第1186回淡青評論

七徳堂鬼瓦

高校生に学ぶ教育改革を

読者の皆様は、本学に教育学部附属中等教育学校があることを果たしてご存じだろうか。1年生から6年生まで合計720名の中学生・高校生が日々学んでいる。私は1年前に学校長に着任し、そのカリキュラムに圧倒された。象徴的なのが、6年生(高3)で全員必修となる16,000字以上の卒業研究だ。彼らは高3の夏まで、受験勉強そっちのけでこの執筆に没頭する。

圧巻なのはそのテーマだ。「愚痴の生産性」「ヤマトシロアリの穿孔活動」「ぬいぐるみペンケースのデザイン」「ウクライナ侵攻における演説の影響」「マイノリティに対する無意識の偏見」「恋愛要素によらない面白い小説」「子どもアドボカシー」「高校生にとってのメイク」「中高生のうつ病」「東大附属のジェンダーバイアス」「現代における物々交換の価値」などなど。文理の枠を超え、個々の「不思議」や「違和感」「興味」を、文献購読やインタビューを通じて徹底的に言語化していくのが附属流だ。

彼らの姿は、成果を急ぐがあまり既存の学問作法に縛られ、ともすると「問い」そのものを見失いがちな私たち研究者の心に鋭く刺さる。

これまで高大連携といえば、附属生が大学から学ぶ機会ばかりが模索されてきた。しかし真に必要な改革は逆ではないか、と敢えて言ってみたい。学部生・大学院生こそが、彼らの伸びやかな探究心・知的好奇心に触れ、自身の研究を「初志」に戻って再検討する。そうした「学びの還流」の場を作ることこそが、高等教育改革の鍵の一つになりえるように思われる。

小国喜弘
(教育学研究科)

広角で撮った校舎の建物と運動場サッカーゴールが写る写真
旧制東京高等学校尋常科を前身として1948年に創立された東京大学教育学部附属中等教育学校の校舎(中野区南台)
Challengers for Changes