガムシといった水生昆虫は全然いません。研究室の虫好きの先輩は「終わってる」と愚痴っていました。

田中 私は環境三四郎※5というサークルで駒場の一二郎池を拠点に生物調査やイベントを行っています。一二郎池は、近所の子や家族連れが生き物を捕ったり犬を散歩させたりしていて、自然環境と保健休養の両方で使われています。自分は在来種主体の生態系を持つ池であってほしいです。弥生の圃場ではアマガエルが鳴き、ハイイロゲンゴロウもいます。三四郎池も一二郎池も管理次第でそうした生き物が棲む可能性があると思います。ただ、日本では外来種も結構受け入れられていて、幼少時の思い出にアメリカザリガニ釣りを挙げる人もいます。どう合意を形成していけばばいいのかはわかりません。

在来種の方が環境教育に○?

池田 環境教育の場とするなら、在来種が多いほうが活用しやすいでしょう。本来いなかった地域に蛍を放すなど、よかれと思ってやったことが後に問題になることがありますが、三四郎池の錦鯉もそうだったのかもしれませんね。環境教育がうまく進めば生物学はもっと発展します。かわいい動物やきれいな植物を守りたいと思うのは自然ですが、特定の種を守ると他の種が減るかもしれません。生物間の関係を踏まえた考え方を幼少時から育めればよいのですが。

中西 教育・研究の場であることに加え、アクセスしやすいという価値もあるでしょう。観光客や近隣の人も来やすいのはよいことですが、それで起きる問題もあります。

水野 この前、観光客が店で買ったパンを鯉にあげていたと聞き、衝撃でした。臭くて汚い三四郎池ですが、歴史に価値を認める人が多いからか、ここで行う茶会は大人気です。個人的には、臭いや蚊が消えたら歓迎ですが、在来か外来かというのは割とどちらでもいいので、熱意がある人たちの思いを尊重したいです。歴史に価値を感じている人の意見も聞くべきですが、現状三四郎池は大事にされているとは言い難いですし、何かしら改善は必要でしょう。

昔はスケートも遊泳もできた

中西 もとは大名屋敷だとか夏目漱石の小説が由来とか、なんとなくしか知らないですよね。報告書を読んで、大坂夏の陣の褒美だったとか、昔はスケートや遊泳ができたとも知って驚きました。もっと人との関係が身近だった頃の姿を知りたくなります。

長尾 外来種を駆逐することが自然環境的に望ましくても、保健休養的にはよくないかもしれません。在来種は小さいことが多く、景観的には見栄えしません。りをしても、ザリガニが泥に潜って駆除し切れないと後で大量繁殖するかもしれないし、外来種がいなくなると天敵が消えたボウフラが大量発生しかねません。極端な施策にはリスクが伴います。でも、誰もが一致できることもあります。臭い池がよいと思う人はいませんよね。微風でもいいから池に風を吹かせたいです。睡蓮などの水生植物によって環境と景観の改善が両立できないか。学内の様々な専門家の知を集めれば何かできることがあると思うんです。

横張 重要な問題として、大学には外部空間の整備にまわす資金が十分にありません。研究なら外部資金を得る道もあり、建築物なら特別な予算を取ることもできますが、キャンパスの外部空間の整備の場合、大学全体にデフォルトで支給される予算から捻出するしか方法がありません。一方で、長尾さんのように声を上げる学生がいることは、大学の大きなポテンシャルです。

中西 学生と話すなかで掻い掘りのアイデアが出ました。掻い掘りには外来種駆除、水質改善のほか、多くの人が参加することの効果もあるようです。池の生き物を知ることができれば環境教育にも有効ですよね。

横張 重要なのは中心になって動く人がいるかどうか。無責任なことは言えませんが、学生が本気で提案すれば大学も動かざるを得ないはずです。ただ、いろいろな考えの人がいるので、調整は大変ですが。

中西 今後の三四郎池に期待することは?

池田 陸域の多様な生物相は、ある程度粗い管理をしているからかもしれません。日本庭園のようにしっかり管理すると生物相は貧相になるでしょう。なので、個人的には現行のようにある程度ゆるく管理する状態がいいのではと思っています。

田中 三四郎池に関心がある人たちが話せる場を作りたいんです。私の家から近い六義園では錦鯉やブラックバスを見かけます。陸域にはカナヘビもいて、三四郎池と似ています。でも学生が関わりやすいのは三四郎池。そこが大きな違いだと思います。

三四郎池だけ臭いのはなぜ?

菅原 小石川や六義園の池は似ているけど臭くありません。底が泥か落ち葉かで変わるのでしょうか。私にはわからないので、水質改善にクリティカルなやり方が何なのかを調査してほしいと思います。

水野 このキャンパスの広さに対してこのサイズの緑があるのはすごいことだし、鬱蒼としていて面白い空間だと思います。確かに、まずは水質調査が必要ですね。

長尾 今回は3人の先生にご参加いただく場を作れましたが、もう少しがんばればもっと多くの人が三四郎池に興味を持ってくれるようなアクションができるのではないかと思います。自分はあと3年は大学にいる予定なので、仲間を募って次の行動につなげたいと思っています

横張 教育研究の場である大学の主役は学生。学生がキャンパスについて提案したいというなら、大学は何かしら応えないといけないでしょう。一方で、提案が形になるにはどうしても時間がかかることも理解してほしい。後輩たちにも、皆さんの思いを伝えていってほしいです。

中西 将来、三四郎池がこんなに愛されているのは実は今日の座談会があったからかも、などと言われたら最高ですね。

※1 https://www.one-earth-g.a.u-tokyo.ac.jp/

※2 https://www.utokyo-gxsn.org/

※3 https://utseiken.wixsite.com/site

※4 https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400042002.pdf

※5 https://www.sanshiro.ne.jp/content/

〜錦鯉の研究者に聞きました〜
天然の池なのか
人工の庭池なのか、
それが一番の問題です

生物学的には悪役にされがちな錦鯉。実は海外でも人気の日本発の観賞魚です。錦鯉を愛する民俗学者に歴史を解説してもらいました。

東洋文化研究所教授 菅豊
2023年世界錦鯉サミットでは「泳ぐ宝石『錦鯉』」の題で基調講演。全日本錦鯉振興会名誉顧問も務める。

池には、自然の池、人工池、当初は人工だが放置されて自然化しつつある、あるいは自然化した池の3種類があります。三四郎池は江戸時代に加賀藩邸の庭池として人工的に整備されていたはずですが、現在は3番目の状態でしょう。人工の池では景観を彩る美しい錦鯉も、自然に近い状態の池では悪役にされがちです。ただ、錦鯉だけを外来種として否定するのはお門違い。それをいうならば野生鯉の多くが外来種です。

環境教育に重宝された時代も…

かつて、錦鯉が環境教育に使われた時代があります。稚魚を放流して関心を持ってもらい、環境保護の機運を高めようという運動でした。別の魚だと鮭の稚魚を都市河川に放流した運動が有名です。しかし、生態学の進展に伴い、もともとそこにいなかった魚を放つような運動は下火になりました。鯉が泥を攪拌すると光が通らず底部の水草が育たないという研究も出てきて、鯉が元々いない生態系に悪影響を及ぼすという認識も広がりました。科学の進展で生き物の社会的評価が変わった一例といえます。

錦鯉の歴史をたどると、江戸時代末期には存在していたようです。当時はまだ錦鯉の名はなく、新潟の山奥でたまたま発生したきれいな鯉を一部の人が大事に育てていたのでしょう。現在の長岡市や小千谷市の辺りにあった二十村郷が発祥とされます。大名屋敷に錦鯉がいたとは考えにくく、加賀藩邸時代の育徳園心字池にいた可能性もまずありません。

明治になって「紅白」という品種が確立され、伝統的な知識と西洋の遺伝学的知識が融合してできたのが、白地の上に黒と赤が載る「大正三色」。1914年の東京大正博覧会に錦鯉が出品されて銀杯を受けます。それを皇太子(後の昭和天皇)が気に入り、産地の人々が宮中に献上したことが宣伝となって日本各地に広がりました。米国大統領に寄贈された錦鯉がホワイトハウスで泳いでいた記録もあります。新潟の山奥のきれいな魚が日本の文化となり、海外に進出したのです。

錦鯉ブームが田中角栄で増幅

高度経済成長で庭付き一戸建てが増え、錦鯉愛好家が増えました。ブームの立役者は新潟出身の田中角栄です。目白の御殿で錦鯉に餌をやる写真が「首班指名の朝」の題で新聞に載ったのが1972年。錦鯉品評会の書籍の題字に「国魚」と揮毫したのも彼でした。後には金権政治が取り沙汰され、錦鯉を富裕層の趣味とする印象が強まることにもなりましたが……。その後、日本のファンが高齢化し愛好者は減りましたが、海外での人気が高まりました。オランダのKoiショーが最大で毎年数万人が集まります。現在、日本産錦鯉の8割は輸出。レディ・ガガ、ブラッド・ピットなど海外著名人の愛好家も数多います。体型、模様、色などが評価されて世界王者に輝いた個体だと2億円の値がつくこともあります。

新潟では錦鯉を「うちうお」と呼びます。本来家で飼うべき魚なわけです。三四郎池が庭池なら、錦鯉がいてもおかしくありません。ただ、愛好家としては適切に管理されてない池ではかわいそうだと思います。三四郎池を適切に管理できないなら飼うべきではないでしょう。水草がある環境なら勝手に殖える可能性はありますが、放置しても美しい錦鯉には育ちません。錦鯉は生物学的動物ではなく文化的動物なのです。いずれにせよ、現状はベストではないでしょう。今後、三四郎池をスタート時点のような人工の庭池として管理するのか、「自然らしい池」として人為的に管理する――語義矛盾がありますが――のか、それによって錦鯉の存在の可否が決められるのでしょう。ただ、人間が放した錦鯉を駆除するような身勝手は避けたいものです。

当時は変鯉と呼ばれていた

東大人なら知っておきたい三四郎池トピックス

錦鯉が歴史を語るYouTube 動画
「三四郎池の生き物たちとの出会い」

https://youtu.be/gBpCb3LWnU0

2024年8月、YouTubeの東京大学公式チャンネルにオリジナル動画が公開されました。三四郎池で暮らす錦鯉が、池の来し方について英語でひとりごつという意欲作。演者は黄色っぽい錦鯉ですが、人間の言葉が話せないため、キャンパスの歴史に詳しい人文社会学系研究科文化資源学研究専攻の松田陽先生がナレーションを務めています。

三四郎池畔にいた爬虫類

アカミミガメ クサガメ アオダイショウ ヒガシニホントカゲ ヤモリ ニホンカナヘビ
菅原さんが捕まえて大事に育てている爬虫類の皆さん(菅原さん提供)

浚渫しゅんせつが過去に数回行われている

浚渫工事で池の水が抜かれている様子
「育徳園のあり方検討WG報告書」p.87より

本誌352号のp. 6には、1977年1月~3月の浚渫工事に協力を呼びかける記事が載っています。このときはカラス貝や日本刀や弾丸も出てきたとか。施設部の記録によると、浚渫が行われたのは1994年が最後。三四郎池がお色直しする次の機会は?

教育勅語の避難場所候補だった?

『文書館ニュース』61号p. 5によると、空襲時の教育勅語の扱いに関する1943年の伺書に「最悪ノ場合ニ於ケル奉護場所」として第一工学部水槽下あるいは池畔とメモ書きがあるそう。池は大学の宝を守る場でもあったのかも。

「石」と読める敷石も

「石」と刻印された敷石

池の畔では「石」と刻印されたような敷石も確認できます。何かに由来するものなのか、ただそう見えるだけなのか?

昔は「アヒル王国」だった

1951年に植物学の大賀一郎博士が検見川で発見した太古のハスの株が、1953年に三四郎池に植えられました。その前年の1952年には、学内の空気を和らげようとの矢内原忠雄総長の提案と、ハスを食うザリガニ対策のために、アヒルが放たれました。一時は約30羽もの「アヒル王国」となり、人気を得ましたが、矢内原総長が退任した後には様々な要因が重なって数が減ってしまい……と1962年8月22日付毎日新聞が報じています。

濱尾新のヒマラヤスギ

下から見上げた大きな木と碑(右下)

池畔の巨大な濱尾新像の後ろには一本のヒマラヤスギがあります。根元にひっそりと置かれた碑にはこう記されています。「明治四十年の春故濱尾總長閣下が私にヒマラヤ杉の挿木を命せられました/そこで私は三百餘本を挿しましたがたゝ゛一本を殘して他は皆根を下ろしませんでした/その一本が即ち此の樹です/大正十二年九月一日の大震火災の時にも燒けず元氣よく成長して恰も大學の前途を祝福するやうです/ことし昭和三年九月許しを得此の碑を樹の側に建てゝ由緒を記すことゝなりました/四十年來の大學の老僕/松本百蔵」。ヒマラヤスギはもとは外来の針葉樹ですが、三四郎池の畔に根付いています。

三四郎池に
ついての
意見を募集

「何か行動を起こすために構成員の皆さんの意見を広く聞きたいと考え、意見募集フォームを用意しました。QRコードからアクセスしてご意見をお寄せください。ともに考えてみませんか!」(長尾さん)

三四郎池についての意見募集フォームのQRコード