Rezeptionskulturen in Literatur- und Mediengeschichte, Bd. 14 Alfred Döblin Massen, Medien, Metropolen (アルフレート・デブリーン: 大衆、メディア、大都会)
ユダヤ系ドイツ人作家アルフレート・デブリーン (Alfred Döblin, 1878–1957) の生涯と著作にあらわれる大都市とメディアの関係性を考察するのが本書の目的です。現在のドイツの首都ベルリンを小説の舞台にすることで、デブリーンは20世紀ドイツの大都市作家としての地位を確立しました。彼自身もベルリンでの暮らしを謳歌した一人で、彼がこのドイツの首都にあたえた文学的性格は、ウォルター・ホイットマンがニューヨークに、あるいはジェイムズ・ジョイスがダブリンにもたらした影響に等しいといえるでしょう。貧民街の精神科医師として肉体労働者や低所得層によりそい、ワイマール共和政下においてはドイツ社会民主党 (SPD) の党員として積極的に政治へと参加したデブリーンは、「大衆の文化」への興味をとくに深めていきます。この「大衆の文化」は当時まさに、ゲーテによって代表されるそれまでの伝統的な「個人の文化」にとってかわろうとしていました。「個人の文化」については拙著『「私」の境界―ゲーテにおける主観―』(De Gruyter出版社、2006年) で考察を試みています。
大都会ベルリンに暮らして観察することで得た刺激を源泉として、デブリーンの視野は拡がりつづけ、彼を地球市民―コスモポリタン―へと導いていきます。ワルシャワ、パリ、ロンドンといったヨーロッパの大都市の大衆生活へ目を向けるだけでなく、ニューヨークやロサンゼルスの活気をも大いに満喫し、さらには東アジアにおける近代化の波へも飛びこんでいきました。そんなコスモポリタン的傾向をもつ一方で、デブリーンは、ベルリンを故郷 (ふるさと / Heimat) として捉え描きつづけたのでした。この正反対に向いているようにもみえる二つのベクトルの関係性を解明しようというのが、本書の目的であり、デブリーン研究への革新的な貢献といえる点でもあります。
大都会の生活を知るための重要な手段としてデブリーンが選んだのは、映画館でした。当時の映画館は、数千人を収容できるほど大規模で、大都市の中心部に位置し、「キャピトル」や「メトロ」のような都会風な名前を冠していました。デブリーンのお気に入りは、チャップリンやディズニー、ドタバタ喜劇あるいはミュージカルだったようです。とはいえデブリーンが映画館の中で最も注目していたのは、実は映画ではなく、むしろ観客大衆が映画にしめす反応でした。映画館がデブリーンの興味をひきつけた理由は、それが賃金労働者たち (プロレタリアート) から形成される共同体をつつみこむ空間であったからで、彼は映画館のスクリーンと観客とのあいだの相互作用にある種の革新的な潜在性をみたからでした。デブリーンの描く大都市像には、それがベルリンやワルシャワあるいはニューヨークであっても、つねに映画館でのシーンが中心軸としてでてくるのです。デブリーン全作品のなかからとくに映画館シーンに注目し、映画館や各シーンの特定と解釈を試みているのも本書の見所のひとつです。
近代の大都市とそこで繰り広げられる社会的発展の過程を目の当たりにしたデブリーンは、大衆を描写することに熱中しかつその技を磨いていきます。彼が得意としたのは、大衆が形成されていく過程や、大衆のみせる動き、そして大衆と個人との関係性を描くことでした。18世紀中国の革命運動を舞台にした独創的な小説『王倫の三跳躍』(1916年) や、第一次世界大戦後のドイツ革命を描いたベルリン叙事四部作『1918年11月』では、大衆そのものが主役として描かれています。そこにみられる躍動感あふれる描写を実現するためにデブリーンは独自の「シネマ・スタイル」をつくりだします。この手法はドイツ文学においてはよく知られているもので、ある出来事を複数の「画像 (コマ)」として描写して、映写機がコマ送りをするように、つまり、一つ一つの画像を映画スクリーンに「映写」していくような描写スタイルのことです。本書では、とくにこのシネマ・スタイルという視点から、デブリーンが映画とラジオのために書いた諸作品を読み解いていきます。ベルリンで精神科医として過ごし、その後に亡命者となるデブリーンは、同時代を生きたどのドイツ人作家よりもラジオ放送に深く関わり、映画製作にもたずさわりました。その中で生まれた作品として挙げられるのは、ラジオドラマ用脚本『フランツ・ビーバーコプフ物語』(1930年) や『ベルリン・アレクサンダー広場』(1931年)、そしてハリウッドのMGMスタジオで映画担当職員として雇用された期間に書き上げた多数の映画脚本原稿です。本書は、デブリーン研究における初の試みとして、彼の映画関連原稿のすべてを分析し、それらをロサンゼルスにおけるユダヤ系ドイツ人亡命者という緊迫した社会的文脈のなかにおいて再び考察していきます。この亡命者という文脈のフィナーレを飾るのは、デブリーンがそのような状況下に置かれてもまだなお人類の未来への希望をすてることなく、サンフランシスコ湾と太平洋とのあいだに伸びていく建設中のゴールデン・ゲート・ブリッジをながめながら、それを東アジアの英知とアメリカの活気あふれる未熟さとを結ぶシンボルとして捉えようとした事実です。
本書は、刊行当初から私自身も監修者の一人として参加しているシリーズ「文学・メディア史にみる受容の文化」(Königshausen & Neumann出版社、Rezeptionskulturen in Literatur- und Mediengeschichte) の第14巻です。表紙はイタリアの画家ジーノ・セヴェリーニの『モニコでのパンパン踊り』(1911年) で、ここには都会的なカフェの様子が、生演奏の音楽にあわせて踊る群衆とともに描かれています。デブリーンは、複雑でエネルギッシュな構成をもつやや未来的な趣のあるこの絵画を、彼自身が抱くベルリンのイメージの土台としていました。この絵の中では、大衆 (生を渇望する無数の人々がなす大群) と、メディア (音楽とダンス)、そして大都会 (舞台はパリ) が見事に融合しています。デブリーンはそこに、鏡に映る似姿のようなベルリンとパリをみるのですが、これはベルリンを愛したユダヤ系ドイツ人作家のコスモポリタン的なまなざしをよくあらわしているといえるでしょう。戦後ドイツの分断の後に、デブリーンは自らの意志でドイツを離れ、パリで晩年をすごしました。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 ケプラー田崎・シュテファン / 2018)
本の目次
I. はじめに―大衆、メディア、大都会―
1. 「個の超越」と「大衆向け」
2. 普及手段としてのメディア
3. プロレタリア空間としての映画館
4. 映画館のある都市風景
II. 『ヴァツェックは蒸気タービンと闘う』: シネマ・スタイルのベルリン小説
1. デブリーンはサミュエル・フィッシャーと闘う
2. ベルリン小説:フォンターネに対抗して
3. 小説をシネマ・スタイルで
4. 「Artist’s Artist」(芸術家うけする芸術家)の小説
5. 「とにかくすばらしい一冊」: 評価
III. 「映画生まれの演劇作品」: 映画に近い劇作
1. 前段階:『リディアとマックス君』
2. 『伯爵夫人ミッツィ』、『ルシタニア』、『ケムナーデの尼僧たち』
3. メディアを動員する:『結婚』
IV. アヴァンギャルドと産業のあいだで―映画用の下書き原稿―
1. ベルリン、パリ、ハリウッドという背景
2.「つねに新しいストーリーを」: あらすじ
3. 自覚的な陳腐さ: 形式とテーマ
4. メディア労働者とハリウッドの犠牲者:後日談
V. 『ベルリン・アレクサンダー広場』: ラジオドラマと脚本
1. 「聴く映画」としての『フランツ・ビーバーコプフ物語』
2. 「映画大衆向けにわかりやすく」:『ベルリン・アレクサンダー広場』
VI. 『ランダム・ハーヴェスト』: 親英ハリウッド映画
1. プロパガンダという「戦場における第四の武器」
2. デブリーンとジェイムズ・ヒルトン
3. 「できるだけ正直に」: 戦争のヴァリエーション
VII. 『逃亡者』: 反太平洋戦争プロパガンダ
1. 成立過程
2. 逃亡劇と乞食映画
3. 「日本のふるい本」を新しいアメリカ映画に
4. デブリーンとバートン・ホームズ: ソウルと横浜
5. デブリーンの中国愛に秘められた反日感情
6. カリフォルニアでの亡命生活と、太平洋戦争および反日プロパガンダ
VIII. 『リア女王』: プロパガンダをさけぶ作家
1. MGMスタジオ:虎の穴で働く
2. 「ふるいリア王のテーマを下地にした陽気なお話」
3. シェイクスピアとハリウッド
IX. 『運命の旅』: 改宗とベルリンの思い出:
1. 成立の背景: ハリウッドとバーデン・バーデン
2. 「大衆とは我々のことだった」: プロレタリア的・キリスト教的改心の道程
3. 自己観察、メディア観察、政治観察
4. プロテウスと時代の証人: デブリーンは問い続ける
X. 「真のふるさと概念」: ふるさとベルリンとプロレタリア的コスモポリタニズム
1. 小さい国家を賞賛する
2. 都会的なふるさと概念
3. コスモポリタン的な大都市像
4. コスモポリタニズムと従属者
5. ゴールデン・ゲート・ブリッジ:太平洋をまたぐ未来
XI. おわりに
関連情報
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