東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

淡い色のぼやけた表紙

書籍名

「記憶」の変容 『ニーベルンゲンの歌』および『ニーベルンゲンの哀歌』にみる口承文芸と書記文芸の交差

著者名

山本 潤

判型など

308ページ、A5判、上製、横組

言語

日本語

発行年月日

2015年2月

ISBN コード

978-4-8115-7811-8

出版社

多賀出版

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

「記憶」の変容

英語版ページ指定

英語ページを見る

過去の歴史的事象を核として発生し、中世に至るまで口伝されてきた英雄歌謡/英雄詩は、声の文化の領域において過去の「記憶」を伝承するメディアとして機能していた。ドイツ語圏でその伝統を文字の文化の領域へと導入した嚆矢にして代表的な作品が、龍殺しの英雄ジークフリートの暗殺とその妻クリエムヒルトの復讐を描く『ニーベルンゲンの歌』と、その続編としての性格を持つ『ニーベルンゲンの哀歌』である。ゲルマン民族にとっての「英雄時代」の史実から生まれた英雄譚を素材としつつも、13世紀初頭に書記文芸作品として詩作されたこの二つの叙事詩は、常に緊密に組み合わされる形での写本伝承と受容がなされたが、多くの点で対照的な作品同士でもある。まず、前者が「謡う」ことに適した口誦的詩節形式を持ち、オーラル・ポエトリー理論が口承文芸の特徴をなすものとして定義する定型的表現を多用する語法によって詩作されている一方で、後者は同時代の宮廷叙事詩や年代記文芸となどの書記文芸と共通する二行押韻形式を持つなど、相異なるメディア的特徴を有する。また、前者は「聞いたことをそのままに語り継いでゆく」という口承的語りの場を書記平面上に疑似的に構築し、書かれて成立した作品であるのにも関わらず、口承文芸の伝統との同質性および連続性を積極的に示す。それに対し、後者は『ニーベルンゲンの歌』で語られる英雄譚に対しキリスト教的な視点から善悪二元論的な解釈を行い、作品素材の持つ英雄詩的原理に支えられた物語の因果関係を、キリスト教的・中世宮廷的価値体系内の概念によって換骨奪胎して再構成する。そして、『ニーベルンゲンの歌』によって書記文芸の地平へと導入された過去の記憶を、そのまま語り継ぐのではなく解釈を施す対象とするなど、両叙事詩は作品素材およびその伝承に対する態度においても鋭いコントラストを見せる。このように、両者の構築する複合体は、その成立までは異なる水脈を形成していた口承文芸の伝統と書記文芸の伝統の交差する地点に立脚し、口承と書記という対照の中に、世俗と教会、俗語とラテン語、英雄的世界と宮廷的世界といういくつもの対極を内包しており、二つのメディアが背景として持つ様々な文化的要素の邂逅の場となっている。
 
本書はこれらの要素の解釈を通して両叙事詩の文学史上の立ち位置を考察し、声の文化の領域で伝承されてきた「記憶」が、メディアの垣根を越えて文字の領域へと導入された際にいかなるものとして扱われ、変容したかという問題に焦点をあてる。そして、『ニーベルンゲンの歌』と『ニーベルンゲンの哀歌』に対する実践的な検証によって、ドイツ中世盛期における共同体にとっての過去の「記憶」の持つ歴史性、そしてそれを伝えるメディアの実相の一端を明らかにする。

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 山本 潤 / 2018)

本の目次

序 
 
第1章 『ニーベルンゲンの歌』―「記憶」の継承
  1. 『ニーベルンゲンの歌』の口承性
    1. 『ニーベルンゲンの歌』における「語り」―プロローグ詩節を巡って
    2. 詩人の匿名性
  2. 『ニーベルンゲンの歌』の重層構造
    1. Bヴァージョンでのシーフリト描写―第二歌章を中心に
    2. Cヴァージョンでの改訂の示すもの―Bヴァージョンでの問題点
  3. 英雄的世界と宮廷的世界の相克
    1. ハゲネの「語り」―シーフリトの英雄的特性の物語世界への展開
    2. 英雄の記憶―『ニーベルンゲンの歌』の内包する二つの世界
 
第2章 写本伝承段階における『ニーベルンゲンの歌』と『哀歌』の受容
  1. 『ニーベルンゲンの歌』と『哀歌』の非連続性
  2. 写本Bの『ニーベルンゲンの歌』から『哀歌』への移行部
  3. 写本Cの『ニーベルンゲンの歌』から『哀歌』への移行部
  4. 写本Aの『ニーベルンゲンの歌』から『哀歌』への移行部
  5. 初期主要三写本の移行部の構成と『ニーベルンゲンの歌』と『哀歌』による複合体
 
第3章 『哀歌』―記憶の発生と対象化
  1. 『ニーベルンゲンの歌』の総括と注釈としての『哀歌』
    1. クリエムヒルト擁護―「誠」を巡って
    2. シーフリトの「übermuot」―BヴァージョンとCヴァージョンの差異にみる「古の物語」への視線
  2. 「嘆き」―死者との決別と記憶の発生
    1. 「嘆かれ」るクリエムヒルトと呪われるハゲネ―生者による証言
    2. 生者による追悼―人物像を巡る議論
    3. 英雄たちの葬送
  3. 過去の克服―『哀歌』の語る「その後何が起こったかwaz sider dâ geschach」
    1. 埋葬と慰め―世界の位相変化
    2. 物語の伝承と「嘆き」の克服
  4. 書記と口承の融合―『哀歌』にみる歴史伝承観
 
第4章 『ニーベルンゲンの歌』および『哀歌』に見る口承文芸と書記文芸の交差
 
あとがき
参考文献目録
 

このページを読んだ人は、こんなページも見ています